小さくてあたたかい伊豆の食堂「jikka」の話。
「jikka」の料理に国境はない。

「jikka」の料理に国境はない。

須磨信子さんと藤岡幸子さんがこれまで旅した国の思い出や、海外の友人に教わったレシピをミックスした「jikka」のコース料理は、地元で採れた食材のみを使用する。ふたりが腕によりをかけてつくり出す、あたたかで幸せな料理を覗いてみよう。

旬、新鮮さ、地元の素材。

料理好きなふたりがこの家を考えたとき、最も重要だったのはキッチンだった。「広いキッチンと人が集える大きなテーブルさえあれば、このプロジェクトはきっとうまくいくと思った」と、須磨信子さんは話す。
キッチンの奥には、ガラス扉で仕切られた仕込み場があって、藤岡幸子さんがいつも、パン生地を捏ねたり、お菓子をオーブンで焼き上げて仕上げをしたりしている。料理の様子を見ていると、キッチンは彼女たちがどう動くかをあらかじめ考えてつくられたように思えるし、実際、そうなのだろう。

調理風景
仕込みは朝5時から。メニューを決まれば、料理の分担は自然と決まる。そして料理が始まる。素材を洗って皮を剥いたり、切ったりの仕込みを黙々と進めながら、ときおり味付けの確認をしたり。まるで、ふたりで大きな1枚の絵を描いているかのよう。
調理風景
一度のランチで最大18名。コース料理の準備は相当な仕事量だが、ふたりはどんどん仕上げていく。盛り付けの色合いの美しさや器との組み合わせなどは、メニューを考えるときにほぼ決めている。

ふたりがつくる世界の家庭料理は、盛りだくさんでカラフル。食材は地元の農園で育てられた無農薬の旬の野菜や果物を中心に、伊豆の海で採れる魚介類や、地元産の伊豆牛など、地産地消の考え方を大切にしている。
通常は大体6皿前後で構成されていて、最初に必ず登場するのが、季節の野菜のプレート。新玉ねぎがおいしい季節には、皮付きのまるごとグリルが定番。とろりと柔らかく仕上がった玉ねぎは、軽い塩だけで味も香りも引き立ち、十分に食べ応えがある。ほかにも、そら豆やズッキーニ、珍しい種類のじゃがいもや大根、にんじんなどが、素揚げやグリルなど野菜本来のおいしさを最大限に引き立てる調理法で、シンプルに手を加えられて並ぶ。

野菜プレート
「jikka」のランチ一番人気の野菜プレート。世界の家庭料理コースの中で、これだけは伊豆の「jikka」料理と言えるだろう。少しでも多くの種類の新鮮な野菜を楽しんで欲しいという思いが、この皿に集約されている。

プレートには果物も欠かせない。6月はびわだ。びわの味なら知っていると侮るなかれ。瑞々しい果肉の甘さのあとに感じる微かな酸味が印象的で、ヴィネガーか何かで味を調えたのかと思わず聞いてしまったほどだ。

「そうでしょう、旬のものは本当においしいでしょう」

ふたりも話しながら頷く。自然が生み出す味は、こんなに力があって複雑なのかと、プレートの食材を口にするたびに何度も驚いてしまう。野菜には自家製の野菜ソースも少量添えられている。このときはきのこのアヒージョのペースト。シンプルな野菜の味を、きのこのうま味たっぷりのソースで食べる贅沢は、食材が豊富な土地ならではだろう。

グリル野菜
グリルした赤とオレンジのビーツは、まるで果物のような鮮やかさ。同じくグリルした甘いベビーコーン、庭の香りの良いフェンネルをあしらい、酸味の優しい自家製サワークリームを添えて。
魚介料理
伊豆の海でとれた新鮮なイワシは、ロシア風に塩と砂糖で〆る。近所で採れた皮ごとおいしいニューサマーオレンジのスライスを敷いて盛り付け、玉ねぎを炒めたシンプルなソースとともに。

器使いも独特で楽しい。ふたりが国内外の旅先でこつこつ買い集めてきたものを、断捨離せずに新しい家にすべて運び込み、料理に合わせてコーディネートしている。和と洋が自然とミックスされて、それが「jikka」のスタイルになっている。
「世界の」と、うたっているのは、これまで旅した国の思い出や、訪ねたことのない地に思いを馳せたり、あるいは、海外生活の長い友人に教わったレシピなどをミックスし、思いのままにメニューを組み立てたくてそう決めた。この日はロシアの料理ボルシチやピロシキなどを中心に、イタリアの“ズッキーニのハーブグリル”やポルトガルの“パオン・デ・ロー”、日本の炊き込みごはんなど和食と、まるで小さな旅をしたような満足感に浸れた。

