小さくてあたたかい伊豆の食堂「jikka」の話。
jikka、伊豆、ミステリアス。

jikka、伊豆、ミステリアス。

伊豆高原にある「jikka」(ジッカ)。とんがり屋根の小さくて不思議なレストランのランチを目指して、世界中からお客がやってくる。

誰も知らない小さな「jikka」

イギリスBBCで放映された『The World’s Most Extraordinary Homes』という建築番組を見た。

賑やかな番組イントロが終わると、やがて伊豆高原の小高い丘陵地に、なんとも変わったネイティブアメリカンのテントみたいな、とんがりコーンのような家が現れた。ドローンが高原の上空から映し出すのは、かなり斬新な形の屋根だ。建物は数棟連なっていて、ひとつひとつはコンパクト。林に囲まれた不思議な建物群は、おとぎ話の舞台のような雰囲気もある。一体どんな人が住んでいるのだろう。

エントランスから建物にたどり着くまでの道もちょっとしたもの。林の中をくぐり抜け、想像を膨らませながら進むと、きっと期待を超える景色が待っている。
エントランスから建物にたどり着くまでの道もちょっとしたもの。林の中をくぐり抜け、想像を膨らませながら進めば、きっと期待を超える景色が待っている。

番組では、レポーターが建物の中に入ると、開放感抜群のキッチンがまず映し出された。キッチンの正面には大きなアーチ状の窓がとられ、外の景色を部屋の一部のように取り込んでいる。まるで林の中にいるかのようだ。ここがこの建物の中心。教会を思わせる上に伸びる高い天井からは光がたっぷり差し込み、室内はとても明るい。
キッチンでは、2人の日本人女性がいそいそと料理をする様子が映し出された。

テントのように見える外観とは裏腹に、内部は教会のような趣。キッチンのすぐ手前に設えた大きなテーブルでは、ゲストの目の前で料理が仕上げられていく。この日の粉物おかず“ピロシキ”も、揚げたての熱々が出される。
テントのように見える外観とは裏腹に、内部は教会のような趣。キッチンのすぐ手前に設えた大きなテーブルでは、ゲストの目の前で料理が仕上げられていく。この日の粉物おかず“ピロシキ”も、揚げたての熱々が出される。

窓の向こうにはハーブの庭が生い茂っていて、緑が目に優しい。建築番組らしく様々な角度からこの建物を紹介していくのだが、最も気になるランチのシーンは、料理そのものよりも、ランチを楽しむ人たちのリラックスした様子が画面いっぱいに映っている。ちらっと料理が見えなくもなかったが、なにしろ建築番組だから詳しくは紹介してくれない。でも、あんな風に朗らかな場の空気を生み出すランチって、一体どんな内容なんだろう。

番組を見たのは、ある噂を聞いたからだ。
そこは有名なレストランではないし、話題のシェフがいるわけでもないのに、ランチを目指して世界のあちこちからお客がやってくるらしいのだ。それってどんなところで、何がそんなに人を惹きつけているのか。
世界各地からお客がやってくるその場所の名は「jikka」という。

「jikka」のスタートは2016年。今は誰もが自ら情報を発信する時代だが、ホームページはもちろん、インスタグラムやフェイスブック、ツイッターなどSNSの類は一切やってない。最初から、多くの人に知らしめようとはしていないのだ。だから調べようにも、ほとんど情報がなかった。

番組を見ても、実際はどんな場所でどんな料理が食べられるのか興味はますます深まるばかり。どうしても知りたくなって、伊豆高原まで訪ねてみることにした。

ひとりで、友人と、家族で、あるいは初めまして同士で。会話を楽しむために開かれたランチの場は、知り合いの家でもてなしを受けているかのようなフレンドリーな心気遣いを感じられる。
ひとりで、友人と、家族で、あるいは初めまして同士で。会話を楽しむために開かれたランチの場は、知り合いの家でもてなしを受けているかのようなフレンドリーな心遣いを感じられる。

伊豆の秘密基地。

緑豊かな6月上旬の伊豆高原は、微かに夏の匂いがし始めていた。
緑溢れる景色の先には伊豆の海の青が広がっている。自然の色の美しさや光の移ろいを目の当たりにしているだけで、東京から持ってきた混み入った頭の中や、いつも何かを憂いている忙しない心が、少しづつ落ち着きを取り戻していく。

伊豆半島は、海底火山の集まりが南から北へプレートとともに移動し、日本の本当に衝突してできた島。4,000年前の噴火によってできた大室山から伊豆高原や伊東を臨む眺めも、自然が長い年月をかけてつくり出した景色だ。
伊豆半島は、海底火山の集まりが南から北へプレートとともに移動し、日本の本島に衝突してできた。4,000年前の噴火によってできた大室山から伊豆高原や伊東を臨む眺めも、自然が長い年月をかけてつくり出した景色だ。

