米をつくるということ。
草刈りで、真っ青|米をつくるということ⑩

草刈りで、真っ青|米をつくるということ⑩

個の力で生い茂る雑草に立ち向かってみたものの、早々に白旗。まったく歯が立ちません。草刈りは、やっぱり機械ですよ、機械。草払いマシーンを手にした瞬間、血が滾り、どんより見えていた景色がクリアになった気がしたのも、束の間……。

人力には限界があるのだ。

草刈りの秘密兵器は見たこともない大きな鎌だった。柄の長さは1mを超えるだろう。刃もこれまで使っていた鎌の倍ほどはありそう。見るからに頼もしい。
実演してくれた使い方も、見かけどおり豪快そのものだった。両手で柄を持ち、刃を右から左へ大きく振って、草を一気にバッサリと刈っていく。ひと振りでこれまでの3倍は刈れそうだ。

どこかハロウィンを思わせる佇まいの藤原智美さん。大きな鎌を手にして、ご満悦。
どこかハロウィンを思わせる佇まいの藤原智美さん。大きな鎌を手にして、ご満悦。

ぼくもすぐに試してみた。体を軸にして遠心力を利用するのがコツだ。「これなら楽だな」。さっきの小さい鎌を使うときは、田植えと同じく腰をぐっと折った前傾姿勢になり、それだけで息苦しさを覚えたが、この大鎌は体を起こしたまま作業できる。両手で柄を握るので、指の痛みも少しは軽くなるだろう。
ちょっと試しに使ってみるはずだったが、バッサ、バッサとたくさんの草が刈れるので、いつの間にか、本格的な作業に入っていた。いったん体内のスイッチが入ると、もう止まらないという感じ。体が自然に動いていく。バッサ、バッサとリズミカルに歩が進む。しかしそれもつかのま、10分ほどでパタリと体が動かなくなった。ハアー、ハアーと息が上がり、腕が痛い。

鎌が大きくなって楽勝かと思いきや、気がつけば肩で息をする始末。草刈りはしんどいのだ。
鎌が大きくなって楽勝かと思いきや、気がつけば肩で息をする始末。草刈りはしんどいのだ。

そんなぼくの様子をうかがっていたのか、背後から「ビーバーを使いましょう」と、声がかかった。
でも、ビーバーって?
川に大きな巣をつくるあのホ乳類?
現地スタッフの竹中想さんが手にしているのはエンジン付きの草払機だ。ビーバーとはブランド名だが、ここでは草払機の代名詞になっているという。ビーバーのようによく働くという意味だろうか。指示に従ってスターターのヒモを引くと、ブルンッと円盤の刃が回り始めた。そう、これですよ、21世紀なんだから、やっぱり文明の利器を使わないとね。

草刈りの秘密兵器、通称ビーバー。ぐるぐるぐるっと回って、草を刈り、払っていく。
草刈りの秘密兵器、通称ビーバー。ぐるぐるぐるっと回って、草を刈り、払っていく。
手に持つ方は、こんな感じ。ぶるんぶるんと音を立てて、動き出す。かっこいい!
手に持つ方は、こんな感じ。ぶるんぶるんと音を立てて、動き出す。かっこいい!

そのまま本体についたベルトを肩にかけてビーバーを持ち上げる。回転をコントロールするレバーを握りしめると、グオーンというけたたましい音で刃が勢いよくまわり始めた。たちまち轟音のバリヤーにぼくはすっぽり包まれた。
草をひと払いすると、たちまち地肌が顔を出した。なんという優れものだ。ぼくはこのマシーンの虜になった。草を払う。ムッとするような草の匂いが立ちのぼる。それがエンジンが焼けたようなオイルの臭いと混じって、鼻から脳天を刺激する。グオーン、グオン、グオーンとバイクをふかす若者のようだ。命の危険を察知した虫たちがピョンピョン跳ねながら逃げていく。人間による草と虫の小さな殺戮がつづく……。

万全を期して、いざ、ビーバー。機械を使うのか、機械に使われているのか、わかりませんね。
万全を期して、いざ、ビーバー。機械を使うのか、機械に使われているのか、わかりませんね。
手仕事を礼讃するけれど、機械化がどれほど農家を救ったことか。身をもって知る。
手仕事を礼讃するけれど、機械化がどれほど農家を救ったことか。身をもって知る。

