「EST!」のカクテルブック
"ラハイナ"で遠くの夏を想う|「EST!」のカクテルブック11杯目

"ラハイナ"で遠くの夏を想う|「EST!」のカクテルブック11杯目

“ラハイナ”はハワイ王国の都を名前に掲げたオリジナルカクテルである。パイナップルのジュースとフロートした高アルコールの濃厚なラムが、今ここにある夏ではなく、南国の遠く懐古的な夏を想わせる。

レトロなハワイへの憧憬のカクテルである。

「EST!」には10年ほど前まで定休日がなかった。
1973年に自身のバーを構えたマスターの渡辺昭男さんは、実家の佐賀県唐津の墓守に帰郷する際も日帰りし、店を休まなかったほどである。
お客様が来たいと思う時にバーが休みであってはいけないと、定休日を設けずにカウンターに立ち続けてきた。

マスターの渡辺昭男さんと、次男でバーテンダーの宗憲さん
「EST!」マスターの渡辺昭男さんと、次男でバーテンダーの宗憲さん。

リハビリのためにマスターがバーに立てない現在、店を守っている次男の宗憲さんが幼少期のエピソードを話してくれた。
「父はとにかく仕事第一で、ほとんど家にいなかったですね。ある時、母も姉も留守で、まだ小さかった兄と僕が家で遊んでいて、なにかの拍子に僕が箪笥の下敷きになってしまったんです。子どもの力では箪笥は持ち上げられず、兄はどうしようもなくて父の店に電話したんです。すると、病院に電話だけはしてくれたようでしたが『そのまま待っていなさい』という返事。仕事中の父が駆けつけてくれることはありませんでした。今となってはその気持ちもわかるんですけどね」

定休日すらつくらないマスターだったが、香港とハワイへの買い付けの旅だけは別だった。
洋酒のネットショッピングなどない時代、日本で入手しがたい洋酒を手に入れるためでもあり、マスターの強い好奇心を満たす稀有な時間でもあった。

渡辺昭男さん
若い時代から、海外にも遠征して稀少な酒を買い集めてきた。
似顔絵
入口にはプレゼントされた似顔絵が飾られる。

カクテル“ラハイナ”は、よく訪れていたハワイの地を想ってつくったオリジナルのカクテルである。

ラハイナ
パイナップルの果汁が香る、オリジナルカクテルの“ラハイナ”。

仕上げに“色気”をフロートする。

マスターが語る。
「1980年代にマウイ島に行ったとき、ガス灯を灯した小さな汽車が走っていて、サトウキビを積むための汽車でした。その情景をカクテルで表現してみたんです」
ハワイ王国の首都だったラハイナがあるマウイ島は、サトウキビ産業の中心地だった。輸送のための鉄道が走り、旅客営業も行っていた。
1966年でサトウキビ輸送の運行は終えてしまうが、その後は観光鉄道として往年の姿をとどめ、ラハイナ郊外から荒野を周遊していたのだった。

ラムは2種を使って重層的な味わいに。
レモンジュース5mlをシェイカーへ入れる。
3年熟成させたキューバ産のホワイト・ラム“ハバナクラブ”60mlを加える。
パイナップルを搾ったジュース60mlを加える。
シェイクする。
グラスに注ぐ。

「ラムは2種類使います。くせがなく軽やかなホワイトラムをベースに、熟したパイナップルを搾ってジュースにします。レモンジュースも加えてシェイクしたら、アルコール度数75.5度のラムをそっと垂らして浮かべます。カクテルは見た目が重要でしょう。“レモンハート デメララ”は色も濃くてフロートした分に色の違いがでますし、高いアルコールとコクで味も締まります」

フロート
高アルコールのラム“レモンハート デメララ”をそっと垂らしてフロートに。南アフリカのガイアナ共和国にある蒸留所で造られた原酒を熟成したラムで、すでに終売している希少なものだ。

「それにまぁ、やはり“色気”ですね。最後にフロートして、見た目も味も粋に仕上げたかったんです」

搾りたてのパイナップルのジュースと重層的なラムの香りは、今過ごしている東京の夏ではなく、遠い南国の懐古的な夏を想わせた。
それは、晩夏へと向かっていく季節のうつろいの中で感じる、盛夏への憧憬のようでもあった。

ラハイナ

――つづく。

店舗情報店舗情報

EST!
  • 【住所】東京都文京区湯島345-3 小林ビル1階
  • 【電話番号】03-3831-0403
  • 【営業時間】18:00~24:00
  • 【定休日】日曜
  • 【アクセス】東京メトロ「湯島駅」より1分

文:沼由美子 写真:渡部健五

沼 由美子

沼 由美子 (ライター・編集者)

横浜生まれ。バー巡りがライフワーク。とくに日本のバー文化の黎明期を支えてきた“おじいさんバーテンダー”にシビれる。醸造酒、蒸留酒も共に愛しており、フルーツブランデーに関しては東欧、フランス・アルザスの蒸留所を訪ねるほど惹かれている。最近は、まわれどまわれどその魅力が尽きることのない懐深き街、浅草を探訪する日々。