「春子(かすご)」とも呼ばれる小さな鯛。酢で〆た可憐な身に脂はのっていないが、海老のすり身を入れたおぼろをかませて握ることで、軽やかな酸味とふくよかな旨味が合わさり、目尻が下がるような口福に満たされる。「㐂寿司」の木札に「小鯛」を見つけたら、ぜひ味わいたい鮨種である。
ここまで鯛の話をしてきたが、実は鮨屋にはもうひとつ、忘れてはいけない鯛がある。
それが「小鯛」とか「春子」とか呼ばれる種だ。
これは、真鯛やチダイの幼魚を、小肌と同じように塩で〆て、酢に漬けて握ったものだ。
「春子」の語源については諸説あるが、神饌(しんせん)として春日神社に奉納したことが語源だという説が有力だ。その呼び名から春が旬だと思われがちだが実際は違う。ただ桜の季節にたくさん獲れることもあり、春を彷彿とさせる鮨種のひとつとなった。
「小鯛は脂の乗った鯛の旨さはありません。そもそも、小肌と同じく小さいですから。江戸っ子らしい種とはいいますが、あんまり小さいと包丁でおろしにくいし、神経を使う仕事なんです。鯛と名がついていても、マグロや穴子ほどの華があるわけではない。だから、お決まりの握りに登場することはありません。ひと通り、鮨を食べられた後、追加で『春子ちょうだい』なんて言われると、鮨屋としては嬉しくなってしまいます」
「㐂寿司」では、小鯛は身と酢飯の間におぼろをかませて握られる。
身が薄いので、塩や酢の加減が難しく、〆ると魚体そのものが縮んでしまうのだが、甘いおぼろをかませると、味の輪郭がはっきりして、酢飯との一体感が生まれる。ちらしの具材としても重宝される。
「㐂寿司」は夏にむけて、鮪は鰹に、鯛は鰈(かれい)やスズキに入れ替わる。次に鯛が献立に戻ってくるのは秋の紅葉の季節。鯛好きにとって紅葉鯛もまた愉しみだ。桜が散り、葉桜の季節になると、いよいよ江戸っ子が愛した鰹のシーズンが到来する。
――つづく。
文:中原一歩 写真:岡本寿