牛は動物である。牛肉は食材である。至極、当たり前のことで、頭ではわかっているけれど、身体ではわかっていない気もする。牛が牛肉になるとは、どういうことなのか。牛を飼うことで、何かが変わって、何かを識ることができるかもしれない。農と食のジャーナリストで知られるやまけんこと山本謙治さんと、短角牛「ひつじぐも」の物語。
僕らは牛肉のことをほとんど識らない。そう言うと驚く人もいるだろう。松坂牛や神戸牛など、百貨店の精肉売り場に行けば、ものすごい値段の高級牛肉に出合うことができる。そんな高級品でなくとも、いまどき焼肉店に行けば、ブランド牛がそれほど高くない値段で食べられて満腹になれる。
けれどもそうした、綺麗にカットされた赤い肉を味わうだけでは、決して牛肉のことはわからない。それは牛肉という言葉を分解してみればわかる。牛肉とは「牛」の「肉」なのだ。トレーにきれいに並べられた「牛肉」になる前、それは生きた牛だった。この国で牛を飼うことができるのは畜産農業に限られる。実家や親戚がそうでない限り、僕らが日常的に牛と触れ合うことはない。
だから、牛肉のことをきちんと識るためには牛を飼い、肉にして食べるということを一通り体験するしかない。そう考えていた折、僕は思いもかけぬある幸運から、牛のオーナーになるという稀有な体験をすることになったのだ。
「思ったよりもでっかいなぁ?」
初めて僕の牛を見に行ったときのことだ。褐色の体軀に、20cm程度に伸びた角。その子の名前はなんと「ひつじぐも」だという。女の子なのにそれはないでしょう、と思ったが、牛の名前は生まれたときに持ち主が決めるから、僕にはどうしようもない。
「けどね、この子はいい体形をしてる。きっと子育て上手の母親になりますよ!」
牧野組合(牧野とは山林を開いた牧場のこと。これを運営する人たちが組合をつくっている)の世話人でもある役場の杉澤好幸くんの薦めに素直に従って、僕はこのひつじぐもを自分の牛にすることに決めた。誤解のないように言っておくと、日本では家畜としての牛を持つことができるのは農家や組合だけで、僕のような農家でない者が牛を所有することができない。でも、岩手県二戸市の稲庭岳という山の上に牛を放牧する組合が、牛の頭数を維持するために行なっている、母牛のオーナー制度を僕に適用してくれた。普通は二戸市在住の農家でなければオーナーになれないので、これは特例中の特例。
「やまけんちゃんが牛を持ったら、俺たちの短角和牛(短角和牛は4品種ある和牛の一種。黒毛和牛に比べサシの量は劣るが、赤身のうまさに定評がある。頭数は全国に8,000頭以下で、希少品種と言ってよい)のことを宣伝してくれるかもしれないだろ?だから特別にOKになったよ」
そう言って、杉澤くんは笑った。
牛を持つといっても、東京で仕事をする僕が毎日の世話をすることは不可能だ。ありがたいことにオーナー制度は、さまざまな理由からオーナーが自分で世話ができない牛を引き受けてくれるという仕組みになっている。そんなわけで、とにかく僕はひつじぐものオーナーになったわけだ。ということは、ひつじぐもの生活費は当然、僕が払うことになる。地元農協に口座を開設し、そこに生活費を振り込むという段取りになった。
それにしても牛を飼うというのは特別なことだ。当たり前のことだけど、牛は生き物で、生命を維持するための活動をしている。僕が見る限り、牛は歩いたり寝たりする以外には、餌をもしゃもしゃと食べるか、時折なんの前触れもなくおしっこかウンチを(それもびっくりするほど大量に!)しか、していない。500kg前後の重量のある、大きな牛だ。彼女たちは1日に8kg程度の餌を食べ、10Lの水を飲み、そして排泄するのだ。犬や猫を飼うのとはワケが違う。
2007年5月、岩手の山々から雪が消え、牧草が十分に伸びる頃、僕の牛になったひつじぐもは放牧場に放たれた。広大な敷地に40頭くらいのメスの群れと、1頭のオスが放されている。普通、この国の牛たちは自由恋愛ができず、人工授精で子供を産む。そのほうが、人間に都合の良い資質(サシが入るとか育ちが早いとか)をもった血統ををコントロールしやすいからだ。しかし、ひつじぐもは短角和牛という東北や北海道で育てられている希少品種。この牛たちは放牧で、オスとメスが恋愛をして子を宿す。
「だいたい放牧に出てから3ヶ月くらいしたら、種がつくと思いますよ」
そう言われていたが、自分のオンナノコに種がつくなんて、少しムッとしちゃう。けれども、秋頃無事に「おなかに子供がいますよ!」という連絡がきて一安心。いよいよ、僕が名付け親になることができる牛が誕生するのだ。
――明日につづく。
文・写真:山本謙治