グラスの縁に塩をまとった、グレープフルーツとウォッカのカクテルは、汗をかいた日はひと際しみ入る一杯だ。だがそれは、アレンジされて広まったスタイルだった。今回は、本来の伝統的なスタイルで味わえる、もうひとつのソルティドッグをどうぞ。
リン、リリリリリン!と古めかしい音で「EST!」の黒電話が鳴る。
その度に視線は音の先を追い、黒電話の上に掲げられた一枚の絵に留まる。
絵には「Salty Dog」の文字と水兵の姿が描かれている。
これは、PROCOL HARUM(プロコル ハルム)という1960~70年代に活躍したイギリスのロックバンドのレコードジャケットである。サードアルバムのその名も「Salty Dog」で、1969年にリリースされたものだという。
どんな曲は知らないが、ソルティドッグは押しも押されぬスタンダードカクテルのひとつである。ウォッカとグレープフルーツジュースを合わせ、グラスの縁に塩をまとわせるスノースタイルで供される。グレープフルーツの軽やかな苦味と酸味に塩気が合う。
とくに汗をかく夏の時分などは、スーッと体にしみ込んでいくように飲めてしまう。
このスタンダードなソルティドッグのみならず、「EST!」にはオールドスタイルのファンも多い。
オールドスタイル、つまり伝統的なスタイルのソルティドッグとは、ベースはウォッカでなくジン。
スノースタイルでなはく、塩はカクテルの中にイン。
そして、ビルドではなくシェイクで仕上げる。
と、中々に大きな違いがある。
「僕もいろいろ昔の本を持っているけれど、そう書かれているのを見たのは一冊だけかな。もうとっくになくなってしまった浅草のバーのマスターが、自分で調べて書いた本があったんですよ。ああ、これも古い本です」
そう言って、洋酒に精通する貴重な存在だった三沢光之助さんの年季の入った書物を見せてくれた。
このカクテルが生まれたのは、1940年代のこと。太陽のもとで潮風を受け、汗まみれで仕事をする甲板員は、スラングでソルティドッグと呼ばれていた。ジンはかつてイギリス海軍から支給されていた象徴的な酒で、壊血病を防ぐために、柑橘のジュースを一緒に飲むことが推奨されていた。
「走っている船の上でそのお酒を飲んでいるときに、波しぶきがはねて海水が入ったことが始まりとも聞きます。それがアメリカに伝わると、ベースはウォッカとなり、つくりかたも変わり、そのスタイルが世界に広がったといいます。僕のところでは、こういうのもあり、としてオールドスタイルをご紹介しています。こちらの方が好き、なんてお客様も結構いらっしゃいますよ」
ところで、あのレコードは誰が買い求めたものなのだろう?
「ああ、僕が神田で買い求めました。人からそういうものがあると聞いて探したんだと思います。もっとも僕の目当てはバーに飾るためのジャケット。レコードは聴いてないんです」
――つづく。
文:沼由美子 写真:渡部健五