いまや世界中からナチュラルワイン好きがやって来る、小さなワインスタンド「ワイン スタンド ワルツ」。2019年に恵比寿で7年を迎えた店主の大山恭弘さんが尊敬するのは、同じ街で、戦後から70年以上続く居酒屋「酒寮さいき」。人間で言えば、孫とおじいちゃん。歴史を刻むその背中は、大きくて、果てしなくやさしい。
昭和/酒寮さいき Shuryo Saiki
僕/大山恭弘 “Wine Stand Waltz”〈ワイン スタンド ワルツ〉
恵比寿の駅の東側で、大山恭弘さんは「ワルツ」という名前のワインスタンドを営んでいる。
駅前から続く裏道を8分少々歩いていくと、そこだけぽっかりと、木々がトンネルをつくる場所がある。森の奥の小さな灯りへ。まるで映画『スタンド・バイ・ミー』の少年たちの如く、どきどきしながら誘われる大人たち。
迎えるのは、エッジなワインを選ぶ森の住人、大山さん。
彼の差し出すワインを呑むため、彼に会うため、あるいはこの4坪の世界で過ごすために、いまや地球の至るところからナチュラルワイン・ラヴァーたちが吸い込まれている店である。
その店主本人がときどき吸い込まれているのが、駅の反対側、西側にある居酒屋「酒寮さいき」であった。
2019年で創業71年になる、恵比寿の大先輩。
「だから気になってはいたけど、ちょっと怖かったんですよね、こんな新参者がお邪魔していいものかと」
すると、いつも「さいき」から「ワルツ」へとハシゴする常連客が「今度、仲間の送別会があるからおいでよ」と誘ってくれた。
スクラップ・アンド・ビルドが繰り返されてきた繁華街にあって、奇跡的に遺された木造家屋。家紋を染め抜いた暖簾をくぐり、大山さんは2階のお座敷へ上がる。
すると、昭和の大人たちがわらわらと、30人ほどいただろうか。
彼らはひょっこり飛び込んだ初見の客を見つけると、「まぁまぁ、こっちに座りなさいよ」と甥っ子みたいに迎えてくれた。
迎えられること。それもお正月、親戚の集まりに行ったみたいな迎えられ方に、嬉しくなった。
以来、同じ日曜休みだから自分の店が臨時休業の日に限られるが、大山さんはひとりで「さいき」を訪れる。
決まって口開け、開店の17時。酒場に喧噪が訪れる前の静けさは、彼曰く「空気が澄んでいる、神聖な時間」だ。
カウンターでひとり、まずは生ビールから。三品のお通しをあてに喉を潤し、落ち着いたところでだし巻き玉子、海老しんじょう。
「だし巻き玉子はボリュームがあって、おばあちゃん家で『たくさん食べなさい』って出てくるあの感じです」
きっと、おばあちゃん、おじいちゃん子だったに違いない。孫のためにとたくさんつくってくれたおばあちゃんのおかずを、たくさん食べて育ってきた、その先にいまの彼がいる気がしてならない。
なぜなら、少しくらい自分の思惑とは違っても、非合理的でも、厚意は厚意として受け取るやさしさが「ワルツ」にはあるから。
大山さんは、ひとりで呑むのが好きだ。と言っても「さいき」のカウンターではほぼ100%、誰かと会話することになるけれど、それもまた好きなのだ。
「僕は30年以上通ってるけど、まだまだ新参者だよ」
そう笑いながら、ある日、隣のお客がぽつりぽつりと教えてくれた。昭和文士が集まる酒場だったこと、2階お座敷には作家の島尾敏雄氏が書いた「夢」という色紙があって、その言葉が初代のお墓にも刻まれていること。
常連客が常連客を誇り、「さいき」を誇る。
「そういうのが老舗っていうところなのかな」
彼らが呑み、語り、ともに過ごした歳月をぼんやり想像しながら、なんだかいいなぁ、と大山さんは思った。
――「さいきとワルツ2/2」につづく。
文:井川直子 写真:キッチンミノル