食の仕事着。
銀座「ウエスト」の制服のこと。
制服の女性ふたり 制服の女性ふたり

銀座「ウエスト」の制服のこと。

おいしいを支える物語の第1回目は、銀座の洋菓子喫茶「ウエスト」を訪ねた。美しく、慎ましく、穏やかに店内を往来するスタッフの身だしなみには「ウエスト」が「ウエスト」である由縁があった。

清潔であることの必然。

看板
1947(昭和22)年の創業以来、銀座の外堀通りに店を構える「ウエスト」。店名は、当時この辺りが「西銀座」と呼ばれていたことに由来する。表の売店も奥の喫茶室も、年中無休の頼れる存在だ。

「ウエスト」は、終戦から2年後に生まれた洋菓子と喫茶の店だ。
当初は「グリル・ウエスト銀座」という名の高級レストランだったが、開業から半年後に施行された東京都の条例で75円以上の高価なメニューが提供できなくなったため(当時はコーヒー1杯が10円だった)、製菓部門だけを残して名曲喫茶として再出発し、今に至る。

現在は東京の青山や横浜などに喫茶室が、都内の百貨店などに菓子売り場があるが、個人的に初めて訪れたのは銀座の本店だった。
最初に扉を開けたとき、なんて「白」が印象的な店だろう、と思った。テーブルクロス、特徴的な椅子のヘッドカバー、接客係のシャツ、そして壁の色。目に飛びこんできたものすべてが清潔で皺ひとつなく、隅々までとても鮮やかだった。毎朝欠かさずに打ち水されている石畳とか、はき清められている境内などを思わせる。それでいて近寄り難さはなく、誰でも気軽に立ち寄れる。こんな場所があるなんて、とますます銀座が好きになった。

白をあえてふんだんに使うのは、清潔さを守り、汚れている場所があれば見過ごさないという自戒のあらわれなのだろう。
特に朝一番の店の空気は清々しくて、開店直後の静かな時間を狙ってやってくるという常連客がうらやましかった。

シュークリームとコーヒー
喫茶室でしか食べることができない“ハーフ&ハーフシュー”411円。生クリームとカスタードクリームが半分ずつ注入されたいいとこ取り。ほかの3種のシュークリーム(生クリーム、カスタードクリーム、ゴルゴンゾーラチーズ入り生クリーム)はテイクアウトが可能だ。

「うちは清潔を常としているだけなんです。ごらんのとおり空間も狭いですし、建物も安普請なので、あとはもう清潔というだけで」

二代目の依田龍一さんが、穏やかな声でそう話す。店の礎を築いた父・友一(ともいち)さんの跡を継いだ龍一さん曰く、謙遜しているわけではなく、必然でそうなっているのだ、と。

「たとえば、銀座本店の喫茶室の椅子は、店が狭いので隣り合うお客様同士の頭がぶつからないようにという配慮から、あえて背を高くしてつくった注文品です。ヘッドカバーも、昔の男性は髪にポマードをつけている方が多かったので、椅子に付着しないようにということで装着したもの。テーブルクロスは、折り皺がつかないようにうちから洗濯屋さんに特別な筒を渡してそれに巻きつけて納品してもらっていますが、それも折り皺がない方が店内に清潔感が出るから。ね、すべては必然でしょう?」

つまりは、店の狭さを清潔感でカバーし、訪れる人に寛いでもらうために工夫した結果が、今のような空間をつくり上げたというわけだ。なんだか種明かしをされた気分だが、逆に隠し事のない様子に惹きつけられる。

売店の箱詰めのお菓子たち
名物クッキー“ヴィクトリア”は“リーフパイ”と並ぶベストセラー。焼き上げ直後は、底生地・中種生地・絞り生地・イチゴジャムのそれぞれ異なる食感を楽しめる。HPではつくりたてに近い味わいを再現する方法を紹介しているので、お試しを。

「制服もそうです。先代が常々言っていましたが、主役はあくまでもお客様ですから、スタッフはできるだけ質素で目立たないようにと。つまり、お客様を際立たせるような清潔で質素な格好を心がけよ、ということですね」

「ウエスト」の制服は、喫茶室の接客係も、百貨店などの売り場に立つ物販係も、同じものを着用する。
女性の場合は、黒のベストと同色の膝下のスカート、それに白い襟付きのシャツが基本(ちなみに物販係の場合は、動きやすさを考えて同色のキュロットスカートも選べるそうだ)。ベストの胸元には名札を、シャツの襟元には店のトレードマークである指揮棒を振る少年“フリッツ君”のイラストが入った社員証代わりのピンバッジを刺す。ストッキングは肌色で、足元はヒール3cmまでの黒いパンプス。長い髪の場合は後ろでひとつに結わえ、色は染めない。アクセサリーも最小限。
一方、男性の場合は、女性と同じ襟付きシャツに白衣ジャケット、黒ズボン、ネクタイ、黒い革靴。店の内装と同様、男女ともに実にシンプルなスタイルだ。

