石原壮一郎さんの青春旅は、目的地である松阪の中華そば屋「不二屋」に到着。と思ったら、なんとまさかの定休日!翌朝、気を取り直して再び店を訪ねるとすでに開店を待つ人で行列が……。石原さんの想い出の味「不二屋」の“中華そば”をいただきます。
「な、なんですかこの中華そば!今まで食べたことがない味です!これはすごい!」
「焼きそばもおいしいですね。今まで食べたかた焼きそばとは、まったく別ものです!」
そうでしょう、そうでしょう。なんといっても、松阪が誇る名店「不二屋」で60年以上にわたって人気を集めている看板メニューですから。“中華そば”を謡いながらどことなく和風っぽいだし。大量に入っている玉ねぎが、また甘くておいしいですよね。
フレッシュ系若手編集者カワノ君と、おにぎり大好き写真家のサカモトさんが感激に打ち震えている様子を横目で見つつ、私は初めて食べる“チャンポン”に挑みます。これまでは“中華そば”か“やきそば”しか注文したことがありませんでした。
うーん、さすが不二屋!とろみのあるやさしい味のスープが麺にからみついて、すするたびに体全体に幸せが広がります。“中華そば”とも“やきそば”とも、また違う滋味深さ。長崎ちゃんぽんに十分な敬意をはらいつつ、独自の個性が炸裂しています。
“中華そば”も“やきそば”も“チャンポン”も、不二屋で出てくるのは他店の同じ名前のメニューとは別ものであると同時に、おいしさはどこの店にも負けません。「青は藍より出でて藍より青し」という諺がピッタリです。「中華そばは中華そばより出でて中華そばより中華そば」……早口言葉みたいになってしまいました。
それぞれを順番に味わっているカワノ君とサカモトさんと私の「青春3人組」は、青春18きっぷで池袋駅から松阪駅にたどり着きました。長い旅の中で、たくさんの青春を見つけたり想い出したり。目指してきたゴールは、幼い頃から大好きだった「中華そばの不二屋」です。
前回ご報告したとおり、昨日の夕方、快速みえに乗ってあわてて駆けつけたものの、あいにくの定休日でした。仕切り直しということで、今日は11時の開店と同時に店の前へ。平日の午前中にもかかわらず、5人が並んでいました。
松阪には、不二屋と似た味と似た具の中華そばを出す店が何軒があります。“松阪スタイルの中華そば”について取材するのは、長年の念願でした。やっと訪れたチャンス。
“松阪スタイルの中華そば”の元祖は、この不二屋だと聞いています。三代目店主の野口克己さんに、謎を解き明かしてもらいました。
話しているうちに、野口さんは中学校の一年先輩だと判明。共通の知り合いもたくさんいました。先輩、よろしくお願いします。
「ああ、磯田君とこの近所ですか。宇野君もやな。それはさておきとして、ウチは昭和4年に『うどんの不二屋』として創業しました。それなりに繁盛してたみたいですけど、祖父で創業者の野口榮一が『この先、うどんだけではあかん』と思ったみたいで、昭和30年頃に“中華そば”を始めました。祖父は食べ歩きが趣味で、大阪かどっかで食べた中華そばがおいしかったようです。当時まだ松阪には、中華そばの店はありませんでした」
素晴らしい先見の明。その頃のことですから、レシピも手探りです。試行錯誤の末、煮干しや鰹節が効いたうどんのだしをベースに、ラードや醤油、調味料を加えて、”不二屋の中華そば”が完成。なるほど元がうどん屋さんだから、和風テイストなんですね!具の内容や分量も初代が考えて、そのまま引き継いでいるとか。
「うどん屋の組合の仲間は、最初は『不二屋さん、変わったもん始めたなあ』という感じでちょっと冷ややかに見てたらしいですけど、出してみたらこれがすごい人気で。そうなるとみなさん『ウチも出したい』『どうやってつくるんや?』てな調子で、あっという間に松阪じゅうのうどん屋さんが出すようになったそうです」
なんとのどかで大らかな話でしょう。たしかに、出すなとも言えませんよね。2年後には、中華料理の“かた焼きあんかけそば”や長崎の"皿うどん”を不二屋流にアレンジした“やきそば”が誕生。こちらもたちまち人気メニューとなります。
