伊豆高原の「jikka」は、レストランの枠組みを超え、地域の人たちにとっての「実家=心のありか」なのだ。「jikka」で働く須磨信子さんと藤岡幸子さんが考える、食、住まい、地域コミュニティの新しいカタチ。
「jikka」の主は、須磨信子さんと藤岡幸子さんのふたり。とんがりハウスはふたりの家だ。須磨さんと藤岡さんは30年ほど前に、子供を通じて“ママ友”として知り合った。地域の生協を利用するご近所仲間でもあった。当時の生協は宅配ではなく、決まった場所、つまりは誰かの家に、届いたものを取りに行くシステム。みんなで定期的に届く大量のジャガイモやトマトなどを仕分けしているうちに、自然と言葉を交わすようになった。
食材に触れていれば料理の話にもなる。須磨さんはもともと料理好きで、藤岡さんは菓子やパンづくりが好き。そんな風に食に関する話をしていると、相手がどんな人か、どんな生活を好むのかもおのずと見えてくる。ほどなくふたりは親しい友人になった。
「最初はそれぞれ別の仕事をしていたの」と須磨さんが話し出すと、間髪入れずに藤岡さんが続く。「そうなのよ。この人に、新しい仕事をちょっとだけ手伝ってって誘われて。気が付いたらとんでもなく忙しい毎日になっちゃって。騙されたのよ」。
そう話す藤岡さんは、いたずらっ子の表情。
「私たち、杉並区の福祉作業所というところで高齢者の方々にお弁当をつくって届ける仕事を始めたの」
「でもね、家族のお弁当とはわけが違うのよ。何十もつくるんだから。献立を組んで、材料を仕入れて、調理して詰めて、そして配るところまで。もちろん、衛生面や栄養面、経済面全部に気を配って」
「お年寄りのみなさんのお弁当だから、食べやすくしないといけないし」
「料理の腕は随分と鍛えられました」
「お菓子とパンは幸子さんの担当。幸子さんのケーキは、本当に人気だったのよね」
「大きなシフォンケーキを1日8台焼いて、切ってラッピングして区内で売って、儲けを作業所の資金に充てたり。気がついたら無茶苦茶忙しくなって」
ちなみに福祉作業所とは、地域の障がいを持つ人と一緒に、近隣の高齢者などに弁当や菓子をつくって届ける事業を行う場。困っている人に寄り添うこの仕事は、20年近くかけて地域の大事な拠り所となり、彼女たちは友人であるだけでなく、仕事仲間にもなった。
夢中で仕事と育児をしているうちに、気がつくと子供たちも無事成長し、独立した。母親としての役割も果たし、夫も元気で好きにしているし、東京での怒涛の暮らしにひと区切りつける時期が来たとふたりは感じた。
これからは、自分たちが好きな場所で自由に活動できる。さて、どうしよう。時間はまだまだあるのだ。これからどんな風に生きていきたいか。なにをして生きるのか。そもそも自分は、なんのために生まれたのか。
極めて根源的な問いに、じっくり落ち着いて向き合えるいい機会だ。それまで福祉の仕事を通じ、老いや介護の現実に身をもって接してきた。自分たちの親のことを考えると、ますます身近なことでもある。
これからの時間、身内や近い人を介護したり、地域の人を助けることに、日常的に関わる生き方がしたい。自分たちができることはたくさんある。そう考えたふたりは、実際に実現できる場をイメージしながら、これからの人生を過ごすための土地を探し、家を建てることにした。藤岡さんはこう話してくれた。
「場所を伊豆にしたのは、温暖で暮らしやすく、静かで自然に囲まれているから。昔から少なからず縁もあった土地だったんです。ここで、今まで通り地域や家族と関わる暮らしをしていこうって」
実際ふたりは伊豆に移り住み、「jikka」でランチを提供する傍ら、同じキッチンで地域の人たちにお弁当をつくる仕事もしている。
「東京時代があんまり忙しくて大変だったから、少しペースを落とそうと思って伊豆に移って来たんだけど」。そう須磨さんが話し出すと、「結局は以前とほとんど変わらずに動き回ってるわね、私たち。あなたがいろんなこと始めるから、ついていくのが大変よ」。藤岡さんが続ける。でも、表情は嬉しさを隠しきれていない。
今のところ、ここは仕事場兼レストラン兼住居。でも、いざ自分たちが年を重ねて介護の手が必要になったら、ここでゆっくりと暮らすつもりだ。暮らす人の生活の変化を受け止めるバリアフリーの工夫も、家のあちこちにすでに用意がある。
つまりここは、極めて個人的な終の棲家でもあるのだ。と同時に、非常に客観的な視点で建てた家でもある。そもそもこの建物は個人の所有物ではなく、会社のものとして存在させている。「自分たちがここを去ったとしても、誰かにこの場所で、福祉的な活動を事業として継いでいってほしい」と考えているからだ。そういう活動が永続的にできるような場にしたい。だからここはふたりの終の棲家でありながら、最初から公の場であるレストランとしても開放しているのだ。
ふたりの取り組みは、これからの時代にこそ大切な新しい試みだ。時間や場所を誰かと分かち合いながら生きることへの、ひとつの答えとも言える。老いていくという、生き物なら必ず起きる事象を極めて冷静に、でも有意義に、自分の生き方の一部として現実的に捉えようとしたとき、この「jikka」の存在は、きっとひとつのモデルとなり得る。
――つづく。
文:馬田草織 写真:高木康行