2019年に7年を迎えたばかりのワインスタンド店主に、同じ恵比寿の街で、創業71年の居酒屋が教えてくれること。歴史も、扱うお酒もまるで違うけれど、どちらも「酒場」。人は何を求めて酒場へ足を向け、どう迎えられ、どんな気持ちで呑みたいのか。大切なことは、令和の夜も昭和の夜もたぶん、それほど変わらない。
昭和/酒寮さいき Shuryo Saiki
僕/大山恭弘 “Wine Stand Waltz”〈ワイン スタンド ワルツ〉
「酒寮さいき」は、終戦3年後の昭和23年、渋谷橋のあたりで開業した。
隣町の恵比寿に木造一軒家を構えたのは、その翌年。戦火によって焼失した恵比寿駅も、まだ寄せ集めの木材によるバラックだった時代。
初代の齋木櫻子さんは、1階が店舗、2階は住居という建物を建て、それが70年後のいまも遺っている。
着物に白い割烹着の女将は、酒場の隅々にまで目を光らせた。
35年来の常連によると、もの静かだがぴしっと筋の通った人。行儀作法、お魚の食べ方などに厳しい人。
酔客の絡み酒、女性の甲高い声、横柄な物言いなど場にそぐわないお客には、どんな偉い人であろうが「今日はお帰りくださいな」とレッドカードを出す。
だから、「さいき」という酒場の秩序は保たれた。
文士も役者も、政治家も学生も、みんな女将を「お母さん」や「ママさん」と呼び、顔を見れば安心し、彼女を慕って足を運んだ。先の常連客曰く、彼女ができるとお母さんに会わせるために連れてきた。
二代目は息子の邦彦さん、通称はクニさん。お酒が好きで少々やんちゃ、しかし不思議と愛される人だった。
歌舞伎、新劇とあらゆる芝居を愛し、文学に耽る。博識で、カウンター越しにどんな質問や相談を投げかけても、バシッと的確な答えを返してくれたそうだ。
粋人であり、ロマンティストでもあった。
いつも店の窓を開けていたのは、近年まで冷房がなかったせいもあるけれど、何より草花の好きなクニさんが、風に運ばれてくる花の香りを好んだからだ。
「さいき」の軒先には、綺麗に手入れされた植木が並んでいる。
櫻子さんは11年前、クニさんは昨年に他界し、世話をする人はいなくなったが、現在も近所の花屋さんが定期的に草花の面倒を見てくれる。
「さいき」には、櫻子さんが定めた習わしがいくつかある。
たとえば、終電に間に合うよう、閉店は10分ほど進めた柱時計で23時まで。
入店するお客は「お帰りなさい」の言葉で迎え、夜の街に出て行くお客は「行ってらっしゃい」と送り出す。
それらは櫻子さんからクニさんへ、各時代のアルバイト――学生や役者の卵、現在ではアジアからの留学生たち――へと引き継がれている。
「ワイン スタンド ワルツ」の大山恭弘さんは、初代にも二代目にも会えなかったけれど、ひとりで暖簾をくぐったとき、彼らが遺したその一言に迎えられ、こう確信した。
酒場とは、「いらっしゃいませ」と「お帰りなさい」が一緒になる夢の仕事。
「結局ボクは“場”が好きなんだなって。ワイン屋なのにあまり生産者を訪ねたりしないのは、ワインが造られるプロセス以上に、酒場という現場が好きだから」
店主とお客とのセッション、呑み手同士のゆるやかな連帯、それらが渦巻く現場でしか生まれない、共感や喜びや癒やしといった感覚。
「もしも人生が祭りで、ともに呑める空間を何十年もずっと変わらずこの地『恵比寿』で続けていくことができれば、それが最高」
恵比寿の大先輩は、「普通」を日々淡々と続けてきた。その結果の71年。
同じ街で酒場をやって行くからには、せめて背中の見えるところまでは辿りつきたい、と開店7年のワイン屋店主は思う。でも、「さいき」を訪れる度、むしろ背中は遠く思えて仕方がない。
ただひとつ。孫世代の彼は祖父母のようなお店に敬意を持って、自分のお客たちを、心の中で「お帰りなさい」と変換して迎えている。
――「さいきとワルツ」おしまい。
文:井川直子 写真:キッチンミノル