観光客の知らない浅草~浅草高校・国語教師の飲み倒れ講座~
「吉原もん」の真夜中のせいろ蕎麦|神林先生の浅草ひとり飲み案内④

「吉原もん」の真夜中のせいろ蕎麦|神林先生の浅草ひとり飲み案内④

深夜まで営業している蕎麦屋は、「ひとり飲み」にとって何とありがたい存在か。江戸の“飲み倒れ”の精神を、「飲むことに人生を懸けて」体を張りながら追求する神林先生。現在までに行った蕎麦屋は658軒。自身のミニコミ「ひとり飲みの店ランキング2019」25軒より、蕎麦飲みならではの愉悦と吉原大門に佇む“深夜蕎麦屋”について講義します。

「蕎麦前」とは酒の別名である。

今回は「蕎麦屋酒」のお話。
杉浦日向子さんは名著『ソバ屋で憩う』(新潮文庫)の中で蕎麦屋にはほかの飲食店や居酒屋にはない「おとなの憩い」があると書いておられる。
たしかに蕎麦屋の空気に溶け込んで過ごす時間は格別だ。
自分のお金で、ひとりで、「並木藪蕎麦」や「神田まつや」などの老舗に行き、焼き海苔や天ぬき(天ぷら蕎麦から蕎麦を抜いたもののことをそういいます)で一杯やり、せいろを二枚注文し、池波正太郎を気取って最後に残った蕎麦にお猪口の日本酒をかけて手繰る……。初めてそんな体験をしたとき、「俺も大人になったなぁ」と実感したものだ(最近は「富士そば」にも天抜きがあって、ちょっとビックリ)。

池波正太郎氏は「酒を飲まないくらいなら蕎麦屋へなんぞは入るな」「蕎麦前なくして蕎麦屋なし」という有名な蕎麦屋の格言(?)を残している(弟子の佐藤隆介氏による)。
江戸時代から蕎麦と酒とは切っても切れぬ仲。『広辞苑』には載っていないが、江戸っ子は蕎麦がゆで上がるまで酒でつないだので、酒の別名を「蕎麦前」と言った。
それが最近では気の利いた肴が揃った店が増え、「蕎麦の前にちょっとした酒肴で酒を楽しむ」という風に意味が広がってきている。だから「蕎麦前=つまみ」という意味で使うのは本来は間違いだ。

平目、石鯛、平すずきの盛り合わせ
刺身は好みや量、金額に合わせて盛り合わせが可能。こちらは平目、石鯛、平すずきの盛り合わせ(ハーフサイズ)1,460円。

「吉原もん」は“深夜蕎麦屋”の救世主。

蕎麦っ喰いにとっては、町場の蕎麦屋は閉店が早いため、蕎麦で〆たいと思ってもラーメンで我慢する(そして太る)という不遇の時代が長かった。
しかし近年、〆どころか深夜まで手打ち蕎麦が味わえるありがたい救世主が出現してきている。
「吉原もん」(17位)は、そんな“深夜蕎麦屋”の代表格だ。
オーナーの関真光さんが蕎麦を打ち、店長の金浜さんが店を任されている。
カウンター7席を含む、全30席。

ミニコミ誌
神林先生が職場の都立浅草高校で配布する目的で、2009年からつくり始めたミニコミ誌。今回のテーマは「ひとり飲みの店ランキング2019」に即した大好きな店ばかり25軒をランキング形式で紹介しています。
神林先生の「ひとり飲みの店ランキング2019」より。
▼25位「角打ちフタバ」
2013年開業。酒販店「酒のフタバ」内にある角打ち。ビール1本、日本酒3杯の“センベロセット”1,080円! 
▼24位「スナックひまわり」
1989年開業。一青窈も来た実力店。テレビ番組『和風総本家』登場。春は店内が本物の桜の花で埋まる。
▼23位「食べ呑み処 あぐまる」
2018年開業。まだ素人っぽい若い女性二人が営む。こんな店を応援するのも愉しい。
▼22位「洒落者」
2016年開業。「dancyu」で紹介された、日本酒の品揃えが素晴らしい立ち飲み。
▼21位「なお太」
2009年開業。深夜に極細打ち蕎麦が食べられる。活気があり、蕎麦以外の一品料理も大充実。
▼20位「しゅこう みやもと」
2004年開業。もっとも通っている店だが、いつも仲間と飲むので今回のランクは控えめ。
▼19位「Gyoza Bar けいすけ」
2016年開業。神戸味噌だれ餃子の店。パクチー餃子など創作餃子も多く、愉しい。
▼18位「食堂うんすけ」
2014年開業。ママが集めた民芸品とカレーと手料理の店。夜は厳選した日本酒も。
▼17位「吉原もん」
2014年開業。吉原大門・見返り柳前にある立石「玄庵」出身の人気蕎麦居酒屋。酒肴も手打ち蕎麦もお手頃。
▼16位「林檎や」
2016年開業。元向島芸者・りんごさんの居酒屋。ランチのカレーも夜の料理も旨い。
(ランキングは、テーマや先生の独断で変動することも多分にあります)
せいろそば
挽き立て、打ち立て、ゆで立ての“三立て”を体現する、せいろ600円。真夜中のきりりと締まった蕎麦は格別の美味しさ。本日は茨城県猿島郡境町産の常陸秋そばで打ったもの。

