TOKYO蕎麦めぐり。
蕎麦畑に通って通って蕎麦を識る。

蕎麦畑に通って通って蕎麦を識る。

ほしひかるさんが太鼓判を押す東十条の「一東菴」。店主の吉川邦雄さんは蕎麦農家と積極的に交流し、生産者同士を繋げています。なぜ、吉川さんは蕎麦畑を回っているのか。話を聞きました。

農家と一緒においしい蕎麦づくり。

蕎麦農とのネットワークを大切にしている「一東菴」店主の吉川邦雄さん。この日は、埼玉三芳町で蕎麦農家を営む船津正行さん自らが、ふたつの品種の蕎麦を納品しに来るそうです。打ち手とつくり手の間でどんな蕎麦トークが交わされるのでしょうか。

東京の蕎麦をめぐるふたり

ほしひかる

ほしひかる

佐賀県佐賀市出身。豊かな知識とわかりやすい解説でビギナーからツウまで幅広く支持される、蕎麦界の博覧強記。偏愛蕎麦屋は両国「江戸蕎麦 ほそ川」。江戸の蕎麦の通人を表す民間の資格「江戸ソバリエ」認定委員長であり、深大寺そば学院講師や「武蔵国そば打ち名人戦」審査員も務めている。共著に『休日の蕎麦と温泉めぐり』『江戸蕎麦めぐり』(ともに幹書房)がある。

NOMA(ノーマ)

NOMA(ノーマ)

佐賀県佐賀市出身。ファッション雑誌からラジオのパーソナリティまで幅広いジャンルで活躍中の人気モデル。生態学者である日本人の父とシシリア系アメリカ人の母を持ち、佐賀の大自然に囲まれて育つ。ライフワークは蕎麦と植物と宇宙。江戸蕎麦は原宿「玉笑」と両国「江戸蕎麦 ほそ川」がフェイバリット。蕎麦打ちにも興味津々。VOGUE JAPAN WEBで「モードな植物哲学。」を連載中。TOKYO FM「東京プラネタリー☆カフェ」でパーソナリティを務める。

ほし
吉川さんは蕎麦農家さんと仲が良く、畑を手伝いによく行っておられますね。
吉川
休日はだいたい蕎麦畑にいます。
NOMA
実際に農家さんのもとへ足を運んでいるんですね。
吉川
修業時代から休みの日はほとんど畑です。さきほど食べていただいた埼玉県三芳町の3年熟成はこれから配達に来てくれる埼玉の船津さんですし、“千葉在来”は千葉県成田市の上野さん、山間部で雪が多い新潟の妙高市、長野の南相木村など、つくり手の顔はほぼ知っています。
ほし
農家さんの話は店主から間接的にしか聞けませんから、おもしろいですね。
吉川
生産者さんがどんな思いで蕎麦づくりをしているのか。打ち手が知ってから表現しないといけないと常日頃思っています。それは打ち手としての責任というか。だから、蕎麦畑の風や土の匂い、その土地の表情や空気感を見て、心地良い風が吹いたときにこの蕎麦がどうなるのか?と想像します。どう蕎麦を仕立てようか、どうゆでようかと考えるんです。
店主の吉川邦雄さん
「一東庵」店主の吉川邦雄さん。駒込の「小松庵」で16年間、修業した後、2011年に開業。夢は自分の蕎麦畑を持つこと。