ピロシキ
揚げたて熱々の“ピロシキ”は、ふっくら柔らか。つくりたてを味わうという喜びは、老若男女世界共通だ。「jikka」はそんな基本的な部分を特に大切にしている。

「jikka」のコース料理の特徴がもうひとつ。
家庭料理とはいうものの、料理は定食のようにまとめて出されるのではなく、構成に一定のルールがある。旬野菜のプレートのあとには地魚の皿、さらに野菜料理が数品出て、メインはボリュームのあるシチューや具だくさんスープなどの汁物、そのあとに炊き込みごはんと箸休め、最後に食後のコーヒーか紅茶となる。
これは懐石料理の献立が手本となっている。汁物がメインなのも、懐石料理の流れからヒントを得た。懐石料理の主役は椀物だ。肉や魚など存在感のある具材に汁気を加え、高齢者でも食べやすくしようという考え。京都の懐石料理を長年習ってきた、信子さんのアイデアだ。

ロシアをテーマにしたコース
伊豆牛の脛をじっくり煮込んでつくられたボルシチは、ビーツやジャガイモ、ニンジン、キャベツなど野菜の旨味もたっぷりで色鮮やか。ロシアをテーマにした今回のメイン料理。コースは6皿前後。食後にコーヒー、紅茶、日本茶のいずれかが付いて1,500円。追加でデザートの用意もある。

少しだけ手のかかった家庭料理。

伊豆にも、高齢化の波は押し寄せてきている。独りで暮らしている人も多い。年齢が上がるとともに、家での食事をつい簡略化したり、粗雑にしてしまいがちだ。だからときには家の外で、気軽に食事を楽しむ時間を持って欲しいと思い、この場をつくった。
独りで行っても誰かと話ができたり、誰かと知り合うことができたなら、きっと食べに来る前と帰りでは、心の様子も違ってくる。人は人と関わることで、社会的な存在であることを再確認できる。身近に気楽に行ける食事の場があったら、こんなに心強いことはない。ふたりはそう考えている。

ふたり
独りではできないことも、ふたりならできる。仕事でも、プライベートでも孤独は禁物。仕事を通してそこに気がついたからこそ、このプロジェクトが生まれた。

もしも自分の家の近所にそんな場があったとしたら、そこで食べたいものは何だろう。旬のもの、新鮮なもの、健康的なもの。奇抜さよりも親近感のわくもの、高価ではなく、手に届く値段のもの。家庭料理ではあるけれど、少しだけ手間のかかった料理。自分だけのためにはあまりつくらないであろう料理だ。
たとえば、白いごはんは炊くけれど、炊き込みごはんは自分独りのためにはなかなかつくらない。わざわざ食べに来てもらうのだから、そのぐらいのひと手間の楽しみはあってもいいと、ふたりは考える。

スポイトや低温調理器などといった道具とは無縁の、家庭の台所で、基本的な調理器具で生み出す手づくりの味。サーブしてくれるのは、つくっている信子さんか幸子さん。料理や器のことなどをきっかけに、ふとした会話も自然と生まれる。
それこそが、訪れるみんなにとっての「jikka」の料理なのだ。

ご飯もの
日本人なら誰もが親しみのあるごはんものは、「jikka」のコースに欠かせない1品。旬のそら豆を炊き込んで。箸休めは、昆布とニンジン、コンニャクと鰹節を炒り煮にしたきんぴら。

――おわり。

店舗情報店舗情報

jikka
  • 【住所】静岡県伊東市池890‐6
  • 【電話番号】080‐5007‐8444
  • 【営業時間】12:00~15:00 完全予約制
  • 【定休日】日曜、月曜、木曜
  • 【アクセス】伊豆急行「伊豆高原駅」より車で8分

文:馬田草織 写真:高木康行

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馬田 草織(文筆家)

文筆家。おもに食と旅(ポルトガル多め)を書いてます。ほやと納豆とアルコール好き。cakesで「ポルトガル食堂」連載中。著書に『ようこそポルトガル食堂へ』(産業編集センター・幻冬舎文庫)、『ポルトガルのごはんとおつまみ』(大和書房)、最新刊は『ムイト・ボン!ポルトガルを食べる旅』(産業編集センター)。料理とワインを気軽に楽しむ会「ポルトガル食堂」を主宰してます。開催日程などはホームページ(http://badasaori.blogspot.jp)からどうぞ。かつて戦国武将が飲んだ珍蛇酒は、ポートワインかマデイラワインかはたまたシェリーなのか、そのあたりがずっと気になっている。