調味料選びにうまさの理由がある。
「玉ひで」八代目主人の山田耕之亮さん曰く、「この醤油には先代である父の想いが込められています」。
親子丼に使う醤油は、ヒゲタ醤油の「本膳」。1988年頃、親子丼をファストフードではなく、素材選びに心を砕いた鳥料理として提供しようと、先代は試行錯誤を重ねていた。素材の味を活かせる醤油を探していた矢先に、発売されたのが「本膳」だった。
父はよく「本膳を使うと品が良くなる。これまでの玉ひでっぽさはなくなるけど、素材の味を活かすにはこれがいい」と話していました。
玉ひでの親子丼は、繊細でふくらみのある味わいの「本膳」をはじめ、ほかでは替えのきかない材料でつくられている。
では「本膳」はどのようにつくられているのか?
千葉県・銚子市にあるヒゲタ醤油銚子工場を訪ねた。
お話を伺った人
遠藤 隆史
ヒゲタ醤油銚子工場副工場長。「醤油は微生物によってつくられている」ということに大きな興味を持ち、1989年にヒゲタ醤油に入社。醸造微生物の研究、醤油や調味料の開発を経て、おいしい醤油を届けたいという信念を持って製造現場で奮闘中。「醤油づくりに恵まれた銚子の気候風土と醤油醸造微生物に毎日感謝しています」。
――玉ひでが「本膳」を選んでいる理由を知りたくて、銚子までやって来ました。「本膳」とほかの醤油にはどのような違いがありますか?
- 遠藤さん
- 「本膳」について説明する前に醤油の種類についてお話しさせてください。醤油には「濃口醤油」「淡口醤油」「再仕込醤油」「溜(たまり)醤油」「白醤油」の5種類があります。造り方には「本醸造方式」「混合醸造方式」「混合方式」の3種類があります。
ヒゲタ醤油は1616年創業(江戸開府13年後!)。4世紀に渡り、醤油づくりと向き合い、江戸前料理の味を支え続けてきた。工場を入ると、商品が並んでいた。「本膳」の一升瓶は1,155円。
- 遠藤さん
- 「本醸造方式」は、原料の大豆と小麦に、麹菌や酵母などを加えて、微生物の力によって醪をつくり、発酵・熟成させて完成します。熟成に半年以上もの時間がかかりますが、天然の旨味が強いのが特徴です。
「混合醸造方式」は、醪をつくるところまでは本醸造と同じですが、途中からアミノ酸を加えることで、熟成を短期間で終えることができます。
「混合方式」は醪から搾っただけの生揚げ(きあげ)醤油にアミノ酸を加えて、熟成させずに完成させる醤油です。
こうしてできた醤油は「しょうゆ品質表示基準」によって旨味成分を計測し、「特級」「上級」「標準」という3種類のグレードにわけられます。
醤油づくりの始まり、麹。蒸した大豆と炒った小麦にふりかけた麹菌が酵素を生み出し、タンパク質を旨味成分のアミノ酸に分解してくれる。
――「本膳」のグレードなどは、どれに当てはまるのでしょうか?
- 遠藤さん
- グレードは「特級」になります。ちなみに「濃口醤油」の「本醸造方式」です。醤油の旨味の基準は全窒素分という数値で表示します。窒素成分が1.20%以上含まれていると「標準」、1.35%以上だと「上級」、1.50%以上だと「特級」となり、「本膳」は2.0%です。醤油の旨味成分であるグルタミン酸などのアミノ酸類は窒素の化合物で、一定量の醤油に含まれる窒素分を計測し、含有量が多いほど旨味成分の多い醤油として等級を付けています。
――窒素分とは、どうすると増えるのでしょうか?
- 遠藤さん
- 醤油を仕込むときに大豆、小麦でつくった醤油麹に食塩水を入れ、発酵させます。そうしてできるのが醪です。醪を熟成させ搾ったものが醤油ですが、大豆と小麦の使用が多ければ多いほど、窒素分の高い醤油になります。ただし、そのような醪は発酵管理が難しくなる傾向があります。
大豆や小麦に加えた麹菌が十分に生育した頃合いで塩水を加え、醪となったものが新仕込み。微生物発酵が進み、熟成諸味となったものを搾って生揚げ醤油ができ上がる。火入れをして、発酵をとめれば醤油の完成だ。
――では、大豆を大量に使えば、窒素成分3.0%の醤油をつくることもできるのでしょうか?
