米をつくるということ。
今そこにある田植え|米をつくるということ②

今そこにある田植え|米をつくるということ②

4時間近くかけて、田植えのために東京から魚沼へやって来た。そそくさと田植え用の長靴に履き替え、日焼け対策、暑さ対策を講じて、いざ初田植え。でもね、わかっちゃいたけど、田植えをする前の田んぼというのは泥。底は見えない。その中へ足を突っ込むのは、意外と勇気がいるのです。

田んぼ臭いコシヒカリが好き。

畦道
まつだい駅が近づくにつれ、右も左も田園風景が広がっていく。そしてL字カウンターを彷彿させる畦道を発見。田んぼの形は四角じゃないんだと、改めて知る。

バスが高速道路を降りたところで、いきなり頭がはっきりした。いつのまにか眠ってしまったらしい。目的地の棚田までもうすぐ。
バスが左右に揺れる。蛇行を繰り返す田舎道に入ったのだ。眼下に小川が流れていた。川底の石も一つ一つはっきり確認できるほど透き通った水だ。こんな清流を見たのは何年ぶりか。魚沼はやっぱり水が豊かな土地なんだなあ。
ふいに小さな田んぼが目に飛びこんできた。
おお、これが棚田だ!
小川に寄り添って小さな水田がぽつりぽつりと点在している。四角く整ったふつうの田んぼではなくて、地形にあわせて、ふくらんだり、しぼんだりと形を変える、おおらかな感じの水田。すでに田植えが終わったものもある。それに雑草が伸びた場所も。休耕田だろうな。
それにしても水面から少し顔を出したその苗の、なんとかぼそいこと。たよりないヒラヒラと揺れる細葉が並んでいる。あれで穂をつけるまでホントに育つの?と、ちょっと心配。

バスが十日町のまつだい駅に到着したのは、ほぼ予定通りの午前10時。参加者の挨拶もそこそこに、まずは現地で実際に農業に従事しているスタッフのみなさんが用意してくれた長靴選びから。サイズ選びは慎重に。大きすぎると田んぼの泥に埋まって脱げてしまうこともある。で、ちょっときつめのものにした。
ゴム状のすぼまった口を開いて足を力任せに押しこむと、膝小僧まですっぽり入った。それから日焼け止めクリームを顔に塗り、タオルを首に巻き、帽子をかぶり準備万端。水筒はなしで大丈夫。棚田のそばにおいしい麦茶が用意されているという。

田植え用の長靴
ずらりと並ぶのは、田植え用の長靴。履き口がゴム状になっていて、たとえ、泥にはまっても簡単には脱げない、はず。

いよいよ棚田へ出発。先頭を切って歩く自分に気づいて、いささか恥ずかしくなった。参加者の中では最年長というのに。急な坂道を上りきると、真夏のような日射しのなかに、棚田が手招きして待ち構えていた。なだらかに傾いた地面に、棚田が階段状に連なっている。全部で5面。

藤原智美さん
棚田へ向かって先陣を切るのは藤原智美さん。田植えに対する想いを抑えきれないのか、坂道を年齢を感じさせないスピードでずんずん進む。
棚田へ向かう
棚田が近づくにつれ、少しずつ遅れていく藤原さん。舗装された坂道を登った後は、草木が生い茂る砂利道を抜けると目指す田んぼがあった。

苗は富山から運んできたコシヒカリの原種だ。「ゲンシュ」という言葉の響きに、やる気が爆発する。
ひとくちにコシヒカリといっても、土壌や病虫害対策で品種改良を重ねられて、もとの、というか、昭和30年代に一世を風靡したものとは、今ではだいぶ味わいが異なるものになっているらしい。もちろん土地によっても味は異なる。
ぼくの好きなコシヒカリは、少し小粒で独特の香りをもっている魚沼産のもの。この香りを、あまりうまく言えないが、ぼくなりに表現すると「田んぼ臭い」というか「田舎臭い」というようなやつだ。こんな野暮ったい言い方しかできないが、しかしこれがたまらなくうまいのだ。
原種というからには、きっとこの味わいをもったものに違いない。勝手にそうふんだ。

