米をつくるということ。
草刈りと草取りの間に|米をつくるということ⑪

草刈りと草取りの間に|米をつくるということ⑪

夕方の草刈りを終え、明日の草取りに向けて、鋭気を養わなければいけない。疲労困憊の身体を温泉で癒した後、快適な睡眠のために目指した塒は、古い古民家だった(この表現はおかしい?)。

築150年以上の古民家に泊まる。

草刈りを終えたぼくらは温泉へ直行。「雲海」には絶景を楽しめる展望風呂があった。眼下に緑の山と田んぼ、遠くに苗場山まで見渡せる大パノラマが広がっている。まさにこれが日本の美しい田舎の風景ですね。湯船につかると、野良仕事の疲れが、温泉の湯の中にじんわりと溶解していく。その心地よさに眠ってしまいそう……。


温泉で心身をリフレッシュさせると、あとのお楽しみは「夕食」と「眠り」。本日の宿は農家を改装した自炊式の民宿らしい。自炊、という言葉を耳にしては、心穏やかではいられない。この疲れた体で、誰がつくるの?
まあいいか、ケセラセラ、なるようになれだ。

木造古民家
草刈り後の宿はここ。築150年以上の木造古民家の農家民宿。十日町市と上越市の境に建つ。
木造古民家の農家民宿
150年前と考えると、大政奉還のあたり。家の佇まいは、それほど変わらないものですね。
木造古民家の農家民宿
新潟県でも有数の豪雪地帯で、農家の暮らしを支え続けた家とは、果たして。

ほどなく宿に到着。が、建物を目にしたとたん拍子抜けした。ふつうの農家じゃないの!
いまにも倉庫から耕耘機(古い?)でも出てきそうな感じ。だだっ広い土間のある重厚な古民家を期待していたのに。
ブツブツ言いながら中へ足を踏み入れた。その途端、ぼくは内部の異様さに圧倒されて言葉を失い、茫然と立ちつくした。なんだこの奇っ怪な空間は!

柱も梁も壁も床板も、白い切れこみがびっしりと入っている。百年の年月で黒く煤けてしまった木肌の表面に、彫刻刀で削られた無数の白いキズが浮き出ているのだ。天井板がない吹き抜けは、床から屋根まで10mはあるだろうか?宙の暗がりをまたぐ大きな梁の表面は、キズ跡がうごめいて見えるぞ。

「脱皮する家」
この日の宿は、アート作品でもある「脱皮する家」。2003年の「大地の芸術祭」で披露され、いまも現役。

「脱皮する家」と名がついたこの一軒家は、日本大学芸術学部彫刻コースの有志たち、のべ3000人が、3年がかりで改装したアート作品だという。たとえばひとりが一日に300の切れこみを入れたとして、合計で90万、ざっと100万だ。100万もの切れこみで表面をすべて削られた、脱皮した家なのだ。
室内をくまなく探索すると、空間の異様さにも慣れて、ようやく心が落ちついてきた。

ところで昔の農家の暮らしぶりって、どうだったのだろうか?

家の中心である1階の広い板張りの間には、かつては囲炉裏があり、ちろちろと火が燃えていたに違いない。家族は肩をよせあい長い冬の1日を過ごしたのだろう。ここで明日の天気を心配しながら、膳を囲んだ夜もあっただろうな。

どっちの水が甘いのかな。

いまはもう失われた静かな農家の夜に思いを馳せていると、竹中想さんらがやってきた。なんと食事を手配してくれていたのだ。本日の夕食と明日の朝食も、すでに用意してあるという。食卓には温泉の帰りに調達したビール、そして竹中さん差し入れの越後の日本酒が加わり、われわれと、現地スタッフのおふたりで、草刈りの慰労となった。
夕食は一見質素だが、実に手の込んだ料理だった。主食は具と酢飯をのりで巻いていただく手巻き寿司。これに鶏もも肉の醤油麹グリルと、卵とワカメのスープがついている。
寿司の具のきんぴらにされたゼンマイは、「松代の山菜とりの名人、ハツエさん」が春に採ってきたものだという。山菜採りの名人かあ、雪国にはいろんな保存食の伝統があるんだろうなあ。
漬物もズッキーニのビール漬け、キャベツの塩麹漬けと凝っている。みーんな手づくりだ。うまそう。田んぼで汗をかいた日は、こんな気の利いた漬物が嬉しい。

夕食
夕食は現代風にケータリングで。外は真っ暗で、お先真っ暗だっただけに、喜びも一入。
野菜や山菜
地元の野菜や山菜が並ぶ。150年前の農家の食事とは、どんなものだったのだろう?

