江戸前鮨の神髄ともいうべき、ツメ。おいそれと手法を明かさない、その鮨屋の味を決める門外不出の要(かなめ)ともいえるものだろう。今回、これまで明かされることのなかった「㐂寿司」のツメづくりに、初めて密着することが許された。
「㐂寿司」の客は、鮨を握る職人ではなく店の看板そのものについている。カウンターに座れば、誰が握っても、今日は「㐂寿司」の鮨を食べたという満足感に浸ることができる。
つまり、創業者である初代・油井㐂太郎から四代にわたって脈々と継承されてきた確固たる江戸前の仕事そのものに、客は全幅の信頼を置いているのだ。店が生きている。明治初期の創業からまもなく100年。老舗の老舗たる所以がここにある。
そんな「㐂寿司」の江戸前の集大成が、穴子や煮蛤などの「煮物」に欠かすことができない「ツメ」だろう。
今回、創業以来、1ヶ月に1度のペースでつくり続けられているツメづくりの密着取材が初めて許された。どんな煮穴子も、肝心のツメの味が決まっていなければ台無しだ。ツメは鮨屋の個性を決定づけると言って過言ではない。
ツメの味の基本になるのは、大量の穴子の頭と中骨だ。前掛け姿の「㐂寿司」四代目の油井一浩さんは良質の穴子が手に入るからこそ、自慢できるツメができると胸を張る。
「穴子はうちの生命線ですから、切らすことはありません。およそ30尾の穴子を毎日煮ます。必ず、選りすぐりの穴子を活け〆にしたものを持ち帰り、店で割きますので、1ヵ月でおよそ1000尾分の頭と中骨が残ります」
ツメづくりは、決まって昼の営業が終わった午後2時から始まる。
まず、解凍した穴子の頭と中骨を沸騰した湯でゆでこぼし、徹底的に水洗いをして掃除をする。穴子の旨味が濃縮したツメだが、底物特有の泥臭さをわずかでも感じさせたら台無しなのだ。
この日、穴子を割く担当だった厚二さんは、ツメに使うとはいえ、どんな穴子でもいいかといえばそれは違うと断言する。
「目利きに叶う穴子の入荷がない時は、ツメに使う中骨が足りなくなることがあります。仕入れ先に無理を言って、穴子の中骨だけを分けてもらうこともあるのですが、そもそも品物の質も違うし、割く段階の仕事が丁寧でないと、臭みのもととなる内臓や血が残ってしまうのです。結局、自分で割いたものでなければ、余計に手間が増えるだけので、なるべくなら使いたくありません」
ここで登場するのが、水が張られた直径60cmの2つの大鍋だ。ここに掃除を施した1000尾分の穴子の頭と中骨、鰹の厚削り、昆布締めに使った昆布を入れて強火にかける。沸騰すると大量のアクが沸いてくるので、これを丹念にすくいながら炊いてゆく。
この作業は、休憩時間を挟んで、夜の営業が始まる夕方5時までの間、当番の者がつきっきりで鍋の前に立つ。
3時間が経過すると、穴子の頭と中骨は、その原型がわからない状態にまで煮崩れ、穴子のコラーゲン状の脂分が溶け出した煮汁は、とろみがついて白濁してくる。この段階まで煮込んで、いったん、ザルで濾す。まるでポタージュのようだ。そして、いよいよ、味のベースとなる味付けを施す。
ここで、煮穴子の煮汁、干瓢の煮汁、あれば、前夜の一品料理で作った煮魚の煮汁などを加える。
一浩さんが言う。
「昔の人は捨てるということをしなかったんです。店では煮穴子を炊く時も、前日に炊いた残り汁を濾して、酒と砂糖、醤油を継ぎ足して使うのですが、ツメの味付けも、醤油と砂糖だけでなく、煮穴子や干瓢の煮汁など、使えるものは何でも使ったのです。こうすることで、より濃厚で、奥行きのある味に仕上がるのです」
しかし、「㐂寿司」のツメは甘く、濃厚でありながら意外にもさっぱりしているのが特徴だ。実はその後味の良さを決定づけるために加える意外な食材がある。
しかも、それは野菜だった――。
――明日につづく。
文:中原一歩 写真:岡本寿