牛を食べるということ。
母牛にするのか、肉牛にするのか|牛を食べるということ②

母牛にするのか、肉牛にするのか|牛を食べるということ②

牛は動物である。牛肉は食材である。この真理をきちんと理解するために、短角牛の母牛を飼った。やがて、彼女は子を産んだ。メス。心が揺らいだ。牛を飼うことで、何かが変わって、何かを識ることができるかもしれない。農と食のジャーナリストで知られるやまけんこと山本謙治さんと、短角牛の「ひつじぐも」と「さち」の物語。

メスの「牛生」はふたつある?

初めて識ったときは驚いたが、牛が子供を産むまでにかかる期間は、人と同じくだいたい十月十日。2008年3月下旬、無事子牛が生まれたと連絡があった。
「めんこいメスですよ!さてどうしますか?」
ああ困った。短角和牛は希少品種なので、メスが生まれたら母牛候補として残すのが望ましいとされているのだ。オスは子を産まないから問答無用で肉にされるが、メスの場合は母牛候補になる可能性もある。肉牛の生産には母牛が必要不可欠だ。うー、悩ましい。けれども僕はこの一頭目の女の子を肉牛農家に預け、肉にすることに決めた。だって僕は、牛が肉になるということを実感するために、自分の牛を持つことに決めたのだもの。
ああ、それなのに!
僕はこの女の子を「さち」と名付けてしまった(牛の世界では、オスは漢字、メスは平仮名で名前がつけられる)。幸多かれ、と思ってだが、肉にして食べちゃうのにそんな名前をつけてしまい、しばし自己嫌悪。

母牛のひつじぐもと、第一子のさち。産まれたての子牛はバンビのようで、本当にかわいい。
母牛のひつじぐもと、第一子のさち。産まれたての子牛はバンビのようで、本当にかわいい。

初めてさちに会いに行ったときは、もう後悔しまくりだった。だってすごく可愛いんだもん……生まれて1ヶ月くらいの子牛はバンビちゃんのように小さくしなやかな体軀、透き通った眼で、おそらく誰でもハートを射抜かれるくらいに可愛らしい。
ああ、こんな子を肉にするんだなと思うと、本当に心が痛んだ。
けど、この子を肉にするということで僕はようやく牛肉の真実に近づくんだ、心に言い聞かせた。

牛は何を食べている?

短角和牛は生まれてから半年程度は、お母さんの乳を飲みつつ草を食べて育つ(短角和牛以外の牛は基本的に生まれてすぐ母牛と離され、人工乳を与えられて育つ)。春の牧野にひつじぐもとさちを見に行くと、そこここで母牛が子牛に乳を飲ませている。僕たちの牛たちはどうだろう。と期待しながら探すが、杉澤くんがちょっと暗いトーンで恐ろしいことを言う。
「実は、ひつじぐもが育児放棄気味ぎみなんですよ……」
えぇ?!牛が育児放棄?驚きながら見つけたひつじぐもの乳房は不自然なほど大きく膨れ上がっている。さちがお乳を求めて近寄っても、ひつじぐもはつれなくさっさと移動してしまうのだ。どうやらひつじぐもは、お乳が出すぎてしまう体質らしい。食欲旺盛なオスの子牛ならばんばんお乳を飲むのだが、メスのさちが飲む量は少なく、結果的に乳腺がつまってしまい、乳首がパンクしてしまったらしいのだ。ひつじぐもは乳首が痛くてさちを遠ざけていたのだ。

牛の授乳風景。互い違いになって、子牛は母牛の乳房に食らいつく。草も食むのだが、なかなかの美食家で、柔らかい若草を好んで食べる。
牛の授乳風景。互い違いになって、子牛は母牛の乳房に食らいつく。草も食むのだが、なかなかの美食家で、柔らかい若草を好んで食べる。

あまりの事態に絶句。この後、牧野の看守さんが、毎日見回り、ひつじぐも乳房を手でもんでやり、乳を強制的に出して詰まりを解消させてくれるという大仕事をしてくれた(牧野に放牧された牛を見守る看守さんがいる。ひとりで数百頭の牛に目を配ってくれる)。
それでも、4つある乳首がひとつパンクしてしまった。さぞかし痛かったことだろう。乳をよく出してくれる、子育て上手の血統が災いとなってしまった。けれどもこの後、危機を脱してからは順調にさちは大きくなってくれた。いつのまにかさちは、バンビちゃんのような愛らしさから、思春期の少女のようなしっかりした子牛へと変貌を遂げていた。

――明日につづく。

文・写真:山本謙治

山本 謙治

山本 謙治 (農と食のジャーナリスト)

1971年、愛媛県生まれ。埼玉育ち。学生時代、慶應義塾大学藤沢キャンパス内に畑を開墾して野菜をつくる。畑サークル「八百藤」を設立して、学業と農業の両立を図る。大学卒業後、野村総研などを経て、2004年に独立。農業や畜産分野での商品開発やマーケティングに東奔西走。座右の銘は「三度の飯より食べるのが好き」。『炎の牛肉教室!』(講談社新書)、『日本の「食」は安すぎる』(講談社プラスα新書)など著書多数。