襟元の社員証のピンバッジ
襟元には“フリッツ君”のピンバッジ。先代の友一さんが名曲喫茶にふさわしい図案を探していた際、アメリカの百科事典の挿絵から拝借したものだとか。ちなみに“フリッツ君”なる愛称は、お店で投票を行って決めたもの。

「レストランから喫茶に鞍替えしてからは、ずっとこの制服だと思います。レストラン時代は、いわゆる普通の白衣みたいなものだったんじゃないでしょうか。父はもともと地味でシックなものが好きだったんですが、店を始めた当初はもっとけばけばしい色彩が流行していたようで、自分のセンスに自信がなかったそうなんです。ところが当時、ピエール・カルダンがパリのモデルを連れて日本でファッションショーを開催するというので、大層チケットが高かったようですが、本場のセンスを見てみたいということで行ってみたら、世界的な一流デザイナーのシックな色使いが非常に自分の感性に合って、“これは自信を持っていいんだ”という気持ちになったと聞いています」
先代の研究熱心さが伝わるエピソードだ。

質素な制服と美しき所作。

接客中のウエイトレス
店の壁は出来合いの色ではなく、白に赤、黒、黄を独自の配合で混ぜて塗装。「清潔感と温かみがあって、ある程度鮮やかな白を目指しています」。オーダーメードの椅子の生地も、落ち着きのあるココア色に染めている。

ところで、実際に着用している人たちはどう思っているのだろう。この日サーブをしてくれた接客係の女性たちの感想はこうだ。

「やっぱり動きやすいですね。それに、デザインが本当にシンプルなので、服に変に気をとられなくていいんです。第一ボタンは必ず開けるというルールがあるので、首元もすっきりして、仕事の邪魔にならないですし」

「ただ、スカートが割とタイトなので、食べ過ぎてしまうとお腹が出てしまうのが悩みの種でしょうか。でも、だからこそ所作に気をつけなくてはと思います」

メニュー表と『風の詩』
毎週発行している自社のフリーペーパー『風の詩』。“お茶をのみながら素直に共感が得られる様な生活の詩”をテーマに、毎号800字以内の散文などを募集し、入選作1作を掲載。「ウエスト」の名物読み物として知られている。名曲喫茶だった頃は『名曲の夕べ』というタイトルで、その週に流す音楽のプログラムを載せていた。
ベートーベンの彫像
レストランから名曲喫茶になった当時は、家庭にオーディオ装置がない時代だったため、音楽を聴きにわざわざ足を運ぶ人が多かった。流す音源がレコードからCDに変わった今も、店のBGMはクラシック音楽のままだ。

たしかに、「ウエスト」のスタッフたちは所作が静かで丁寧だ。かすかにクラシック音楽が流れる店内で、物音を立てることなく淡々と仕事をしている。気の済むまで放っておいてくれるが、こちらが気づいてほしいときはどんなに奥まった席にいてもすぐに目線を拾ってくれる。接客の距離感も、恭しいけれどマニュアル的ではなく、臨機応変。だから気後れせずに頼みごとができる。

常々、「ウエスト」の清楚で上品な空間をつくっているもののひとつは、黒子に徹した控えめで美しい所作ではないかと思っていたのだけど、どうやらそれはあのシックな制服のおかげであるようだ。

――つづく。

入口のドア
開店直後から午前中は空いているため、ひとりでのんびり過ごす常連さんの独占タイム。午後はビジネス関係。夜はカップルや家族連れのほかに、場所柄クラブなどの同伴待ち合わせも多い。土日は女性グループで賑わう。

店舗情報店舗情報

銀座ウエスト 本店
  • 【住所】東京都中央区銀座7‐3‐6
  • 【電話番号】03‐3571‐1554
  • 【営業時間】9:00~21:30(L.O.)、売店は~23:00、土日祝は11:00~19:45(L.O.)、売店は~20:00
  • 【定休日】無休
  • 【アクセス】東京メトロ「銀座駅」より5分

文:白井いち恵 写真:米谷享 参考文献:木村衣有子『銀座ウエストのひみつ』(京阪神エルマガジン社)

白井 いち恵

白井 いち恵 (ライター・編集者)

新潟生まれ、千葉育ち。おもに街と食(ときどきバス)に関する記事を書いています。定まった仕事着がないわが身を省みて、食の世界も含めたプロたちのユニフォームに敬意と憧れを抱くこの頃。大抵、紺色を着ています。