「㐂寿司」の365日。
ひときわ可憐な「㐂寿司」の小鯛。

ひときわ可憐な「㐂寿司」の小鯛。

「春子(かすご)」とも呼ばれる小さな鯛。酢で〆た可憐な身に脂はのっていないが、海老のすり身を入れたおぼろをかませて握ることで、軽やかな酸味とふくよかな旨味が合わさり、目尻が下がるような口福に満たされる。「㐂寿司」の木札に「小鯛」を見つけたら、ぜひ味わいたい鮨種である。

なかなか出会えない小さな鯛。

ここまで鯛の話をしてきたが、実は鮨屋にはもうひとつ、忘れてはいけない鯛がある。
それが「小鯛」とか「春子」とか呼ばれる種だ。
これは、真鯛やチダイの幼魚を、小肌と同じように塩で〆て、酢に漬けて握ったものだ。

小鯛
本日仕入れられた小鯛は頭から尾まで約15cmのとくに小ぶりなもの。
うろこと内臓を取り、頭を落とす。
うろこと内臓を取り、頭を落とす。
三枚におろす。
三枚におろす。
口の中に残ってしまうような、余分な筋などを除く。
口の中に残ってしまうような、余分な筋などを除く。

「春子」の語源については諸説あるが、神饌(しんせん)として春日神社に奉納したことが語源だという説が有力だ。その呼び名から春が旬だと思われがちだが実際は違う。ただ桜の季節にたくさん獲れることもあり、春を彷彿とさせる鮨種のひとつとなった。

四代目の油井一浩さん
四代目の油井一浩さん。水分を抜くための塩をざるにまいてから、小鯛を並べていく。

「小鯛は脂の乗った鯛の旨さはありません。そもそも、小肌と同じく小さいですから。江戸っ子らしい種とはいいますが、あんまり小さいと包丁でおろしにくいし、神経を使う仕事なんです。鯛と名がついていても、マグロや穴子ほどの華があるわけではない。だから、お決まりの握りに登場することはありません。ひと通り、鮨を食べられた後、追加で『春子ちょうだい』なんて言われると、鮨屋としては嬉しくなってしまいます」

上からも塩をかけて10分ほど置く。
上からも塩をかけて10分ほど置く。
塩を洗い流し、酢、砂糖を合わせた汁のなかで泳がせ、酢を全体にまわす。
塩を洗い流し、酢、砂糖を合わせた汁のなかで泳がせ、酢を全体にまわす。
ざるに上げて水毛を切る。艶やかで美しい色合い!
ざるに上げて水毛を切る。艶やかで美しい色合い!
昆布に並べていく。
昆布に並べていく。

「㐂寿司」の小鯛はおぼろとともに。

丁寧な仕込み
三枚におろした後に、小骨の一本まで除く神経を使う仕込み。やわらかな食感はこういった丁寧な仕込みゆえのこと。
昆布で〆るること約1時間30分。淡い桜色の皮の被膜がなくなり、身は透明になってくる。
昆布で〆るること約1時間30分。淡い桜色の皮の被膜がなくなり、身は透明になってくる。

「㐂寿司」では、小鯛は身と酢飯の間におぼろをかませて握られる。
身が薄いので、塩や酢の加減が難しく、〆ると魚体そのものが縮んでしまうのだが、甘いおぼろをかませると、味の輪郭がはっきりして、酢飯との一体感が生まれる。ちらしの具材としても重宝される。

「㐂寿司」は夏にむけて、鮪は鰹に、鯛は鰈(かれい)やスズキに入れ替わる。次に鯛が献立に戻ってくるのは秋の紅葉の季節。鯛好きにとって紅葉鯛もまた愉しみだ。桜が散り、葉桜の季節になると、いよいよ江戸っ子が愛した鰹のシーズンが到来する。

――つづく。

店舗情報店舗情報

㐂寿司
  • 【住所】東京都中央区日本橋人形町2-7-13
  • 【電話番号】03-3666-1682
  • 【営業時間】11:45〜14:30、17:00〜21:30
  • 【定休日】日曜、祝日
  • 【アクセス】東京メトロ「人形町駅」より2分

文:中原一歩 写真:岡本寿

中原 一歩

中原 一歩 (ノンフィクション作家)

1977年、佐賀生まれ。地方の鮨屋をめぐる旅鮨がライフワーク。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)など。現在、追いかけているテーマは「鮪」。鮪漁業のメッカ“津軽海峡”で漁船に乗って取材を続けている。豊洲市場には毎週のように通う。いつか遠洋漁業の鮪船に乗り、大西洋に繰り出すことが夢。