須磨信子さんと藤岡幸子さんがこれまで旅した国の思い出や、海外の友人に教わったレシピをミックスした「jikka」のコース料理は、地元で採れた食材のみを使用する。ふたりが腕によりをかけてつくり出す、あたたかで幸せな料理を覗いてみよう。
料理好きなふたりがこの家を考えたとき、最も重要だったのはキッチンだった。「広いキッチンと人が集える大きなテーブルさえあれば、このプロジェクトはきっとうまくいくと思った」と、須磨信子さんは話す。
キッチンの奥には、ガラス扉で仕切られた仕込み場があって、藤岡幸子さんがいつも、パン生地を捏ねたり、お菓子をオーブンで焼き上げて仕上げをしたりしている。料理の様子を見ていると、キッチンは彼女たちがどう動くかをあらかじめ考えてつくられたように思えるし、実際、そうなのだろう。
ふたりがつくる世界の家庭料理は、盛りだくさんでカラフル。食材は地元の農園で育てられた無農薬の旬の野菜や果物を中心に、伊豆の海で採れる魚介類や、地元産の伊豆牛など、地産地消の考え方を大切にしている。
通常は大体6皿前後で構成されていて、最初に必ず登場するのが、季節の野菜のプレート。新玉ねぎがおいしい季節には、皮付きのまるごとグリルが定番。とろりと柔らかく仕上がった玉ねぎは、軽い塩だけで味も香りも引き立ち、十分に食べ応えがある。ほかにも、そら豆やズッキーニ、珍しい種類のじゃがいもや大根、にんじんなどが、素揚げやグリルなど野菜本来のおいしさを最大限に引き立てる調理法で、シンプルに手を加えられて並ぶ。
プレートには果物も欠かせない。6月はびわだ。びわの味なら知っていると侮るなかれ。瑞々しい果肉の甘さのあとに感じる微かな酸味が印象的で、ヴィネガーか何かで味を調えたのかと思わず聞いてしまったほどだ。
「そうでしょう、旬のものは本当においしいでしょう」
ふたりも話しながら頷く。自然が生み出す味は、こんなに力があって複雑なのかと、プレートの食材を口にするたびに何度も驚いてしまう。野菜には自家製の野菜ソースも少量添えられている。このときはきのこのアヒージョのペースト。シンプルな野菜の味を、きのこのうま味たっぷりのソースで食べる贅沢は、食材が豊富な土地ならではだろう。
器使いも独特で楽しい。ふたりが国内外の旅先でこつこつ買い集めてきたものを、断捨離せずに新しい家にすべて運び込み、料理に合わせてコーディネートしている。和と洋が自然とミックスされて、それが「jikka」のスタイルになっている。
「世界の」と、うたっているのは、これまで旅した国の思い出や、訪ねたことのない地に思いを馳せたり、あるいは、海外生活の長い友人に教わったレシピなどをミックスし、思いのままにメニューを組み立てたくてそう決めた。この日はロシアの料理ボルシチやピロシキなどを中心に、イタリアの“ズッキーニのハーブグリル”やポルトガルの“パオン・デ・ロー”、日本の炊き込みごはんなど和食と、まるで小さな旅をしたような満足感に浸れた。
「jikka」のコース料理の特徴がもうひとつ。
家庭料理とはいうものの、料理は定食のようにまとめて出されるのではなく、構成に一定のルールがある。旬野菜のプレートのあとには地魚の皿、さらに野菜料理が数品出て、メインはボリュームのあるシチューや具だくさんスープなどの汁物、そのあとに炊き込みごはんと箸休め、最後に食後のコーヒーか紅茶となる。
これは懐石料理の献立が手本となっている。汁物がメインなのも、懐石料理の流れからヒントを得た。懐石料理の主役は椀物だ。肉や魚など存在感のある具材に汁気を加え、高齢者でも食べやすくしようという考え。京都の懐石料理を長年習ってきた、信子さんのアイデアだ。
伊豆にも、高齢化の波は押し寄せてきている。独りで暮らしている人も多い。年齢が上がるとともに、家での食事をつい簡略化したり、粗雑にしてしまいがちだ。だからときには家の外で、気軽に食事を楽しむ時間を持って欲しいと思い、この場をつくった。
独りで行っても誰かと話ができたり、誰かと知り合うことができたなら、きっと食べに来る前と帰りでは、心の様子も違ってくる。人は人と関わることで、社会的な存在であることを再確認できる。身近に気楽に行ける食事の場があったら、こんなに心強いことはない。ふたりはそう考えている。
もしも自分の家の近所にそんな場があったとしたら、そこで食べたいものは何だろう。旬のもの、新鮮なもの、健康的なもの。奇抜さよりも親近感のわくもの、高価ではなく、手に届く値段のもの。家庭料理ではあるけれど、少しだけ手間のかかった料理。自分だけのためにはあまりつくらないであろう料理だ。
たとえば、白いごはんは炊くけれど、炊き込みごはんは自分独りのためにはなかなかつくらない。わざわざ食べに来てもらうのだから、そのぐらいのひと手間の楽しみはあってもいいと、ふたりは考える。
スポイトや低温調理器などといった道具とは無縁の、家庭の台所で、基本的な調理器具で生み出す手づくりの味。サーブしてくれるのは、つくっている信子さんか幸子さん。料理や器のことなどをきっかけに、ふとした会話も自然と生まれる。
それこそが、訪れるみんなにとっての「jikka」の料理なのだ。
――おわり。
文:馬田草織 写真:高木康行