コシヒカリの原種
これが、コシヒカリの原種。水が張られた田んぼに、早く植えてとせがむように、苗が並んでいた。これが米になるなんて、想像を遥かに超えますね。

腰に籠をくくりつけて、そこに苗を仕込んだ。長さが15cmばかりで、これを2、3本ずつ束にして植えていくという。やっぱりどう見ても、こんなちっぽけな苗で、本当にいいのか、と疑ってしまうのだが、ここはプロの農家がいうことを信じよう。
畦道を下り、棚田の脇に立って、改めてわれらの田んぼを見渡してみる。上から眺めるのと、実際に下って直近で見るのとでは大違い。広い!一区画にあたる田んぼが、思いのほか広い。
今日中に終えることができるだろうか、ちょっと心配。

蛙
遠くに緑が見えたので、おっ、誰かがもう苗を植えたのかな、なんて思ったら、蛙ちゃん。人間にとっても広い田んぼは、蛙にはどう見えているのかな。

田んぼに足を踏み入れる瞬間を何と呼ぶ?

「まず、これを水面に敷いてください」
手渡されたのは灰色の大きな巻紙。幅は1mほどある。いったいなんだ?水面に紙を敷きつめながらの田植えなんて、聞いたことがないぞ。
どうやらこれは、畑に使われるマルチシートという雑草対策用の紙と同じ発想のものらしい。何しろこの棚田は無農薬栽培だから、雑草が瞬く間に生えてしまい、稲の生育を阻む。だから定期的に草むしりしなければならない。無農薬栽培の難点はこの雑草取りに大変な労力がいるところだ。そこでこのシートを敷きつめて雑草が生えにくくするという。日光を遮断すると、植物は光合成ができないので育たない。雑草を激減させられる。
「去年、試してみたらとてもうまくいったので、今年も採用しました」という。紙はいずれ、自然に解けて地面に吸収されるらしい。
無農薬栽培の田んぼなど全国でもまれ。ましてやマルチシートを使う栽培方法を実践しているところは、まだほとんどないらしい。つまり、ぼくらは最先端!の田植えをやるのである。
おお、気分が、がぜん盛りあがる。

現地スタッフの竹中想さん
田植えビギナーに、丁寧にイロハを教えてくれたのは、現地スタッフの竹中想さんである。期待と不安。やる気と尻込み。さまざまな想いが交錯する面々。

マルチシートを小脇に抱えて、ついに田んぼに入るときがきた。ぼくは田んぼに足を踏み入れる決定的瞬間を、なんとかネーミングしたいと考えて、あらかじめ用意してきた言葉がある。それが「入田(ニュウデン)」。
誰よりも先に入田しよう。そう決めていたから、先頭を切って田んぼに足を踏み入れようとした。
しかしその一歩がなかなか踏みだせない。ぼくは週に2回、ジムで水泳のトレーニングしている。プールに入水するのはなんでもない。というより気持ちいい。しかし入田は足がすくむのだ。
「どっちの足から入ってもいいんですよね」などとバカなことを聞いている自分が恥ずかしい。きっと水面から底がはっきり見えないのが原因だろう。まさか底なし沼ではないだろうけど、やっぱり足を入れるのがちょっと怖い。しかし、ぼやぼやしているとほかの参加者に先を越されるぞ!
気持を奮い立たせて左足から入田した。と、とんでもないことに……。

入田
農薬を使わない田植えに有効だというマルチシートを手に、いよいよ「入田」へ。ためらわずに第一歩を踏み出したいところだけれど、泥のハードルが高いことを思い知る。

――つづく。

文:藤原智美 写真:阪本勇

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藤原 智美(作家)

1955年、福岡県福岡市生まれ。1990年に小説家としてデビュー。1992年に『運転士』で第107回芥川龍之介賞を受賞。小説の傍ら、ドキュメンタリー作品を手がけ、1997年に上梓した『「家をつくる」ということ』がベストセラーになる。主な著作に『暴走老人!』(文春文庫)、『文は一行目から書かなくていい』(小学館文庫)、『あなたがスマホを見ているときスマホもあなたを見ている』(プレジデント社)などがある。最新刊は『この先をどう生きるか』(文藝春秋)。1998年には瀬々敬久監督で『恋する犯罪』が哀川翔・西島秀俊主演で『冷血の罠』として映画化されている。