「㐂寿司」の365日。
「㐂寿司」の夏の白身は、綺羅星のごとく。

「㐂寿司」の夏の白身は、綺羅星のごとく。

夏の白身の醍醐味は、かれいだけにあらず。鯵の名が付いていながら青魚とは異なる縞鯵、鮨屋で出会うことが珍しいすずき。「㐂寿司」ならではの夏の美味を味わう。

「マコ」と「星」と呼ばれる、かれいのこと。

東京の鮨屋の夏。白身は星かれいだけではない。
市場では「マコ」の名前で通っている、まこがれい。星かれいに比べると入荷量が多く、一般的に「かれい」と言えばまこがれいを指す場合が多い。同じかれいでも「星」がいいか「マコ」がいいか。よほど食べ慣れていないと、その味の差を判別するのは難しい。
ただ歯ざわりがしっかりしていて、星に比べるとマコは少し香りがある。もちろん、鮨種にしても十分旨いが、夏は「薄造り」にして楽しむのもいい。柑橘の酸味を加えたポン酢醤油を合わせる店もある。

かれい薄造り
見目も涼やかな、かれいの薄造り。ポン酢か醤油かはお好みで。

「㐂寿司」では「星」が中心で「マコ」は普段は使わないと番頭の山岸利光さんは言う。
「常磐のいい品物が入荷しなくなって、めっきり使う機会が減りました。星に比べるとマコは、水っぽいので身が緩むのも早いんです。おろして、せいぜい翌日。その次の日となるとブクと言って、身が柔らかくなって使い物にならない。その点、星は日持ちもいいし歩留まりがいい。何しろ白身の王様ですから」

縞鯵にすずき。奥深き白身の味わい。

縞鯵(しまあじ)という魚は、鯵という名前こそ付いているが、そもそもすずきの仲間だ。八丈島や三宅島などの島周りでとれることから、その名前が付いた。
大物になると5kgオーバーにもなるが、「㐂寿司」で仕入れるのはせいぜい1kgから2kgのサイズ。世間に出回る縞鯵のほとんどは養殖で、口に含むとやたら濃厚な脂が乗っている。

一方、天然の縞鯵は思わず目を見開くようなガツンとした旨さがある。それでいて、その脂は口の中でサッと切れるので、ついもうひとつと、思わず箸が進んでしまう。「夏のブリ」と言う人がいるのも納得できる。

縞鯵
こちらが縞鯵。立派な大きさも形も、いわゆる「鯵」とは異なる。
縞鯵
縞鯵の身は、青魚と白身の中間のよう。脂の旨さも特徴のひとつ。

四代目の油井一浩さんは言う。
「夏場の縞鯵は、青魚の鯵と白身の中間のような赤味を帯びた白身なんです。この時期は脂が乗って、その脂がとても上品で食べ飽きない。握りや刺身はもちろん、カマの部分を塩焼きにしてもいいですね」

「㐂寿司」四代目の油井一浩さん
「㐂寿司」四代目の油井一浩さん。夏の鮨種にもやはりこの時季ならではのおいしさと愉しみが広がる。
脂ののった縞鯵をすばやく握っていく
脂ののった縞鯵をすばやく握っていく。
縞鯵の握り
縞鯵の握り。「夏のブリ」と称する人もいる。

初夏、「㐂寿司」の品書きに「すずき」の木札が登場する。
江戸時代、東京湾の最奥部、千葉の船橋で獲れたすずきは、初夏のご馳走だった。
淡水と海水が入り混じる汽水域に生息するすずきは、その身を口に入れた途端、独特のクセを感じる場合がある。だからこそ、古くから食べ方は削ぎ切りにした身を、サッと氷水に落とし、酢味噌で味わう「洗い」が好まれた。

すずきは出世魚として知られ、成長するに従い名前が変わる。関東では「セイゴ」「フッコ」「スズキ」と呼ばれるが、「寿司」で鮨種として握るのはフッコよりも少し大きな型だそうだ。
「これ以上、大きくなると身が荒れるというか、ちっとも旨くないんです。うちでは大旦那(「㐂寿司」の二代目)の時代から、鮨種としてすずきを使っていました。かれいよりも淡白で、身質が柔らかい。噛みしめるうちに、ほんのり鯛に似た甘味が出てくるんです」

すずきの握り
遭遇することが意外と少ない、すずきの握り。大きくなりすぎておらず、身の清らかさとほどよい脂をもつサイズを選んでいる。

いつ頃から鮨種として使われていたのかは定かではないが、今から30年ほど前、山岸さんが大旦那の元で修業を始めた頃は、すでにすずきを使っていたという。
ひと口に夏の白身と言っても、奥が深い。
江戸前の鮨屋には、迷ったら白身から頼めという言葉がある。自分が好きなように、自由気ままに頼めるのも「㐂寿司」の愉しみだが、白身から始めて赤身、光り物、煮物と食べ進めるにつけ濃くなってゆく、江戸前の味の変化を愉しむには、白身から始めるのは真っ当だと言える。
そう、注文に困ったら、こう尋ねるといい。
季節の白身から初めてもらえますか――と。

――つづく。

店舗情報店舗情報

㐂寿司
  • 【住所】東京都中央区日本橋人形町2-7-13
  • 【電話番号】03-3666-1682
  • 【営業時間】11:45〜14:30、17:00〜21:30
  • 【定休日】日曜、祝日
  • 【アクセス】東京メトロ「人形町駅」より2分

文:中原一歩 写真:岡本寿

中原 一歩

中原 一歩 (ノンフィクション作家)

1977年、佐賀生まれ。地方の鮨屋をめぐる旅鮨がライフワーク。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)など。現在、追いかけているテーマは「鮪」。鮪漁業のメッカ“津軽海峡”で漁船に乗って取材を続けている。豊洲市場には毎週のように通う。いつか遠洋漁業の鮪船に乗り、大西洋に繰り出すことが夢。