石原壮一郎さんの青春18きっぷ行き当たりばっ旅。
熱海で足湯に浸かり、駅弁を買う。

熱海で足湯に浸かり、駅弁を買う。

三重県は松阪を目指す「青春18きっぷ」の旅。藤沢では立ち食いうどんを食べ、根府川では憧れへの挫折を味わいました。熱海行きの電車に揺られながら石原壮一郎さんは言います。「青春を取り戻すために大切なものが熱海にあるんです」。

温泉にまつわる青春のドラマ。

「熱海に来たのに温泉に入らないのは、熱海に失礼ではないだろうか!」
「いや、でも、まだ先は長いし、時間的に厳しくないですか」
フレッシュ系若手編集者のカワノ君、おにぎり大好き写真家のサカモトさん、そして私の「青春18きっぷ」で青春を探しに行く旅は、さらに続きます。6時34分に池袋駅を出て、今は9時頃。旅は始まったばかりですが、すでにたくさんの青春を見つけました。

電車

熱海駅の3つ手前の根府川駅で「海岸で追いかけっこしよう!(男3人で)」と意気込みつつ途中下車したものの、海ははるか崖の下。泣く泣く諦めて次に来た熱海行きの電車に乗りました。「きっとあの海はすっぱい(©イソップ童話)」と言い合いつつ、熱海駅に9時14分に到着。
冒頭のカワノ君の心配はもっともですが、私は何の目算もなく「温泉に入ろう!」と言ったわけではありません。熱海駅の駅前には、誰でも無料で浸かれる足湯があります。その存在は知っていても、今まで浸かったことはありませんでした。9時37分発の電車に乗るのを目指すとして、23分あれば足湯には十分です。今日こそ絶好のチャンス!

熱海駅
靴下を脱ぐ

首都圏在住のそれなりの年齢の男女は、ほぼ必ず、熱海にまつわるいくつかのドラマを持っています。ちょっと熱めの足湯に浸かりながら、あんなことやこんなことを回想。時の流れはすべてを甘酸っぱい想い出にしてくれます。と、あえて思わせぶりな書き方をして、見栄を張ってみました。
「幸せそうにニヤニヤしてらっしゃるところに水を差して申し訳ないんですけど、温泉ってあんまり青春って感じではないですよね」
温泉なのに水を差す。うまいこと言いますね、カワノ君。いや、それがそうでもないんですよ。温泉ブームが盛り上がって、それまで年寄り臭いイメージだった温泉が若者にも人気の場所になったのは、まさに我々が若かりし頃でした。「温泉」という響きには、初々しい夢や希望や憧れや妄想が詰まっているのです。いわば青春を象徴する言葉のひとつなのです。

足湯

熱海で神奈川オールスターズと出逢う。

いつまでも足湯と想い出に浸っている場合ではありません。そして、小腹もすいてきました。駅構内にあるいかにもそそる店構えの、その名も「駅弁屋」をチェック。
な、なんだこれ!?「鯵とハムの押寿し」なる駅弁が。しかも鎌倉ハム。和洋折衷のようでいて、神奈川オールスターズつながり。おや、パッケージをよく見ると「大船軒」の文字が。前回、藤沢駅で食べたおいしい立ち食い蕎麦の店も「大船軒」でした。
「ここも大船軒さんなんですか?」
「はい、そうなんです」
おにぎり大好き写真家のサカモトさんが、売り場のベテラン美女のおねえさんに話しかけます。
「さっき藤沢駅の立ち食いのお店も行ってきました。おいしかったです」
「あらあ、そうですか。ありがとうございます」
たちまち懐に入り込み、相手のやわらかい表情を引き出す人柄の妙技。そして、一瞬のチャンスを逃さない電光石火のシャッターさばき。この旅では随所で、サカモトさんの素晴らしいテクニックにほれぼれし、大いに助けてもらいました。
「ハムの押寿し用にオリーブオイルも付いてますけど、お醤油でもおいしいですよ」
おねえさんが会社の方針に盾つくような裏技をこっそり伝授してくれたのも、きっとサカモトさんに心を許したからに違いありません。いよ、ベテラン美女殺し!