とんがっている家は、東京から車で3時間。電車なら、特急踊子号で東京から最寄りの伊豆高原駅まで2時間、そこからもう少し車で走った山の中腹にある。

エントランスから林の小道を上ってすぐ、丈夫そうな紐と車のランプをアレンジしてつくった、かなりポップな看板が左手に見える。それが目印だ。初夏の濃い緑の中、木々の葉が風で揺れるさわさわという音や、あちこちから聞こえる鳥たちの声に耳を澄ませながら、さらに小道を進む。
木と土でこしらえたラフな階段を上ると、やがて静かな林の奥に、あのとんがりコーンが数棟見えてきた。

以前からあったものは、植物も含めてなるべく手を加えず、少し使いやすく改良する。くねくね曲がった階段や石の灯篭も、もともとあったもの。
以前からあったものは、植物も含めてなるべく手を加えず、少し使いやすく改良する。くねくね曲がった階段や石の灯篭も、もともと存在したもの。

離れて見ると、伊豆高原の丘陵地に突如降り立った宇宙船のようでもある。建物の近くまで行ってよく見ると、とんがりコーンの外壁は細く切ったヒノキの板張りだ。空に向かってくるくると渦を巻いている貝殻のようにも見える。
建物の壁の半分近くを半円に大きく切り取ったガラス窓からは、食事を楽しむ中の人たちの楽し気な様子がよく見える。年齢も、性別も、国籍も違う人たちが思い思いに時間を過ごしていて、ちょっと異国的でもある。

家のような、レストランのような。そのいずれとも言えない不思議な建物の中で、ランチを楽しむ人と提供する人が時を過ごしている。
家のような、レストランのような。そのいずれとも言えない不思議な建物の中で、ランチを楽しむ人と提供する人が時を過ごしている。

窓の向こうに生い茂っていたハーブガーデンは、実際に近くで見るとヨーロッパでよく見かけるキッチンガーデンの有様とよく似ていて、無秩序で混沌としているようだけれど、その実料理をする人にとって使いやすいように考えられていた。あちこち葉をちぎった跡がまた愛嬌だ。
フェンネルやバジル、ミントやローズマリー、ステビアにオレガノなどが、まるで雑草のようにワイルドに生い茂り、ローリエは胸の丈かそれ以上に伸びている。もちろん、大葉やあさつきなどの和ハーブも植えられている。これらは毎回料理のあちこちで利用され、伊豆の旬が盛り込まれた“世界の”家庭料理にたっぷりと使われているという。

まるで大人の秘密基地だ。窓の向こうの部屋の中では、ときどき、ブルーの地に白のストライプのエプロンを着けた女性2人が客の合間を行き来し、お客と会話したりしている。なるほど、あの2人こそが、噂の「jikka」を仕切る人たちだ。建物の中のゲストは一様にリラックスしていて、いい時間を過ごしているのがよくわかる。ああ、早くあの中で食事がしてみたい。そして、なんでこんなに面白い家を建てたのかも聞いてみたい。

鬱蒼と茂るキッチンガーデン。近くに行ってハーブたちに触れると、力強い香りがした。
鬱蒼と茂るキッチンガーデン。近くに行ってハーブたちに触れると、力強い香りがした。

建物探訪のような始まりになったのには理由がある。ここはレストランである前に、個人の家であり、生活の場なのだ。
もともと「jikka」は飲食店として設えた場ではない。今もあくまで個人宅として食事を提供している。現在は週に4日間、営業はランチタイムだけだ。営業日時などの告知は、小道を降りた広い通り沿いにぶら下げた、手書きのボードにあるカレンダーの書き込みのみ。この案内を気軽に見ることができるのは、近くに住む人ぐらいだろう。
そう、もともと「jikka」は、地域の人に向けて始めた食事の場だった。

世界の家庭料理は毎回国のテーマがある。今回のテーマはロシア。伊豆産のビーツは色鮮やかで、ポテトサラダもポップなピンクで登場。上に振りかけた卵が味でも色でもいいアクセントに。
「jikka」では、1,500円のランチコースのみ提供している(デザートは別)。コースで出される世界の家庭料理は毎回、テーマの国がある。今回はロシア。伊豆産のビーツは色鮮やかで、ポテトサラダもポップなピンクで登場。上に振りかけた卵が味でも色でもいいアクセントに。

――つづく。

店舗情報店舗情報

jikka
  • 【住所】静岡県伊東市池890‐6
  • 【電話番号】080‐5007‐8444
  • 【営業時間】12:00~15:00 完全予約制
  • 【定休日】日曜、月曜、木曜
  • 【アクセス】伊豆急行「伊豆高原駅」より車で8分

文:馬田草織 写真:高木康行

馬田 草織

馬田 草織 (文筆家)

文筆家。おもに食と旅(ポルトガル多め)を書いてます。ほやと納豆とアルコール好き。cakesで「ポルトガル食堂」連載中。著書に『ようこそポルトガル食堂へ』(産業編集センター・幻冬舎文庫)、『ポルトガルのごはんとおつまみ』(大和書房)、最新刊は『ムイト・ボン!ポルトガルを食べる旅』(産業編集センター)。料理とワインを気軽に楽しむ会「ポルトガル食堂」を主宰してます。開催日程などはホームページ(http://badasaori.blogspot.jp)からどうぞ。かつて戦国武将が飲んだ珍蛇酒は、ポートワインかマデイラワインかはたまたシェリーなのか、そのあたりがずっと気になっている。