伊豆高原の自然の流れと共存する「jikka」。山の中にぽつんと佇む小さな食堂は、縄文の竪穴式住居で家族が火を囲み食事をするシンプルな暮らしをイメージして設計された。
この奇抜で個性的な家の形を考えたのは、須磨信子さんの息子で建築家の須磨一清さんだ。建築家を目指していた学生時代から、母の信子さんは、一清さんに終の棲家を設計してもらうアイデアを温めていたという。
「母は昔から、外に出るよりは家の中に巣篭って何かをつくるタイプ。終の棲家を設計するにあたっての本人の希望も、広いキッチンと人が集える大きなダイニングがあれば、あとは簡素なベッドルームと、バリアフリーのお風呂があればいい。シンプルに暮らせる場がいいと」
「そこから地に足の着いた素朴な生活を想像していくうちに、家の真ん中で火を焚いて家族が集う、縄文時代の竪穴式住居が思い浮かびました。外壁を檜で覆ったのは、時とともに徐々に檜が朽ちていい味を出し、周りの自然に溶け込むことをイメージして。時とともに、暮らす人も家も自然の流れの中で変化していくことを考えて設計しました」
ちなみに、一清さんも「jikka」に泊まってみたことがある。
「天井の高さがかなりあるので小さいスペースの割に快適でした。また、天井に中心があると人は落ち着くので、ぐっすり眠れました」
面白い外見だが、中は暮らしやすく集いやすい空間に仕上がったということだろう。
誰にとっても、心を寄せられる場所でありたい。「jikka」という名前は、そういう思いからつけられた。お気づきの通り、日本語の「実家」がネーミングの元だ。建物が完成した2016年には、アメリカのCNNとイギリスのBBCから取材を受け、国内より先に海外で話題になった。
SNSなどで発信していなくても海外から食事の予約が入るのは、そういう取材の情報をもとに、電話番号などを探し当ててくる熱心な人がいるから。取材したこの日も、ドイツ出身のエンジニアの男性と、ブラジル出身の会社員の女性が電話で予約を入れ、電車と車を乗り継いで食事に来ていた。
「家庭的なホスピタリティがあって、ふたりとのコミュニケーションも楽しかった。誰かの家に遊びに来たような雰囲気が心地よかった。地元の新鮮な食材を使った彼女たちの手料理が味わえたのもとても嬉しい。こういう味は、外国人にはなかなか味わうチャンスがない」とドイツ人のフローリアンさんが答えると、「和食と外国の料理がミックスされたコースも面白くて、自分たちの国では見たことがないアイデア。気持ちのいい時間が過ごせて、遠くから訪ねてきて本当に良かった」とブラジル人のルシアナさんも喜んでいた。
ちなみに、海外メディアでは”jikka house”と紹介されていて、実家という概念が日本独特のものだということがわかる。日本人にとって実家という言葉は、本来の実家と言う意味以外にも、自分が帰る場所、本来の居場所などのニュアンスも感じ取れる。
以前からこの名前を決めていた須磨さんは、海外メディアの取材で実家の意味を、心のありか、”Where my heart belongs”と説明した。そしてふたりはまさに、この場所が多くの人にとってそういう場でありたいと願っている。
――つづく。
文:馬田草織 写真:高木康行