関さんは立石「玄庵」が主宰する「江戸東京そばの会」出身。向島「七福すずめの御宿」の立ち上げに携わり人気店に育てた後、実家の地に戻り「吉原もん」を開店した。
何より江戸からの蕎麦文化を連想させる店名がすばらしい。場所は、吉原大門跡のそばの「見返り柳」の真ん前。ご両親は喫茶店をなさっていたそうだ。
近年は千束・日本堤の辺りも「浅草」エリアで、清川・橋場・今戸などとともに「奥浅草」として注目されてきている。

講札
開店時に「地元の仲間たちが贈ってくれた」という立派な講札(こうふだ)。これも浅草らしさが垣間見える贈り物です。

場所柄、仕事を終えた飲食店のプロたちからも評判がいい。遅い時間は満員で入れないこともあるほどだ。
同門の「浅草じゅうろく」(浅草4丁目)はおまかせコース中心の高級店へと変貌を遂げたが、「吉原もん」は大衆の味方。かつて「玄庵」の貝塚師匠が「東京1、2という美味しいせいろ蕎麦を打ちます」とお墨付きを与えた“本物の蕎麦”が何と600円!

関さんは石臼挽き自家製粉にこだわる。蕎麦粉の劣化を防ぐためだけではなく、挽き立ての粉は扱いやすく「自分のやりたい蕎麦がつくれる」からだ。
肴の充実度も安さも、そこいらの居酒屋が裸足で逃げ出すレベル。
全体的に盛りがよく、「蕎麦屋の肉どうふ」などは2人前の分量。刺身もいいものが揃っているし、名物「とり天」をはじめとする季節野菜の天ぷらが愉しい。地酒も常時6~7種類が揃っていて、ラインナップは入れ替わる。

とりの天ぷら
とりの天ぷらはハーフでも頼めるのが、ひとり飲みにはうれしい(写真はハーフ)480円。一人前は倍の量で880円。添えられる塩ポン酢は自家製です。柚子胡椒、塩も付いてきます。
日本酒
日本酒はその時々のものを、日本酒に力を入れる酒屋より仕入れています。右より、岩手県“酔右衛門 特別純米酒 無濾過”。広島県“美和桜 純米吟醸 生原酒”。島根県“加茂福 純米”。
カウンター席の前の黒板
カウンター席の前の黒板には食指のそそるつまみがわんさか。“たぬき豆腐”、“鶏レバーかえし煮”など蕎麦屋ならではの気の利いた肴も気になるところ。

“蕎麦界の二郎”の異名をもつあの店のあのメニューが!

あなたは浅草っ子のソウルフード「ひやにくだい」をご存知だろうか。
超極太麺と圧倒的な量から“蕎麦界の二郎”とも呼ばれる「角萬(かどまん)」の「冷やし肉南蛮大盛」のことだ(聖地 竜泉店が2018年11月に廃業し、その職人が暖簾分けを許されて、2018年末に浅草店を開店した)。
何と「吉原もん」には角萬リスペクトのその“冷肉(ひやにく)”があるのだ!
もちろん麺は太打ち、量も通常の倍。本家より少し上品だが、「カドマニスト」(角萬中毒者)も納得の味だ。こんな店が近所にあったら毎日通ってしまうだろう。

神林先生
せいろで〆る、神林先生。飲んだ日本酒は手帳にしっかりメモ。いい酒、いい肴、いい蕎麦ですっかり気分上々。

最近、ひさご通りに2号店として「大衆酒場 あさくさ金吾」を開いたこちらも“名物 豚なんこつ煮”をはじめ肴の充実度はハンパない!(おっと、残念ながら蕎麦はありませんのであしからず)。

――2019年5月24日につづく。

似顔絵
<本日のお会計>
日本酒 山形県“甦る 純米吟醸”700円。クリームチーズそばつゆ漬け480円。本日の刺身盛り合わせ1,460円。とりの天ぷら(ハーフ)480円。日本酒 島根県“加茂福 純米”700円。せいろ600円。計4,420円也。※今晩もひとり飲みにしてはついつい頼みすぎてしまいました。

店舗情報店舗情報

吉原もん
  • 【住所】東京都台東区千束4‐36‐1
  • 【電話番号】03‐5808‐9336
  • 【営業時間】18:00~翌2:30(L.O.)、日曜・祝日は~翌1:30(L.O.)
  • 【定休日】水曜
  • 【アクセス】東京メトロ「三ノ輪駅」より10分

文:神林桂一 写真:大沼ショージ

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神林 桂一(都立高校国語教師)

教師生活41年。食べ歩き、飲み歩き歴は44年。10年前の都立一橋高校(馬喰町)時代から食のランキング・ミニコミを刊行(おもに職場で配布)。下町エリアを中心に酒場、定食屋、バー、和・洋・中・その他のエスニック料理店と守備範囲は広いが、なかでも“お母さん酒場”には並々ならぬ情熱を持つ。食にまつわる書籍、雑誌、テレビ番組、一般的なランキングサイトなど、リサーチにも余念がなく、自作のデータベースには行った店・約9000軒を含む1万4800軒の店や食の情報が整理されている。毎日早朝6時、デッキや外付けHDD計4台に録りためた番組をチェックすることから1日が始まる。