「こんにちは!」
ガラリと戸が開き、人懐っこい表情の男性が店に入ってきました。吉川さんが嬉しそうに笑みを浮かべます。

吉川
こちら、埼玉県三芳町で蕎麦農家をされている船津正行さんです。
NOMA
はじめまして。さきほど3年熟成のお蕎麦をいただきましたが、香りは鮮烈で、濃厚な旨味が印象的でした!おふたりが出会ったきっかけは何だったのですか?
吉川
修業時代、産地や蕎麦屋をめぐっていたときに、ある蕎麦屋さんで色の良い蕎麦を見つけて。店主に聞いたら三芳町産と聞いて、すぐに足を運んだんです。
船津
吉川さん、最初「この辺にカブトムシとれますか?」って聞いてきたんですよ(笑)
吉川
最初は、怖いんですもん(笑)。農家さんにアタックするときは、蕎麦の実を譲ってもらえないのが前提なわけです。「ないよ」ってまず言われるから、通うしかない。船津さんは最初からダメっぽかったから「今日はもういいや」と息子のカブトムシ探しに切り替えたんです。
蕎麦農家を営む船津正行さん
埼玉三芳町で蕎麦農家を営む船津正行さん。1995年から蕎麦づくりを始め、現在25ha(東京ドーム5個分!)の蕎麦畑を6人で守る。「昔は蕎麦が嫌いだったんですけどね」とニンマリ。
NOMA
カブトムシが結んでくれたご縁でしたか(笑)。おいしい蕎麦をつくる農家さんの共通点はあるんですか?
吉川
畑や土や蕎麦の話になると目が変わる瞬間があるんですね。そのときに「この人は本気なのかな」「どこまで考えているのかな」という気持ちの部分を感じますね。あとはやっぱり、実際に蕎麦の実を挽いて打った蕎麦のでき上がりです。
船津
やる気は大事。吉川さんを通して蕎麦づくりに情熱をかけている全国の蕎麦農家さんに引き合わせてもらったんですが、人によって蕎麦のアプローチが全然違うんです。でも「おいしい蕎麦をつくりたい」という気持ちは一緒だから、向こうの畑に行って学ぶこともあるし、こっちに来てもらって「あの機械のあの部分がわからないので見させてください」とか、情報交換が楽しくて。吉川さんの奥さんが「主人の目が輝いているから今日はまた帰るのが遅くなるわね」って(笑)
ほし
それこそが今の新しい方向じゃないかなと思うんですね。打ち手と生産者が密にキャッチボールしながら、「十割でこういうのをできない?」「もう少しこうしたほうが良い」など、蕎麦もブラッシュアップしている。あとは、十割にしやすい蕎麦に品種改良され、ここ数年で製粉技術も大きく向上していますよね。
船津
製粉しやすく品種改良されてきました。「緑色が映えると良いな」と言うと、緑色が強く出る品種が発売されたり。保管意識も高まりました。真空パックにして冷蔵倉庫で管理するなど、管理方法を細かく工夫するようになったのは最近ですね。
NOMA
日進月歩でおいしくなっているんですね。
蕎麦の実
この日、船津さんが持ってきたふたつの品種は “キタミツキ”と “レラノカオリ”。

船津さんが真空パックにして抱えて持ってきてくれた、新種“キタミツキ”と令和初収穫の“レラノカオリ”。前者は甘み際立つバランスの良さ、後者は大豆のような青っぽい滋味が特徴です。この後、素材の味がダイレクトに分かる蕎麦がきにして試食することに。一同の期待が高まります。

吉川
船津さんはこうやっていろいろな蕎麦を持ってきてくれる。それが楽しいんです。
船津
“レラノカオリ”は僕もまだ試食できていないから、いったいどんな味になっているかな。
蕎麦の実は、小石を除き表皮の汚れを落とした後、0.2mmごとに12のサイズに選別する。「大中小で微妙に味わいが違う。たとえば5.2と小さい粒をミックスするとか、“良い味”をつくっていきます」。
蕎麦の状態を見極めながら、電動石臼、麦挽き用卓上木臼を使いわけて粉を挽き、手打ちする。
仕入れから選別、蕎麦打ち、ゆで作業まですべてをひとりで行う。「人に釜前を譲るな」と言われるゆで作業は、蕎麦の性質を把握していないと仕立ても風味も味わいも変わる。大事な最後の仕上げ。
湯はアルカリ性が高い方が良い。コンディションによって時間を微調整し、最適なタイミングでゆで上げる。
手早く流水で締め、蕎麦の熱の入りを止める。
最後の盛り付けまで気を抜かない。背中から漂うストイックかつピュアな蕎麦愛。

