ピエール・ガニェール氏は、歩むスピードを少しもゆるめようとはしない。料理をすることを楽しみながら進むガニェール氏の道は、まさにゴーイング・マイウェイ。来日を果たしたシェフに聞いた、生涯一料理人の人生について。
1950年、フランス生まれ。料理人。パリ8区のバルザックにある三つ星レストラン「ピエール・ガニェール」をはじめ、世界各国で23店舗を展開するオーナー・シェフ。日本は2005年から2009年まで東京の青山、2010年3月より「ANAインターコンチネンタルホテル東京」36階に店舗を構える。分子ガストロノミーの考えを取り入れるなど、アグレッシブに料理と向き合い続ける、世界的にも影響力の強い料理人のひとり。
半世紀にも及ぶ長い料理人人生を歩んできたピエール・ガニェールシェフ。
つねに第一線に身を置いてきた彼は、その間、自身の中での変化、大きな転換期はなかったのだろうか?
即座に返ってきた答えは「ノン、ノン」。
目まぐるしく移り変わる世界の食シーンに対して思うことを訊ねると、巨匠らしいひと言が返ってきた。
「それぞれの時代で食のトレンドはあります。分子ガストロノミーがもてはやされた時期もありました。モダン・スパニッシュが脚光を浴びたかと思えば、発酵をテーマにしたニュー・ノルディックキュイジーヌが注目を集めたようにね。食の歴史の中で考えると、私個人としては大きな動きではなかったように思います。普遍性があるのかどうか。長く続くということ、そこに正しさがあるのではないでしょうか。そう私は思います」
重みのあるその言葉からは、大木のように揺るぎない信念に満ちた自負を感じずにはいられない。真の天才だけが持ち得るプライドが静かに漲っている。
2002年、ロンドンにガストロ・ブラッスリーとティーサロン、バーを併設したレストラン「スケッチ」をオープンさせたガニェール氏は、2005年には日本へも進出。東京は青山に「ピエール・ガニェール・ア・東京」を誕生させる。
それより遡ること20年ほど前。1984年、ミシュランの二つ星を取る少し前に、ガニェール氏は初めて日本の土を踏んでいる。
このときの経験は、ガニェール氏にとって、ちょっとしたカルチャーショックだったようだ。それまでモヤモヤと心のうちにあったものが、日本の文化に触れて明確になったと言った方がいいだろうか。
「私自身としては、料理そのものよりも、料理をどのように仕立てているかに興味がありました。たとえば、小さいものを少しずつ多様なスタイルで提供することにはとても共感を覚えたのです。私もそのような料理の出し方を実践していましたからね。違和感よりも、シンパシーを感じましたね」
青山の「ピエール・ガニェール・ア・東京」は、残念ながら2009年に閉店するものの、翌年に「ANAインターコンチネンタルホテル東京」の36階にカムバック。日本版のミシュランで二つ星を取り続けている。
和食が注目を浴びるようになり、和の要素を取り入れるフランス人シェフも多い昨今だが、現在のフランス料理の有り様を、ガニェール氏はどのように見ているのだろうか?
「今、フランス人の料理人が東京にいっぱい来ているでしょう(笑)。当然、変わってきていますよね。日本料理からの大きな影響は、まず、ブイヨン。出汁が挙げられます。私は日本料理をとても重要視しています。ひと口に和食といっても、ラーメンもあれば、天ぷらがあったり、鮨に懐石と実にさまざまなジャンルがある。その多様性は世界的にみても、とても重要なファクターではないでしょうか」
昆布や海苔、山葵に醤油、山椒などの日本食材を取り入れるフランス人シェフも多い。だが、ガニェール氏は、日本料理に対してリスペクトしつつも、日本の食材を積極的に使おうとは考えていないという。
その理由を訊ねると「イージーすぎるし、みんながやっていることだから」。
オリジナルを、絶えず追求しようとする姿勢は、若き日も今も変わらない。
果たして、ガニェール氏はプレッシャーを感じないのだろうか?
「料理をつくる。それが私の仕事である以上は全うしなければなりません。お客さまに評価していただける、納得いただける仕事をしていかなくてはいけないのです。それをプレッシャーだと思うのではなく、自分自身への心理療法だと私は考えています。料理をつくることが、私とってはセラピーですから」
モチベーションを保つ秘訣については、ガニェール氏はこう語ってくれた。
「モチベーションを保つ秘訣ですか。それはお金ではありません。美味しい料理をつくりたい。お客さまに幸せを届けたい。その一心から意欲が生まれ続けているのではないでしょうか」
フランスの大地とフランス料理をこよなく愛するガニェール氏。だからこそ、他国の料理に刺激を受けつつも、ぶれることなく自らのスタイルを貫いてきた。
その矜恃こそが、まさにモチベーションを保ち続ける秘訣なのかもしれない。
(了)
文:森脇慶子 撮影:湯浅亨