昼時の長い行列は、もはや東銀座名物。戦後に本格インド料理を日本に伝えた「ナイルレストラン」は、2019年に創業70周年を迎えた。看板メニューの「ムルギランチ」を筆頭に、変わらぬ味を守り続ける店主のG.M.ナイルさん。仕事着の選び方には、営業方針にも通じる譲れないものがあるようだ――。
1949(昭和24)年、日本初の本格インド料理専門店として創業した「ナイルレストラン」には、いつ行っても変わらないものが3つある。味と空間、そして二代目店主のG.M.ナイルさんのカラフルなシャツスタイルだ。
「僕のシャツは全部オーダーメイド。100着以上は持ってるよ」
取材のために用意してくれたシャツもざっと20着以上。どのシャツも鮮やかな色使いと、花柄を中心とした大胆なデザインが目を引く。原色も花も、ナイルさんには欠かせないものだ。
「特にお花は、僕にとっての必需品だね。よく自宅で育てている花を持ってきて、店にも飾っているよ」
オーダーメイドのシャツを仕事着にするようになったのは、今から40年以上も前のこと。大学卒業後すぐ店に入り、立派に二代目として店を切り盛りしていた30代の頃だ。
「だって、人とおんなじものを着るなんて嫌でしょ!だから僕は、自分の好きな生地でつくったオーダーメイドの服を着るって決めたの。自分が決めたことは最後まで貫くのが僕のポリシー。派手なものを着るって決めたらずーっと派手なんです。それをいまも続けてるだけ、つまり初志貫徹よ」
ナイルさんの話には、“初志貫徹”という言葉がよく出てくる。
そういえば「ナイルレストラン」では、看板料理の「ムルギランチ」を筆頭に、ナイルさんの両親が築いたものが、いまも変わることなく息づいている。
父のA.M.ナイルさんは、母国であるインドの独立を目指して日本の地で活動を続け、悲願を達成すると、今度はインドと日本の親善のために力を尽くした。まさに“初志貫徹”そのものだ。
母の由久子さんは、戦時中に滞在していた当時の満洲で、インド人の家族にカレーのつくり方を習い、生きていくために料理店を開き、「ナイルレストラン」の基礎となる味を生み出した。由久子さんの献身も、そこに重なる。
「うちの店がなぜ長いこと支持していただけているかというと、最初に決めたことを70年間守ってきたことに尽きると思うんです。老舗っていうのは、ちょこちょこ変わってしまったら老舗にならない。新しいことをやるのって、イケイケドンドンでできるから簡単なの。でも、元々あるものを維持することってすごく難しいんですよ」
創業以来の味を堅持し、ほかのインド料理店にあるようなタンドールチキンを敢えて置かないという営業方針は、“人と同じものを着たくない”というナイルさんの美学にも通じる。
毎朝、千葉の内房は保田にある自宅から通勤しているというナイルさん。早朝に起きだし、“我が家の子どもたち”と呼ぶ愛犬たちとたっぷり遊んだ後、クローゼットの中から「行き当たりばったりで」シャツを選ぶのが日課。しかも、通勤用の服と営業中の服が異なるというから驚きだ。
「店にやって来ると、父はわざわざ別のシャツに着替えるんですよ。でも、通勤服も十分派手だから、僕らスタッフには、着替える前と後の違いがわからないんですけどね(笑)」
三代目である息子のナイル善己さんが茶目っ気たっぷりに教えてくれる。そこへすかさずナイルさんの元気な声が飛んだ。
「僕から派手をとったら何が残るのよ!」
――つづく。
文:白井いち恵 写真:米谷 享 参考文献 水野仁輔『銀座ナイルレストラン物語』(小学館文庫)/A.M.ナイル『知られざるインド独立闘争 新版』(風濤社)