午後9時をすぎて宴もたけなわとなった頃、唐突に「蛍を見に行く」ことになった。宿の近くに蛍が舞う水場があるという。昨今は全国で人工飼育された蛍の放流イベントが盛んに行われているが、こちらは「天然」ものだ。しかも観客はわれわれだけの独占ステージ。なんという贅沢!

そもそもぼくは、天然の蛍なんて見たことがない。これは鑑賞しないわけにはいかない。
その水場は暗く沈んでいた。本当にこんなところに蛍がいるのだろうか、と思いきや「いた、いた、ほら」と、暗がりの中から誰かの声。目をやると小さな、小さな青白い光が点滅しながら浮かんでいた。
「あれはヘイケボタルですね。ゲンジボタルはもっと大きい。ほら、いま光っているのがゲンジボタル」

蛍
天然の蛍を鑑賞する。暗いからこそ、光は見えるものだと、つくづく思う。

日本史上の勝敗にちなんで勝者であるゲンジは大きく、敗者のヘイケは小さい、というわけ。なるほど。

天然のヘイケとゲンジの両方がいる場所は珍しいらしい。しかしどちらも、どこかもの悲しく、不思議に懐かしい光だ。

最近都会で流行の蛍放流イベントには、若い世代はさして感動しないという話を耳にしたことがある。LEDの華やかで大規模なイルミネーションの夜景に慣れてしまっていて、蛍の光は「しょぼい」と感じるそうだ。そんな現代的な感覚、なんだか寂しいなあ。
ひとつの光が、ぐんぐんと空に向かって昇っていく。目で追うと、そいつは雲の合間から顔をのぞかせたたくさんの星たちに紛れて、スーッと消えたのだった。

「脱皮する家」の土間。失われていく日本の暮らしを1日でわかった気になっていてはいけないが、想いを馳せる。

その翌朝、ぼくはなんとウグイスの声で目が覚めた。ホーホケキョと実にうまく鳴く。耳を澄ますと、遠くにカッコウの声も。昨夜の蛍、そして今朝のウグイス。めったに体験できないぞ、と記憶に刻みつけてから布団を出た。


朝食は握り飯だった。具は豚山椒で海苔を巻いたものを初めて食べたが、これが香りがよくて実にうまい。それに夕顔のみそ汁。昨晩、品書きに「夕顔」の文字を見つけたとき、いったいどんな食べ物か不思議だった。キュウリの仲間で冬瓜とか蕪のような食感らしいのだが、冬瓜に目がないぼくは、ものもいわず味噌汁をかきこんだ。夕顔は冬瓜より繊細な味わい。東京ではなかなか口にできない食材だね。漬物のコリンキーも初体験。黄色い瓜のようなものだが、こちらはカボチャの仲間だとか。こりこりした食感がいい。

おにぎり
朝食。おにぎりって、本当にすぐれもの。時間がない中でも、幸せな食事になるんだから。
漬物
黄色の野菜はコリンキー。漬物。鮮やかな色にびっくりするけれど、さっぱりとした食感。

玄関から声がかかった。スタッフさんのお迎えだった。
「草取りの前に日本一の棚田を見ませんか?」
ウグイスの声で始まったのんびりした朝が、途端に慌ただしくなった。ぼくらは朝食をたいらげると、日本一の棚田に向かって出発した。

――つづく。

文:藤原智美 写真:阪本勇

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藤原 智美(作家)

1955年、福岡県福岡市生まれ。1990年に小説家としてデビュー。1992年に『運転士』で第107回芥川龍之介賞を受賞。小説の傍ら、ドキュメンタリー作品を手がけ、1997年に上梓した『「家をつくる」ということ』がベストセラーになる。主な著作に『暴走老人!』(文春文庫)、『文は一行目から書かなくていい』(小学館文庫)、『あなたがスマホを見ているときスマホもあなたを見ている』(プレジデント社)、『この先をどう生きるか』(文藝春秋)などがある。2019年12月5日に『つながらない勇気』(文春文庫)が発売となる。1998年には瀬々敬久監督で『恋する犯罪』が哀川翔・西島秀俊主演で『冷血の罠』として映画化されている。