- 遠藤さん
- 醤窒素成分を濃くしたいところですけど、これ以上増やすのは難しいですね(笑)。
なぜかと言いますと、醤油というのは化学分解してつくっているのではありません。麹菌、酵母、乳酸菌などの微生物が活動して発酵が起こっていきます。醪に含まれる大豆、小麦由来の成分が多くなると酵母や乳酸菌は活発に生育できなくなるんです。原料のバランスが大切なんですね。私は、400年というヒゲタ醤油の歴史を振り返って、今の醤油が、ほぼ最高峰に近いと思います。もちろん、さらにおいしい醤油をつくる研究は進めています。
――おいしい醤油の要素は、ほかにもあるのでしょうか?
- 遠藤さん
- 醤油の命は色、香り、味です。良い醤油の色は赤です。良い醤油ほど酵母などの影響から複雑で豊かな香りがします。逆に良くない醤油は、アルコール臭など、成分のどれかが目立つ傾向があります。
――色と香りが良い醤油をつくるにはどうしたらいいのですか?
- 遠藤さん
- 低温発酵と低温熟成がカギになります。たとえば、お酒に大吟醸がありますよね。米の精製歩合も影響しますが、発酵させる温度は、一般の日本酒に比べて低温です。低温で発酵させると酵母の活動が抑制され、ゆっくりと良い香りをつくってくれます。日本酒で寒仕込みという言葉があるのですが、醤油も低温で熟成させると、香りに違いがでます。
もうひとつ、醤油は空気と温度を嫌います。酸化して色が濃くなってしまうからです。低温で熟成させると酸化しづらいので、赤い醤油に仕上がります。
日本酒と違い、醤油は年中仕込みます。寒仕込みに近い状態にするために、仕込みに使う食塩水をぐっと冷やして、寒仕込みに近い状態をつくって製造を開始します。
非公開の「本膳蔵」内部。工場で大量生産されているのかと思えば、手づくりだったのには驚き。
熟成中の「本膳」の醪。昔ながらの製法の良いところを残しつつ、新しい技術を取り入れ仕込んでいる。
遠藤さんによると、「本膳」の開発経緯は、約30年前に日本料理の「つきぢ田村」の「もっとうまい、刺身に適した醤油はないのか?」という言葉がきっかけだったそうだ。
ちょうどその頃、玉ひでの先代にあたる七代目主人の故・山田耕路さんも醤油を探していた。先代は「本膳」と出会い、「割下にしてもおいしい。香りもいい」と喜んだという。
筆者は醤油工場と聞いて、プラントのような施設でつくられていると想像していた。しかし、「本膳」の蔵は、手づくり感に溢れ、想像とはまったく異なっていた。醤油独特の香りだけでなく、甘酒のような、発酵食品の香りが漂っていて、心地よかったのが印象に残った。
八代目主人の山田耕之亮さんは語る。
創業した江戸時代から昭和初期まで、醤油は貴重品でした。当時の飲食店は、醤油が買えないから味噌を使って割下をつくるのが当たり前だった。そんな時代から玉ひでは、醤油と味醂は欠かさなかった。それが玉ひでの味の根っこであり、歴史です。
吟味した鶏肉と卵に、醤油と味醂の風味を活かし、香りのある具は入れない江戸前の味わい。玉ひでの親子丼の身上である。
次回は親子丼に欠かせない鶏肉!使うのは貴重な「東京しゃも」だ。
――つづく。
店舗情報
- 玉ひで
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- 【住所】東京都中央区日本橋人形町1-17-10
- 【電話番号】03-3668-7651
- 【営業時間】親子丼は11:30~13:30(入店)、コース料理は11:45~13:30(L.O.)、17:30~21:00(L.O.)
- 【定休日】不定休(店のホームページに告知)
- 【アクセス】東京メトロ「人形町駅」より1分
鈴木 桂水
(ライター)
編集と執筆、ときどき写真。美食家になれない、食いしん坊の知りたがり。好奇心が強すぎて人気のラーメン店や餃子店に頼み込んで修行をしたことも。おかげで麺許皆伝。“料理の前”も知りたくて、いまは生産地巡りの日々。