ピエール・ガニェールがピエール・ガニェールであるために進んだ道は、決して平坦なものではなかった。料理人となって半世紀以上。辛酸を嘗めながらも、ガニェール氏はフランス料理の世界でトップランナーとして走り続けている。来日を果たしたシェフに聞いた、生涯一料理人の人生について。
1950年、フランス生まれ。料理人。パリ8区のバルザックにある三つ星レストラン「ピエール・ガニェール」をはじめ、世界各国で23店舗を展開するオーナー・シェフ。日本は2005年から2009年まで東京の青山、2010年3月より「ANAインターコンチネンタルホテル東京」36階に店舗を構える。分子ガストロノミーの考えを取り入れるなど、アグレッシブに料理と向き合い続ける、世界的にも影響力の強い料理人のひとり。
リヨンの南西に位置するサン・テティエンヌ。ユネスコ認定のこのデザイン都市に、ガニェール氏が初めて店を構えたのは1981年のことだ。
それまでは父親の店「ル・クロ・フルリー」を手伝い、一つ星を獲得したガニェール氏だったが、彼の料理への自由な発想はそこにとどまるものではなかったのだろう。
31歳でレストラン「ピエール・ガニェール」をオープンしたガニェール氏の才能は、すぐに世間の知るところとなった。
1981年といえば、奇しくも、あのジョエル・ロブション氏も、パリ16区に「ジャマン」を開店。また、アラン・デュカス氏は25歳にして「ラ・テラス」を統括するなど、現在、フレンチの巨星と言われているシェフたちが、その才能を、まさに花開かせていた華々しい時代でもあった。
こうして、フランス料理は、ヌーベル・キュイジーヌからさらに軽やかで美しく、モダンなスタイルに変貌を遂げていくのである。
そんな時代の波の下、前衛的であり、独創性と芸術性に満ちたガニェール氏の料理は、世界中のグルマンたちの舌を魅了させていったのである。
それは、まさしく彼の目指す「料理以上の料理」の具現化でもあった。
ガニェール氏は1986年には二つ星を獲得。1992年、「ピエール・ガニェール」は同じサン・テティエンヌ内に移店をする。アール・デコ調のインテリアに生まれ変わった新店は、その年、遂に三つ星に輝くのである。
だが、好事魔多し。1996年、多くの負債を抱えたレストラン「ピエール・ガニェール」は閉店を余儀なくされ、ガニェール氏は三つ星を返上することとなった。
しかし、彼の才能を惜しむ知人らが救いの手を差し伸べ、同年にはすぐさま復活を果たし、パリ8区のロテル・バルザックで「ピエール・ガニェール」を再開する。1997年に二つ星、1998年には首尾よく三ツ星へと返り咲いたのである。その年から今日に至るまでの21年間、三つ星に輝き続けている。
70歳近くになった今日でも、コック服に身を包み、厨房から離れることのないガニェール氏。根っからの料理人なのだろう。真剣な眼差しで厨房に立つその姿からは、"生涯現役"を貫こうとするかのような気概が伝わってくる。料理が好きで好きでたまらない。そして、自分の料理を愛してくれる人々に少しでも多くの幸せと喜びを与えたい。それこそが、ガニェール氏にとって、料理をつくる意義であり、至福の時間でもあるのだろう。
しかし、レストランはそれだけでは成り立たない。その事実を、27年前の蹉跌で痛感したのかもしれない。料理人としての信条を問うと、「料理人として大切にしていること。それは、正直でいることです。自分の仕事を一生懸命にする。それは自分自身に投資することでもあるのです」。こう答えた後、ひと呼吸おいて次のようにも語った。
「避けたくても避けられないものがあるでしょう。レストランとはいえ、ひとつの企業であり、私は独立した料理人です。だから、営業面のことも疎かにはできません。品質とプライス、採算。このバランスをきちんと取ることも大切なのです」
それは、自分自身に言い聞かせているかのようにも聞こえた。
その後もガニェール氏の料理への好奇心はとどまることを知らず、21世紀を迎えて間もない2001年、新たな試みに挑戦する。フランス国立農学研究所の物理化学者であるエルヴェ・ティス氏と協力。共に分子ガストロノミーを研究し、共著で『料理革命』を出版した。
分子ガストロノミーとは、これまで経験や勘に頼りがちだった料理法を、科学的に分析することで形式知化させ、調理法の改善に役立てようというもの。と同時に新しい技法やレシピ、料理の創造への可能性も秘めている。多くの料理人たちが(一時)夢中になった分子ガストロノミーの考え方に、いち早く注目したガニェール氏だったが、興味は示しても、決してそれにとらわれない柔軟な姿勢は、まさにガニェール氏のガニェール氏たるところだろう。
ガニェール氏にとっては、この分子ガストロノミーも、あくまでも新たな閃きや料理を生み出すためのヒントであり、アイデアのひとつに過ぎないのだ。
それにしても、である。
自由で大胆。遊び心溢れるあの閃き、インスピレーションは、いったいどこから、どのようにして生み出されてくるものなのだろうか。
「新しい食材や未知の味に出会うと、これはこんな風にしたらどうなるんだろう、これと合わせてみたら美味しいんじゃないかな、という具合に新しい料理へのアイデアが次々と浮かんでくるんです」とは、ガニェールシェフの言葉。
それゆえ、調理をしているうちに次々と料理が変わっていく――。同じ料理のはずなのに、さっきと今とでは違う仕上がりになっている。そんなことは日常茶飯事だったようだ。
「最近は(そういうことも)少なくなったけどね」
そう言ってガニェール氏は笑った。
ガニェール氏の閃きについていかなくてはいけないスタッフは、かなり鍛えられたことだろう。
「もちろん、アイデアが浮かばず、スランプに陥った時もありますよ。私も人間ですから。でも、それすらも楽しんでしまおうと思っています。なぜって、私にとって、料理はセラピー。心理療法ですから。料理をすることで、私の心は癒されているのです」
――つづく。
文:森脇慶子 写真:湯浅亨