蕎麦農家と打ち手の交流から生まれる新しい味。

ほし
吉川さんは農家さん同士を繋げる、プロデューサーのような役割をされていますね。
吉川
おいしい蕎麦をつくる農家さんの愛と情熱を感じてもらえたらと、お客さんや知り合いの蕎麦屋さんを連れて収穫させてもらいに行ったり、新年会を開いたりしています。3人の打ち手で、同じ畑の同じ蕎麦粉を挽き方、打ち方違いで食べ比べしたこともあります。釜前で職人が技の見せ合いをして、スマホで撮り合ったりして楽しかったですね。
船津
吉川さんが全国の農家さんを紹介してくれたおかげで、千葉、茨城、長野などいろいろな土地で同じ品種を育てる試みもしました。
そばみそ
ちびちび舐めたい“そばみそ”324円は、江戸甘味噌の香り高い風味が印象的。限定の“おまかせ酒肴”2,160円などもあり、料理も多彩でそそられる。
NOMA
“遊び”がきちんとあるのが良いですね。味はどうでした?
船津
想像以上に違いましたね。蕎麦は弱アルカリ性の土壌を好むんです。うちでは化学肥料を使わずに農業の原点に立ち返った土づくりを重視しているのですが、「鰹節のカスを肥料にするとこうなったよ」とか、知恵や技術を見せ合えるのが楽しくて。在来種も含めて蕎麦はおもしろくて難しいです。
吉川
元気な農家さんたち、蕎麦屋さんたちと一緒に蕎麦界を盛り立てていけたらなと。後継者問題が深刻ですので、気持ちのある若手の生産者さんの出会いは大切にしています。でも、農家同士が繋がり出したのはここ最近ですね。
ほし
こういう交流は農家さんにとってもモチベーションに繋がりますよね。
船津
はい。吉川さんは人を巻き込むのが上手なんです。その人となりを見て、人同士をうまく繋げてくれる。本人に魅力があるからできることだと思いますが。
NOMA
蕎麦の愛を着々と紡いでいらっしゃいますね。こうして人の繋がりや物語を聞かせてもらえると、食べるときの気持ちや咀嚼の仕方が変わってきます。蕎麦好きとしても嬉しいお話。
鴨ロース炙り
ロゼ色の“鴨ロース煮”864円は、上品で豊かな味わい。醤油とだしに漬け込んだ鴨肉を蒸し焼きにし、軽く焼いてからだしに浸したもの。見た目も味わいも高級なひと皿。
NOMA
お料理も細胞が喜ぶ味わいですね。蕎麦も料理もしれっと手が込んでいます。
ほし
そうでしょう。これから蕎麦がきをいくつかかいてくれるそうです。貴重な体験になるはずですよ。
焼き玉子
だしがひたひた、心地良い舌触りの“焼き玉子”1,026円。北海道厚真町の平飼い卵は優しいレモン色。しっとりふるふる、素直で優しい癒やし系。

――つづく。

店舗情報店舗情報

一東菴
  • 【住所】東京都北区東十条2-16-10
  • 【電話番号】03-6903-3833
  • 【営業時間】11:45~14:00(L.O.)、18:00~20:00(L.O.)、火曜、水曜は昼のみ、祝日は12:00~15:00(L.O.)
  • 【定休日】日曜、月曜、祝日不定休
  • 【アクセス】JR「東十条駅」より2分

文:森本亮子 写真:本野克佳 ヘアスタイリング:河原里美

森本 亮子

森本 亮子 (編集者・ライター)

1980年兵庫生まれ、東京・錦糸町界隈に生息。出版社の雑誌編集を経てフリー9年目。肉(偏愛部位はハラミとクリ)、酒、下町酒場、イタリア、盆栽が好き。