突然、回転音が小さくなった。ガタ、ガタ、ブシュン。いつの間にか駆けつけてくれた竹中さんが「油切れですね。ふだんは、これを合図に休憩します」と教えてくれた。
夢中で刈っていたせいで、時間がたつのも忘れていたのだ。エンジンを切っても、まだ耳の奥にエンジン音が小さく居残っている。おまけに両手がジンジンと痛い。手の毛細血管すべてに電気が通ったみたいに震えている。

ビーバーのドドドドドドドドという振動で、手の動作がままならなくなった藤原さん。
ビーバーのドドドドドドドドという振動で、手の動作がままならなくなった藤原さん。

刈っても刈っても終わりません。

「今日の草刈りで、だいぶきれいになりましたね?」と、聞いてみた。しかしそばにいた竹中さんはただひと言「いえ、ぜんぜん」。ぜんぜんってことないでしょ!ぼくは一番広い畦をきれいにしたのだ。
しかしその「ぜんぜん」は、まったく正しかった。竹中さんはまだ日があるうちにと、ビーバーにオイルを注入すると、人の背丈ほどもある草地のほうへ向かった。

草が刈られた成果がわかるかな。モーゼの十戒とは言わないけれど、まあまあ道が開かれてます。
草が刈られた成果がわかるかな。モーゼの十戒とは言わないけれど、まあまあ道が開かれてます。

えっ、あそこもやるの?
どういうこと?
つまりこういうことだった。これまで刈ったのはたくさんある畦のまだ一部。しかも田んぼと斜めに接する「のり面」は手つかずだった。さらに重要なのは水路周辺だ。ここもきれいに刈り取る必要がある。水路あたりの雑草の伸びぐあいは半端ではない。あそこにどうやって切りこんでいけるか、ぼくには想像すらできない。
本日の作業で得た結論は次のとおり。
平地の田んぼと違って山間地の棚田は、当然、山が迫ったところにつくられている。それだけ雑草、害虫の脅威は強い。そこで農薬を使わずに米をつくるということは、とてつもない労力がいるのだ。
午後5時、ぼくらは作業を早仕舞いすることにした。というより、もうこれ以上は体力的に無理でした。疲労はマックス。

藤原さんがビーバーを使っている間も、休まずに草を刈る現地スタッフの竹中想さん。
藤原さんがビーバーを使っている間も、休まずに草を刈る現地スタッフの竹中想さん。
左の写真の鎌と比べると、ビーバーの破壊力は、いったい何人力なんだろう?
左の写真の鎌と比べると、ビーバーの破壊力は、いったい何人力なんだろう?

田んぼからの帰り道、つらつらと考えた。なぜ、田植えは楽しかったのに、草刈りはこうも辛いのか?作業時間は田植えより草刈りのほうがだいぶ短かったのに。
かつて日本の田植えでは、たいした労力にならない小さな子どもたちも、みんな田んぼに呼び集められた。畦で遊んでいる子どもたちの声が田の中まで届いた。それがいいのだという。大勢の人たちの一体感があふれるチームワークの田植えに比べて、草刈りはとっても孤独な仕事だ。ビーバーの轟音の重圧の中にいると、人の声も鳥の声もいっさい聞こえなくなる。これがよくない。今度、草刈りをする機会があればヘッドフォンで音楽でも聴きながらやろう。ビバルディの『四季』でも流して、華麗に、優雅に働こう。もしかすると、農家の人の中には、ヘッドフォンで音楽を聴きながら野良仕事をする人もいるんだろうか。
そんなことを考えていると、天使の声が耳元でささやいた。「温泉につかりましょう」。疲労困憊した表情を見せる、dancyu web編集長の江部拓弥さんだった。

――つづく。

文:藤原智美 写真:阪本勇

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藤原 智美(作家)

1955年、福岡県福岡市生まれ。1990年に小説家としてデビュー。1992年に『運転士』で第107回芥川龍之介賞を受賞。小説の傍ら、ドキュメンタリー作品を手がけ、1997年に上梓した『「家をつくる」ということ』がベストセラーになる。主な著作に『暴走老人!』(文春文庫)、『文は一行目から書かなくていい』(小学館文庫)、『あなたがスマホを見ているときスマホもあなたを見ている』(プレジデント社)などがある。最新刊は『この先をどう生きるか』(文藝春秋)。1998年には瀬々敬久監督で『恋する犯罪』が哀川翔・西島秀俊主演で『冷血の罠』として映画化されている。