鯵とハムの押寿し

ついでに隣りの売店で「こがしまんじゅう」も買い込みつつ、予定通り9時37分発の島田行きに乗り込みます。さっそく「鯵とハムの押寿し」をオープン。おお、美しい!しかし、ハムが2個で鯵が4個。こちらは3人。わかっていたこととはいえ、わけようがないという現実を目の当たりにしてメンバーの間に緊張感が走ります。
「石原さんは記事を書かないといけませんから、ひとつずつ召し上がってください」
よく言ったカワノ君、編集者の鏡!

ではお言葉に甘えて、まずは初体験のハムの押寿しから。

鯵とハムの押寿し
石原さん

1900年創業の鎌倉ハムが丹精込めてつくったボンレスハムには、肉の旨味が凝縮しています。酢飯といっしょに噛みしめると、ああ、口の中でハムと酢飯の舞い踊り。西洋と日本の見事なマリアージュです。ビバ、国際結婚!
前半はオリーブオイルと添付のスパイス、後半は醤油で食べてみましたが、どちらも甲乙つけがたいおいしさでした。しかし、ただ売店で買っただけだったら、醤油バージョンはきっと試していないでしょう。これもおねえさんとの会話のおかげ。旅における、いや人生におけるコミュニケーションの大切さを改めて思い知りました。

残った1個のハムの押寿しをどっちが食べるか、ジャンケンで決めるか半分ずつかというふたりの攻防を横目に、鯵の押寿しもパクリ。こちらも、神奈川県の歴史と心意気を感じさせる貫録の味でした。半端に残った最後の1個の鯵の押寿しは「キミたちでわけるがいいさ」と権利を放棄。青春を求める旅にチラッと顔をのぞかせた大人力。ま、よく考えたら、私はハムをまるごと1個食べているのでハム1+鯵1=2個、ふたりはハム0.5+鯵1+鯵0.5=2個だから、大人力でもなんでもなくきっちり平等ですね。

大船軒の「駅弁屋」は、東海道線の神奈川県内の主な駅だけでなく、東京駅や小田急新宿駅などにもあるようです。今度この駅弁を見かけたら、すかさず買ってハム2個と鯵4個をひとり占めしようと心に誓いつつ、東海道線はさらに西に向かいます。
なぜ、3人で駅弁ひとつという控え目かつややこしい買い方をしたのか。それは、この先の静岡駅で食べるつもりのビッグなアレのために、お腹に余裕を残しておく必要があったから。待ってろよ、ビッグでさわやかなアレ!

――迫力の第四回につづく。

店舗情報店舗情報

駅弁屋
  • 【住所】静岡県熱海市田原本町11-11
  • 【電話番号】0466-22-0688
  • 【営業時間】6:30~18:00
  • 【定休日】なし
  • 【アクセス】JR「熱海駅」構内

文:石原壮一郎 写真:阪本勇

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石原 壮一郎(コラムニスト)

1963年、三重県松阪市生まれ。大学時代に作成したミニコミ誌が注目を集めたことをきっかけに、雑誌編集の道に進む。1993年に『大人養成講座』(扶桑社)でコラムニストデビュー。シリーズ累計50万部を超す大ヒットとなる。以来、日本の大人シーンを牽引。2004年に上梓した『大人力検定』(文芸春秋)も大きな話題を呼び、テレビやラジオ、ウェブ、ゲームソフトなど幅広い展開を見せた。2012年には「伊勢うどん友の会」を結成し、2013年に世界初の伊勢うどん大使に就任。2016年からは松阪市ブランド大使も務める。近著に『思い出を宝ものに変える 家族史ノート[一生保存版]』(ワニプラス)、『本当に必要とされる最強マナー』『大人の人間関係』(ともに日本文芸社)などがある。