みんなの町鮨
「すし処 新田中」東京都目黒区|第六貫(後篇)
内観 内観

「すし処 新田中」東京都目黒区|第六貫(後篇)

「新田中」の名前を地元で口にすれば、愛と羨望に満ちた視線が向けられることがしばしば。親子3人がノンストップで握り続ける鮨が、70分食べ放題なのである。好物だけ食べても、メニューの端から全部を食べても、フリーダム!こんな熱い鮨天国に連れて行ってくれたのは、お洒落さんにして大衆酒場好きな、美容師の山本リエコさん。

案内人

山本リエコ

山本リエコ

東京・青山のヘアサロン「TWIGGY.(ツィギー)」ヘアスタイリスト。生まれも育ちも新潟・長岡。寺泊港に揚がる日本海の魚と、新潟のお米を食べて育つ。美容師歴20年。2006年よりイギリス・ロンドンへ渡り、ショーやコレクションに参加、2009年に帰国。現在は、雑誌・広告・コレクションなど幅広く活動。というご経歴を今回初めて知ったイカワ。どおりでカットするにも1ヶ月待ちなわけだ!

焼肉屋でも牛肉を食べない人。

おもしろいことに、山本リエコさんは大の魚介好きなのだが、お鮨の王道である鯛や小肌などの白身には興味が沸かない。食べるのはいつも鯵や鰤、鰯などの青魚とサーモン、貝類に甘海老と決まっている。

「そう言えば私、焼肉屋に行っても牛肉を食べないですね。タンとかミノとか、内臓のコリコリ系ばっかり」
だから、おまかせコースの店はつらい。食べたくない魚も入ってきてしまうから、テンションが上がらないのだそうだ。

さて、私は結局貝から。つぶ貝・赤貝・平貝を注文したものの、サザエも気になってしょうがない。
「こうなったらもう、思い切って貝を制覇かな」
そう息巻いた私の耳に、右隣の男性客が連れの女性へ指南する、得意気な声が飛び込んできた。
〈ここは野菜の握りが面白いんだよね、エシャロットとか芽葱とかさ〉
はた、と顔を見合わせた私たち。
そうだった!今日は芽葱を食べに来たのでした!

野菜メニュー

「サザエと帆立と芽葱を、ふたりで一貫ずつください」

あなたたちの真似じゃありませんよ、最初から食べたかったんです。という声のトーンで山本さんが親方に告げた。

なるほど芽葱は、やわらかな食感と少しのシャキシャキ、わずかな辛味で口の中がさっぱりする。野菜の爽やかさと酢飯の風味があいまって、魚介の合間にちょうどいい。これは発見。

時々ふっと、にこっと笑う。

前回は芽葱を3回もおかわりしたという山本さん。しかし本日は、それ以上にサザエがいたく気に入ったようである。
「すっごいコリコリ!」
その声に、親方がちらりと微笑んだ。これだ。山本さんが話していた「親方はこわもてだけど、時々ふっとにこっと笑う。そこがいい」という笑顔。

握り3

彼女は、お鮨屋のカウンターというと緊張してしまう。自身も美容師で接客業だが、迎える側とお客側とでは気持ちが全然違うのだそうだ。
ただでさえ緊張するから、しーんとした店や、威厳を振りまく親方ではさらに縮こまる。その点、「新田中」はガヤガヤの思い思い、親方の「にこっ」にも癒やされる。

誰かが帰れば誰かが埋める、メリーゴーラウンド状態の「新田中」で、親方は淡々と鮨を握る。ちょっと身体を左右に揺らして、淀みなく、リズミカルに。

そう言えば、いい職人は自分のリズムを持っている、と聞いたことがある。

そこへ、初回らしいお客が「俺は小肌と平目と鰺、赤貝と北寄。こっちは……」など一気にドドドと注文。
「3つずつ行きますから」
やはり淡々と親方は制止した。けれど、感情のこもらない言い方だからこそ、注意されたお客も気まずくならない。普通のトーンで「あ、すみません。じゃあ小肌と平目と鰺で」と言い直せば、それでOK。

そうして親方は自分のリズムを守りながら、営業時間中、常に握り続けている。いや、親方だけでなく、娘さんもお兄さんも全員が握り続ける。これが深夜まで続くのだから圧巻だ。

新手の注文技、コリコリ縛り。

穴子2

さて、次は何にしよう?

ふたりでメニューを表裏、表裏とクルクル返していたら、カウンターの向こうから「どういうものが好きなの?」と親方が助太刀してくれた。
山本さんは青魚と貝だよね、という気持ちで私は隣に目を向ける。すると、彼女はひとこと。
「コリコリです」
なんと!
またしても新手の注文技が。
本連載「みんなの町鮨」第二貫・瀬尾幸子さんの「青いやつ全部」、西荻紳士の「真ん中の段全部」、第三貫・ハヤシコウさんの「いってんご」に続く、まさかの「コリコリ」縛りである。
しかし親方はやはり動じず、誰かの鮪を握りながら返すのだ。
「コリコリ系ね。じゃ、穴子生どうでしょう」
え、こういう注文でいいの?と心で驚く私。
え、生で食べられるんですか?とそっちに驚く山本さん。
「食べられます。穴子は蒸すとふわっと柔らかいけど、生はコリコリ。おいしいですよ」