昭和30年代といえば、戦争が終わって世の中が落ち着き、松阪の町もどんどん発展していました。昭和30年代、40年代は、このあたりの商店街には常に人があふれていたと聞きます。
戦後の松阪を支えてきた我々の親世代にとって、不二屋の“中華そば”や“やきそば”は、たまに奮発して食べるごちそうであり、青春の記憶と深く結びついているに違いありません。「最初のデートは不二屋だった」というベテラン夫婦も、きっとたくさんいるでしょう。
お昼が近づいてきて、店内は満員の大盛況。親に連れられてきた小さい子供、年配のご婦人も、大きな丼に入った”中華そば”や大きな皿に乗った”やきそば”を平らげています。女の子が食べているのは”冷やし中華”ですね。おいしいだけでなく、量が多いのも不二屋の特徴。
「ウチの”中華そば”は麺が240gで、野菜が300gぐらいと、あとは豚肉やかまぼこが入ってます。”やきそば”は200gの麺をラードで揚げて、野菜は同じぐらいです。今の時代からすると多めかも知れませんけど、これは変えられませんね。スープの味はもちろん、野菜の種類も変えられません。何十年も通ってくれているお客さんや、何十年ぶりかに来てくれたお客さんに、『前の不二屋と違うな』と想われたら申し訳ないですから」
不二屋の味や記憶は、もはや不二屋だけのものではありません。松阪に住む人にとっても、私たちのように離れて暮らしているものにとっても、70代や80代にとっても、20代、30代にとっても、青春を象徴する味と言えるでしょう。
そうか、私たちはここの“中華そば”や“やきそば”を通じて、松阪という町の青春と出会っていたわけですね。どうりで、懐かしいだけじゃなくて心にしみる味だと思いました。
おっと、野口さんと話し込んで、カワノ君やサカモトさんのことを忘れてました。あ、ついたての向こうで松阪美女のご婦人二人組に話しかけています。混ぜてもらいましょう。
「はい、市内から来ました。私が姉でこっちは妹です。もう何十年来てるかなあ。量は多いですけど、お昼をここで食べる日は朝ごはんは抜いてきますから、何とか食べられますね。この人は玉ねぎが苦手で、いつも私の丼に入れてくるんですよ」
えっ、淡路島から取り寄せているお店自慢の玉ねぎなのに。妹さんは自分の丼の玉ねぎをせっせと姉の丼に移します。黙ってそれを食べる姉。呼吸がピッタリです。姉妹の固い絆を目の当たりにして、涙を禁じ得ません。玉ねぎだけに。
不二屋が今のビルになったのは、平成4年のこと。その6年ほど前に他店での修業を終えて戻ってきた野口さんが、二代目である父親の不二男さんに「これからはお前の好きにしろ」と言われて「三代目」になったときでした。建て替えと同時に、お客さんが持参した鍋に入れて持ち帰っていたテイクアウトも、きちんとした容器をつくって本格的にスタートさせます。
「初代が始めた商売を二代目が守り継いで、だいたい三代目はそれを変えたがる。味や量は変えませんけど、ネット通販を始めたりとか、時代に合わせて変化させるべき部分は変化させてます。二代目は今も現役なんですけど、好きにさせてくれるのはありがたいですね」
人気店だけに、支店を出さないかという誘いも多いとか。しかし「同じ味を提供できるとは限らないから」と断わり続けているそうです。
「ここに来て食べてくださいと偉そうに言うつもりはないんですけど、来てもらったらいちばんおいしいものを出す自信はあります。わざわざでなくていいので、お伊勢参りのついでにでも寄ってもらえたら嬉しいです」
店にも看板メニューにも歴史あり。ちょっと遠慮がちなコメントにも、松阪人気質が表われています。想い出の味を堪能し、長年の謎も解明できて、ついに青春旅を終えるときが……と思ったら、さにあらず。終わりそうで終わらないのが青春です。モーちょっとお付き合いいただいて、あの有名な駅弁で締めくくることにしましょう。
――惜別の最終回につづく
文:石原壮一郎 写真:阪本勇