深夜まで営業している蕎麦屋は、「ひとり飲み」にとって何とありがたい存在か。江戸の“飲み倒れ”の精神を、「飲むことに人生を懸けて」体を張りながら追求する神林先生。現在までに行った蕎麦屋は658軒。自身のミニコミ「ひとり飲みの店ランキング2019」25軒より、蕎麦飲みならではの愉悦と吉原大門に佇む“深夜蕎麦屋”について講義します。
今回は「蕎麦屋酒」のお話。
杉浦日向子さんは名著『ソバ屋で憩う』(新潮文庫)の中で蕎麦屋にはほかの飲食店や居酒屋にはない「おとなの憩い」があると書いておられる。
たしかに蕎麦屋の空気に溶け込んで過ごす時間は格別だ。
自分のお金で、ひとりで、「並木藪蕎麦」や「神田まつや」などの老舗に行き、焼き海苔や天ぬき(天ぷら蕎麦から蕎麦を抜いたもののことをそういいます)で一杯やり、せいろを二枚注文し、池波正太郎を気取って最後に残った蕎麦にお猪口の日本酒をかけて手繰る……。初めてそんな体験をしたとき、「俺も大人になったなぁ」と実感したものだ(最近は「富士そば」にも天抜きがあって、ちょっとビックリ)。
池波正太郎氏は「酒を飲まないくらいなら蕎麦屋へなんぞは入るな」「蕎麦前なくして蕎麦屋なし」という有名な蕎麦屋の格言(?)を残している(弟子の佐藤隆介氏による)。
江戸時代から蕎麦と酒とは切っても切れぬ仲。『広辞苑』には載っていないが、江戸っ子は蕎麦がゆで上がるまで酒でつないだので、酒の別名を「蕎麦前」と言った。
それが最近では気の利いた肴が揃った店が増え、「蕎麦の前にちょっとした酒肴で酒を楽しむ」という風に意味が広がってきている。だから「蕎麦前=つまみ」という意味で使うのは本来は間違いだ。
蕎麦っ喰いにとっては、町場の蕎麦屋は閉店が早いため、蕎麦で〆たいと思ってもラーメンで我慢する(そして太る)という不遇の時代が長かった。
しかし近年、〆どころか深夜まで手打ち蕎麦が味わえるありがたい救世主が出現してきている。
「吉原もん」(17位)は、そんな“深夜蕎麦屋”の代表格だ。
オーナーの関真光さんが蕎麦を打ち、店長の金浜さんが店を任されている。
カウンター7席を含む、全30席。
関さんは立石「玄庵」が主宰する「江戸東京そばの会」出身。向島「七福すずめの御宿」の立ち上げに携わり人気店に育てた後、実家の地に戻り「吉原もん」を開店した。
何より江戸からの蕎麦文化を連想させる店名がすばらしい。場所は、吉原大門跡のそばの「見返り柳」の真ん前。ご両親は喫茶店をなさっていたそうだ。
近年は千束・日本堤の辺りも「浅草」エリアで、清川・橋場・今戸などとともに「奥浅草」として注目されてきている。
場所柄、仕事を終えた飲食店のプロたちからも評判がいい。遅い時間は満員で入れないこともあるほどだ。
同門の「浅草じゅうろく」(浅草4丁目)はおまかせコース中心の高級店へと変貌を遂げたが、「吉原もん」は大衆の味方。かつて「玄庵」の貝塚師匠が「東京1、2という美味しいせいろ蕎麦を打ちます」とお墨付きを与えた“本物の蕎麦”が何と600円!
関さんは石臼挽き自家製粉にこだわる。蕎麦粉の劣化を防ぐためだけではなく、挽き立ての粉は扱いやすく「自分のやりたい蕎麦がつくれる」からだ。
肴の充実度も安さも、そこいらの居酒屋が裸足で逃げ出すレベル。
全体的に盛りがよく、「蕎麦屋の肉どうふ」などは2人前の分量。刺身もいいものが揃っているし、名物「とり天」をはじめとする季節野菜の天ぷらが愉しい。地酒も常時6~7種類が揃っていて、ラインナップは入れ替わる。
あなたは浅草っ子のソウルフード「ひやにくだい」をご存知だろうか。
超極太麺と圧倒的な量から“蕎麦界の二郎”とも呼ばれる「角萬(かどまん)」の「冷やし肉南蛮大盛」のことだ(聖地 竜泉店が2018年11月に廃業し、その職人が暖簾分けを許されて、2018年末に浅草店を開店した)。
何と「吉原もん」には角萬リスペクトのその“冷肉(ひやにく)”があるのだ!
もちろん麺は太打ち、量も通常の倍。本家より少し上品だが、「カドマニスト」(角萬中毒者)も納得の味だ。こんな店が近所にあったら毎日通ってしまうだろう。
最近、ひさご通りに2号店として「大衆酒場 あさくさ金吾」を開いたこちらも“名物 豚なんこつ煮”をはじめ肴の充実度はハンパない!(おっと、残念ながら蕎麦はありませんのであしからず)。
――2019年5月24日につづく。
文:神林桂一 写真:大沼ショージ