牛を食べるということ。
やっぱり牛肉は牛の肉だった|牛を食べるということ④

やっぱり牛肉は牛の肉だった|牛を食べるということ④

牛は動物である。牛肉は食材である。わかっているようで、わかっていない。だから牛を飼うことで、何かが変わって、何かを識ることができるかもしれない。そう思った。牛を飼い始めて3年。育てた牛は牛肉となった。複雑な思い。農と食のジャーナリストで知られるやまけんこと山本謙治さんと、短角牛「ひつじぐも」とその子供たちの物語。

涙が出るほど、おいしい牛の肉。

実際のところ、さちの死を嘆いている暇はなかった。さち一頭の皮や内臓を抜いた、いわゆる「枝肉」の状態でなんと450kg。これを僕は自分で売らなければならないのだ。半頭分は焼き肉用のスライスにして一般に通販し、半頭分は飲食店に販売しようと考えた。

肉は部位によって性質が違い、ステーキや焼き肉に向く部位もあれば、硬い部位や脂の多い部位もある。どの部位も特有のおいしさがあるけど、売れるのはロースやヒレといった、飲食店が使いやすい部分だけだ。知り合いの料理人たちに連絡をすると、やっぱりロースやヒレ、もも肉はすぐに売れたが、バラやウデ、すね肉はなかなか売りにくかった。一方、焼き肉セットは150セットくらいになったが、インターネットで呼びかけたら数日で売り切ることができた。

そして迎えた大きなイベント。昵懇にしているレストランにて「さちの肉を食べる会」を開催したのだ。さちのほぼ全部位の肉を使った、全12皿のコース料理。それまで、さちとの別れにうじうじしていた僕だったが、シェフが料理してくれたさちのもも肉のタルタルを食べて、心の底からビックリしてしまった。

「さち、きみはなんておいしいんだ!」
それまで感じていた重苦しい気持ちはもう微塵もない。晴れ晴れとした感動が僕を包む。と畜されてからじっくりとねかせて旨味を花開かせたさちの肉は、良い香りに深い味わいがし、噛むごとにおいしい汁をしみださせていたのだ。参加者もみんな、感動しながら少しも残さず、全部の皿を平らげてくれた。

牧野にて。ひつじぐもの第二子となる国産丸と対面。オス。短角牛は警戒心が強いので、この距離が限界。
牧野にて。ひつじぐもの第二子となる国産丸と対面。オス。短角牛は警戒心が強いので、この距離が限界。

牛は命ある生き物なのだ。

以来、ひつじぐもは順調に子供を産んでくれている。第二子の「国産丸」はその名の通り、国産の飼料だけで育てた。第三子の「草太郎」には草だけを食べさせて育てた。第四子の「いなほ」は久々の女の子。「さち」とは違い、この子は母牛にすることにした。そして第五子も女の子。「ひかり」と名付けたこの子は、初めて子牛市場に出品し、販売した。結果的にこの子を落札してくれたのは杉澤くんだったのだけれども、その1ヶ月後、信じられない知らせが届いた。
「実は、ひかりちゃんが肺炎をこじらせて、亡くなりました……」
一瞬、耳を疑い、頭が真っ白になる。えええっ、僕の牛が死んだ……?

実はこのひかり、成長スピードが遅く、みんなが心配していたのだ。抗生物質を処方されたが、手当の甲斐なく亡くなってしまった。それでも「牛が事故や病気で死んでしまうことはありますからね」と言われていたのだけれども、まさか自分の牛が死んでしまうとは思いもよらなかった。牛はやっぱり、命ある生き物なのだ。

ひつじぐもの第三子は、国産丸に続いてオスだった。草だけを食べさせて育てようと草太郎と名付けた。
ひつじぐもの第三子は、国産丸に続いてオスだった。草だけを食べさせて育てようと草太郎と名付けた。

牛を飼うことで、僕の牛肉に対する気持ちに大きな変化があった。それは、肉や脂の色、きめ細やかさ、風味や硬さを味わうことで、この肉となった牛が生前、どんな生き方をしたんだろうかと思いを馳せることができるようになったということだ。なんというか、牛に仲間意識を感じるというか、身内をいただいているような変な気がする。だってあんなに、大きな生き物が、ぼくたちに命を与えてくれるのだもの。ありがたくいただかなければならない。

牛肉は「牛の肉」なのです。豚肉も「豚の肉」、鶏肉だって「鶏の肉」。あらゆる命に感謝して、その尊いお肉をおいしくいただこうではありませんか。

おわり。

文・写真:山本謙治

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山本 謙治(農と食のジャーナリスト)

1971年、愛媛県生まれ。埼玉育ち。学生時代、慶應義塾大学藤沢キャンパス内に畑を開墾して野菜をつくる。畑サークル「八百藤」を設立して、学業と農業の両立を図る。大学卒業後、野村総研などを経て、2004年に独立。農業や畜産分野での商品開発やマーケティングに東奔西走。座右の銘は「三度の飯より食べるのが好き」。『炎の牛肉教室!』(講談社新書)、『日本の「食」は安すぎる』(講談社プラスα新書)など著書多数。