路面電車に沿って、東京の東へ向かう。目的はバラ。そして、ジョー。バラを求めて自転車で蝶のように舞い、といきたいところだけれど、相変わらずのんびりと牛歩のごとく、ふとした出逢いに心を揺さぶられながら、自転車で泪橋を目指した。おっちゃん、ジョーは、立っていましたよ。
都電荒川線は東京に唯一残った路面電車だ。乗り遅れても、追っかけていって次の駅で乗れる、というのは落語の枕だけど、なんかいいよね。大都会でゴトゴト、ちんちん、なんて。のんきで。
前々回、この“都電”に沿ってポタリングをしたのだ。といっても、距離にしてわずか2㎞、停留場の数で5つ分だけなんだけど。停留場は全部で30あり、全線の長さは12.2㎞だから、まだほんの一部しか見ていないことになる。
そのときは3月だったのだが、沿線の観光案内板でこんな文言を見た。
「バラの見頃は5~6月と10~11月です」
沿線にバラ?
東京で?
その絵がイマイチ頭に浮かばない。じゃあ、その季節に全線を走ってみよう。
で、東の端の三ノ輪橋停留場にゴールしたら、その周辺でラーメンを食べよう。あの辺りはディープな下町じゃなかったかな。渋いラーメン屋もありそうだ。
編集長のエベに訊いてみると、こんな返事が来た。
「『あしたのジョー』の泪橋のあたりですね」
そっか、あの辺か!
これを聞いてテンションが上がらない昭和男子はいない。
薫風香る、ある日の午前11時、東京の西側、阿佐ヶ谷の自宅から自転車にまたがり出発した。
いつもはすぐに小路に入って、“お宝”探しに興じるのだが、今回の舞台はあくまで都電荒川線だ。そこまでは心を無にして大通りを突っ切っていく。
だが10分も持たず、新青梅街道でブレーキに指がかかった。
目白通りに入ると、イングランドの街角のような風景がちらほら目についた。
町全体で取り組んでいるのか、自然発生なのか、どっちかわからないくらいまばらに立っているのだが、それでも気持ちがいい。イングランドが好きなのだ。
そのすぐ先で、都電荒川線が見えた。足下に。
その歴史ある立体交差を渡って、坂を下り、小路を入っていくと、鬼子母神堂が現れた。
千人の子がいたとされる鬼子母神は、安産子育ての神だ。50円という大枚をはたいてお参りする。再来月、妻が第一子の出産を迎えるのだ。
境内には店が2軒あり、どっちも引力がすごかった。
駄菓子屋も気になったが、小腹が空いていたので、もう1軒の「おせんだんご」のほうへ。
団子は2本1セットで604円、と結構お高い。さすが東京の観光地だ。
食べてみると、おや?うまいな。団子自体の味がしっかりしている。
“しおり”を読むと、「おせん」の名は鬼子母神の千人の子から来ているらしい。
「小粒の五つ刺しのおだんごは、安産子育てと子孫繁栄を祈願する意味をこめております」とある。妻への土産にもう1セット頼み、受け取った包みを見ると、「羽二重団子」じゃん。根岸の名店だ。うまいはずだよ。
店のおばさんは都電の東の端に住んでいるらしい。ちゃきちゃきの江戸っ子、下町っ子といった感じで歯切れよく話す。毎朝都電で45分もかけて来ているそうだ。それでも運賃は一律だから170円。おせんだんご3粒分だ。
再び走る。意外と線路沿いに道がなくて、線路から離れてはさまよい、線路を見つけてしばらく沿線を走ってはまた離れる。何度目かに合流したとき、本当に線路沿いにバラが咲き誇っていた。
実はまったく期待していなかったんだけど、思ったよりすごい。色があふれ、バラの香りが立ち込めている。
巣鴨のあたりで、求めていた光景に出会えた。
長屋と路面電車だ。落語を聞いていたせいか、このふたつは僕の中でセットなのだが、沿線に立つ長屋は、僕が見た限り、この一軒だった。長屋はおろか、下町っぽい風情も、線路沿いにはなかなかないのだ。
梶原停留場周辺には懐かしい感じの商店街が伸びていた。
「都電もなか」という看板を掲げた和菓子屋があった。休憩がてら寄っていく。
なかなかリアルだ。ゴジラみたいに車両をかじる。単純なもので、都電沿いの旅をしているなあ、とますます実感する。ベタなことをして気分に浸る。旅では大事なことなのだ。
ゴールの三ノ輪橋が近づくにつれ、バラがますます増えてきた。
旅が終わるのがもったいなく思え、三ノ輪橋停留場の手前で“さまよいごっこ”をすると、下町感たっぷりの路地に出会えた。やっぱり東へ行くにつれ下町風情が濃くなってきた気がする。
三ノ輪橋停留場はバラにあふれていた。昭和レトロを求める僕のような旅人のための演出もささやかに行われている。
停留場の隣に観光案内所があった。中に入ると美熟女がいる。ちょっとワクワクしながら、泪橋への行き方を尋ねてみると、コテコテの関西弁が返ってきたので膝がカクンと折れた。江戸の下町気分が高まってきたところなのに!
「先月、神戸から来たんですよ。友達の家に遊びに。で、3カ月だけここのお手伝い。でも東京いいですね。旦那もめんどくさいので、こっちで家探し始めました。あはは!」
「書いていいですか?」と冗談で言うと、「ぜーんぜん問題なし!」と弾けたように笑う。
改めて道を訊くと、お姉さんはスマホを繰りながら調べてくれた。そりゃそうなるよね。
泪橋はそこから少し離れたところにあった。
「泪橋を逆に渡るんじゃああ」と丹下団平がジョーに熱く語った、どぶ板を並べたような泪橋は、今はこんな風になっていた。
橋の下にボクシングジムがあったらおもしろい、と思ったけど、橋すらない。川は暗渠となり、道路の下を流れているらしい。
ただ、細い路地に入っていくと、にわかに興奮した。一泊2,200円といった看板を掲げた簡易宿泊所、いわゆるドヤが並んでいる。『あしたのジョー』で描かれていたドヤ街は今も健在なのだ。
山谷という文字も目に入った。“今日の仕事はつらかった”あの町もこのあたりだったんだ。
感心したことに、大阪のドヤ街の釜ヶ崎と、ドヤの感じも町並みもそっくりだった。同じ人がデザインしたのかと思うぐらいだ。
ただし宿代が違った。料金が表に出ているので、最安のドヤは一体いくらかと思い、釜ヶ崎をくまなく歩いたことがあった。同じことを今回もやってみたのだが、山谷の最安料金は、僕が見た範囲では1泊1,700円だった。釜ヶ崎は500円だ。
どこかの建物から男性の怒声が聞こえてきた。
「バッカヤロー!」
ひとりでずっと怒鳴っているようだ。この感じも釜ヶ崎と似ているが、少し違う。釜ヶ崎は「アホンダラー!」だ。
ここにないわけがない、と探しながら走っていると、やっぱりあった。
ジョーと並んで写真を撮ると、すべてのミッションをやりきったような清々しさを覚えた。メーターを見ると、ここまでの走行距離は42㎞。都電の全長は12.2㎞で、阿佐ヶ谷からの道のりを入れても20㎞ぐらいのはず。倍以上も寄り道してきたわけか。はは、さすがに腹も減ってきた。
文・写真:石田ゆうすけ