で、私も一緒にコリコリするわけである。
穴子のコリコリは、シャクシャクに近いなぁ、などと山本さんはコリコリをさらに細分化して分類し、味わっている。
「石鯛と、車海老の生もコリコリよ」
親方のさらなる推しでコリコリは続いた。厚めに切った石鯛は身に甘味のあるコリコリ、まだぴくぴくしている車海老はねっとりのコリコリ。
「そういえば私、焼鳥屋でも砂肝、軟骨ばかり」
ああ、山本さんの筋が見えてきました。

海老など

気づけば、おなか具合は「いっぱい」を超えていた……。

普段は「食べるより呑む」派の山本さんが呑むのを忘れる、と聞いていたけれど、私に限ってそんなことはないはずだとたかをくくっていた「新田中」。でも、これが本当に呑むのをうっかり忘れてしまうのだ。
「でしょ?食べるのに一生懸命で」
山本さんはつぶ貝再び、子持ち昆布、ホタルイカ。コリコリシリーズはまだ続く。
「貝はね、やっぱり最終的にもう一回戻っちゃうんですよねー」
私は小肌、ホタルイカ。気がつけば、おなかはすでに「いっぱい」を超えていた。おでこのあたりまでごはんが詰まっている感じ、と私が言い、山本さんはこっそりベルトを緩める。

メニュー

そろそろ着陸態勢に入るときか。こうなったらもはや流れなど一切考えず、絶対に食べ逃したくないものを片っ端から食べるのみ。
恥ずかしながらイカワ、雲丹、筋子、煮穴子行きます!
「私は煮穴子だけ」
「塩とたれで行きますか」
「はい!」
もう駄目だ、本当におなかいっぱい。
なのに、である。またしてもグッドタイミングな隣客の叫びが。
〈イカ3種食べ比べ、めっちゃうまー。全部違う〉
〈いやぁ俺ももう一回行っとこう、これ伝染するんだよねー〉
……親方と、目が合った。
「はいよ、アオリイカ、ヤリイカ、スミイカのイカ3種ね」
おなかが苦しい。苦しいけど満足。ねちっとした甘味と、ハリがあってサクッとした食感と、コクがあるのと、味わい切って悔いはなし。

父・娘・息子、親子3人で握る江戸前のお鮨。

頭の中で、合戦終了のホラ貝が鳴る。
まだどうぞ、とにやりとする親方の挑発に、いやもう目が飛び出そうですと白旗上げる私たち。
「いい感じになりました?」
「なりました!」
最後に親方へ、気になるあのことを訊いてみた。
「なぜ新田中っていう店名なんですか?」
「あたしがね、古い田中ですから。名前だけでも新しいほうがいいってね」
なんか、カッコイイな。

親方の名は、田中伸佳(のぶよし)さんであった。娘さんは彩月(さつき)さん、お兄さんはじつは弟の俊輔さん。親子で握る鮨である。
親方は18歳からこの道に入り、鮨職人歴53年。白衣に和帽子がキリリとカッコいい彩月さんは、高校2年のときから握ってもう9年。俊輔さんは修業して5年。

食べ放題にしたのは、価格を気にせず安心して江戸前のお鮨を食べて欲しいから、だそうだ。確かに定額なら、タクシーのメーターがカチッカチッと上がっていくような焦りとは無縁に、ひたすらお鮨に集中できる。

仕事、頑張ってよかったー。

ほどよくお味噌汁が運ばれて、70分の食べ放題が終了。山本さん曰く、90分は長過ぎるし、60分は短い。70分っていうのがちょうどいい。
「安いだけのお鮨では、こんなに頑張れないですよね。『新田中』はおいしくて楽しくて、ついついおかわりしたくなる。おかわりしてもお財布が安心。安心って、すごく大事な要素です」

たまご

今日はいっぱい食べるから、プールで泳いでから来ようと思ったのになぁ、と若干悔しがる山本さん。
「コリコリシリーズが予定外によかったなぁ。あれがなければ芽葱をおかわりしていたかも。あわよくば、かいわれもいったかも。でもコリコリのおかげで、石鯛を覚えましたからね」

よかったのか反省なのかわからない口ぶりで、今夜の戦い方を振り返る。でもやっぱり、すごくよかったのだ。

お会計をして店を出ようとした私たちの背中で、お客の誰かが「あー俺、今週仕事頑張ってよかったー」と大きく息をつく。
気持ちわかる、と笑った山本さんはもう一度、「お父さんを連れてきたいなぁ」と繰り返した。

第六貫 了

店舗情報店舗情報

すし処 新田中
  • 【住所】東京都目黒区中根2‐5‐12
  • 【電話番号】03‐3723‐0024
  • 【営業時間】11:30~14:00、17:30~26:00(食べ放題は~13:00、~24:30)
  • 【定休日】水曜
  • 【アクセス】東急東横線「都立大学」駅より8分

文:井川直子 イラスト:得地直美

井川直子さん.jpg

井川 直子(文筆家)

文筆業。食と酒まわりの「人」と「時代」をテーマに執筆。dancyu「東京で十年。」をはじめ、料理通信、d newsほかで連載中。著書に『変わらない店 僕らが尊敬する昭和 東京編』(河出書房新社)、『昭和の店に惹かれる理由』『シェフを「つづける」ということ』(ともにミシマ社)。2019年4月にインディーズ出版『不肖の娘でも』(リトルドロップス)を刊行。取扱い書店一覧、ご購入方法はホームページ(https://www.naokoikawa.com)からどうぞ。