石原壮一郎さんの青春18きっぷ行き当たりばっ旅。
56歳の夏、僕は青春の旅に出る。

56歳の夏、僕は青春の旅に出る。

コラムニストの石原壮一郎さんが「青春18きっぷ」を使って旅に出ます。目指すは石原さんの故郷、三重県松阪市。鈍行列車の旅は、おいしそうな食べ物がある駅で途中下車をしながら進みます。果たして、1日で目的地まで辿り着くのでしょうか。笑いあり涙ありの珍道中の幕開けです。

東京都池袋発、三重県松阪行き。

「石原さん、青春を取り戻してみませんか?」
ず、ずいぶん唐突な提案ですね、フレッシュ系若手編集者のカワノ君。そりゃあ、取り戻せるものなら取り戻したいのは山々です。冷静に考えるとちょっと引っかかるセリフなのはまあいいとして、よかったら詳しく話してみてください。
「ご実家は三重県松阪市ですよね。青春18きっぷで東京から帰省して、途中でおいしいものを食べまくるのはどうでしょう。ゴールの松阪では、石原さんの想い出の味を食べてもらうということで」
おお、それは青春っぽい!ぜひやらせてください!各駅停車を乗り継ぐスローな旅で、お尻が痛くなりそうなことぐらい何のその。いざ行かん、青春を探しに!

列車

人は年齢を重ねるにつれ、どんどん分別臭くなっていきます。ちょっと気を抜くと、綿密な計画を立て、その通りに行動しようとしてしまいがち。青春を取り戻す旅に、予定調和なんて必要ありません。
「そういえば聞いたことがある」「前に知り合いがおいしいと言っていた」程度のあやふやな情報を元に、行き当たりばったりで旅をするとしましょう。
「いや、でもある程度は下調べしたほうが……」
カワノ君、気持ちはわかるけど、現代を生きる私たちは、あまりにも情報に振り回され過ぎています。ここは、下調べしたい欲求をグッとこらえようではありませんか。空振り上等、ハズレ上等。それが旅の醍醐味であり、それでこそ青春です。

しかも、青春18きっぷの旅は、スピード重視、効率重視な世の中に対するアンチテーゼにほかなりません。私たちは何のために急いでいるのか、なぜ急いでしまうのか、長い道のりのあいだに己を振り返ってみようと思います。
と言いつつ、こんな調子でのんびり書いていると、なかなか先に進みませんね。スピード重視を否定したそばから何ですけど、もうちょっとスピードを上げましょう。

券売機

いよいよ当日。ちょっと曇り空ですが、雨の心配はなさそうです。共に旅をするメンバーは、カワノ君と、おにぎり大好き写真家のサカモトさん、そして私の3人。湘南新宿ラインの始発である平塚行き快速は池袋駅を6時34分に出発します。
初めての経験である青春18きっぷの購入に手こずるであろう時間も考えて、6時に池袋駅のみどりの窓口前に集合。さすがにまだ、人通りはまばらです。

石原さん

青春18きっぷは5回分で1万1850円(1回2370円)。ひとりで5日に分けて使ってもいいし、同じ行程なら5人で使ってもOK。今回は3人なので、5回分のうち3回を使って松阪に向かいます。残りの2回も、翌日、スタッフがおいしくいただき……じゃなくて、きちんと使い切りました。

後ろ姿

藤沢駅の立ち食い蕎麦屋を目指せ!

最初の目的地は神奈川県の藤沢駅。なぜなら、前に立ち食い蕎麦好きの友人が「藤沢駅ホームの立ち食い蕎麦屋さんはおいしい」と言っていたから。えーっと、高校時代以来40年ぶりぐらいに買った時刻表によると、藤沢に着くのはだいたい1時間後の7時31分ですね。
「おいおい、下調べをさんざんdisってたくせに時刻表はいいのか?」
という声が聞こえてきそうですけど、いいんです!青春18きっぷと時刻表は、カレーと福神漬け以上に切っても切れない名コンビだし、時刻表で次に乗る列車を探すのは旅行の一部であり、けっして予定調和への従属ではありません。
ちょっと強引ですけど、私が時刻表をめくって悪戦苦闘していたら、横から「僕、乗り換えアプリで調べます」と言い出したカワノ君を「いや、気持ちだけで」と制した謎に強固な決意に免じて、どうか大目に見てください。
それにしても久しぶりの時刻表は、どう見たらいいのか想い出すのに時間がかかり、しかも50代の目にはかなり厳しい字の小ささです。

コンパス時刻表2019年8月号
時刻表

朝早くの出発だし下り方向の列車だから、きっとのどかな車中だろうとイメージしていたら大間違い。ホームのドアの位置に長い列ができている時点で、混み具合を予想すべきでした。
浮かれ気分で列の最後尾から乗り込んだら、もちろん座るどころではなく、身体をなるべく小さくしていないといけないぐらいの混み具合です。首都圏の通勤電車をなめていました。青春と現実のせめぎ合いです。
それにしても、おいしいものを食べまくる旅のはずなのに、ここまでカレーと福神漬けのたとえ以外、食べ物の話がまったく出てきていませんね。
長らくお待たせいたしました。もうすぐ、最初の目的地である立ち食い蕎麦屋さんです。今日はあちこちで食べるからと、朝ごはん抜きで集合した私たち3人にとっても、待ちに待った瞬間です。
JR藤沢駅の東海道線ホーム(3、4番線)の階段下にある立食そば屋さん「大船軒」に到着いたしました。

行列

券売機を見ると、朝限定の「朝得」メニューが並んでいます。「得」と言われたら逆らえません。いくつかの中から、やっぱり朝は卵がほしいなと「とろ玉たぬきつね そば・うどん」(380円)をチョイスしました。
しかも「たぬきつね」。「たぬき」と「きつね」の「き」の字を連結させているところに、鉄道っぽさを感じます。
青春18きっぷの旅の一食目としてこれ以上はない麺と出合えた喜びを噛みしめつつ、歴史と風格を感じさせる「大船軒」の店内へ。
さて、そこで出てきたのはどんな一杯だったのか。店内ではどんなドラマが待ち受けていたのか。とうとう食べ物自体は出てこなかった第一回は、ちょうどお時間となりました。

食券

――怒涛の第二回につづく。

店舗情報店舗情報

大船軒
  • 【住所】神奈川県藤沢市75
  • 【電話番号】0466-22-0688
  • 【営業時間】6:30〜21:00、土日祝は〜20:00
  • 【定休日】なし
  • 【アクセス】JR「藤沢駅」3、4番線ホーム

文:石原壮一郎 写真:阪本勇

石原 壮一郎

石原 壮一郎 (コラムニスト)

1963年、三重県松阪市生まれ。大学時代に作成したミニコミ誌が注目を集めたことをきっかけに、雑誌編集の道に進む。1993年に『大人養成講座』(扶桑社)でコラムニストデビュー。シリーズ累計50万部を超す大ヒットとなる。以来、日本の大人シーンを牽引。2004年に上梓した『大人力検定』(文芸春秋)も大きな話題を呼び、テレビやラジオ、ウェブ、ゲームソフトなど幅広い展開を見せた。2012年には「伊勢うどん友の会」を結成し、2013年に世界初の伊勢うどん大使に就任。2016年からは松阪市ブランド大使も務める。近著に『思い出を宝ものに変える 家族史ノート[一生保存版]』(ワニプラス)、『本当に必要とされる最強マナー』『大人の人間関係』(ともに日本文芸社)などがある。