蒲郡では名の知れた「艶歌鮨」。一代で築き上げて、もうすぐ50年。歴史がある。暖簾をくぐるには、それなりの予算が必要だ。三河湾の魚介を揃えている。高級店としての矜持がある。店に入ったら、まず見てほしい。壁にかかる大将の田中実さんがしたためた名言が踊る日めくりカレンダーを。含蓄がある。第3回目は「艶歌鮨」の行く末を。
「人間はすぐに調子こいて原点を忘れる。慢心怠慢は奈落の底に落ちるときだな。オレは今でも寝る前に反省している。今日の物言いは雑だったかな、とかな。どんな商売でもそれは同じだ。ヨシ、鮨を出していくぞ」
大将がまず握ってくれたのは鮪の赤身。三河前のネタではないけれど、豊洲市場から厳選したものを仕入れている。
「赤身を嫌いな人はいないだろう。定番だ」
次に三河前の穴子を2貫。塩とツメで出してくれた。「艶歌鮨」では醤油で食べる鮨が常道だが、火を通したものはツメを塗って出すことが多い。
「穴子のほかは、蝦蛄や蛸だな。江戸前鮨みたいに塗るのが好きな人に頼まれれば、何にでも塗って出してやるよ。人それぞれの好みだもんでな」
お任せで鮨を頼むと、トロ、雲丹、貝などと続くらしいが、僕は平目が食べたい。三河湾の平目は旨味があってとてもおいしいと思う。早めに出さない理由は何だろうか。
「白身は味にインパクトがないからな。頼まれなければ先には出さんよ」
客を喜ばせるためには鮨の順番も大事なのだ。大将は、同じ平目でも漬けにしたり昆布〆にしてレモン汁をかけたりとバリエーションをつけて供している。
鮨はネタもシャリも小さめなので、お酒を飲みながら刺身や煮魚、鍋を食べた後に鮨を頼んでもお腹が膨れすぎることはない。鯛や車海老も握ってもらいながら、ここ10年ほどの「艶歌鮨」について聞いた。
2008年のリーマンショック後は、景気のいい会社でも接待交際費を抑制するようになった。会社のお金で飲み食いする時代は終わったのだ。「艶歌鮨」の客数も自然に減り、自分の小遣いで通ってくれる常連客が残った。絶頂期に反省をして店の規模を縮小した決断が店を救ったのだ。ここでまた大将の人生訓が生まれた。
「調子がいいときほど足元を見ること。悪いときは誰もが見る。それでは遅い」
恵子さんとの間には子どもが3人。大将はまさに包丁一本で家族を養ってきた。ちょっとクサいセリフも素直に耳に入って来るのは、すべて大将自身の体験に根差した言葉だから。例えば、「艶歌鮨」がいつも驚くほど清潔であることに触れると、大将はこんな話をしてくれる。
「オレらみたいな食いもん商売は掃除が大事。掃除だけは徹底的にやらんとイカン。四角い場所を丸くはくようなヤツにキレイな仕事はできん。包丁を持たせても怪我するだけだ」
晴れた日に「艶歌鮨」の前を通ると、椅子がすべて店の外に出されているのを見かける。大将が店内を徹底的に掃除しているのだろう。
「店が終わってからは、客が触ったところなどの汚れを落とす掃除、朝は夜中に積もった埃を落とす掃除。壁のタイルも毎日拭いている。疲れているときは、面倒臭くなるよ。でもな、これでいいやと済ませたら、明日からもできなくなっちゃうだろ。だから、やらなかったはイカン。それが当たり前になっちゃうから。オレはしょうがないという言葉は好きじゃないけどな、やれなかったときは、そういうときもあると思えばいい。やらなかったのか、やれなかったのか。オレはいつも自問自答しているよ」
大将が屋台を引き始めてから50年以上が経つ。昔からの客は少しずつ他界しているという。でも、僕のように大将からすると子ども世代の客も多い。きっと大将に「一喝」入れてほしいのだ。
「大宮くんは物書きなら文章に味をつけていけよ。食べ物と同じでな、つくる人に味がなければすぐに飽きられるよ」
大将の料理と言葉で、お腹も心も満たされてきた。軽く細巻きを食べてもいいけれど、ここは「艶歌鮨」の名物、ねぎとろ巻きだろう。軽く炙った板海苔に巻いて手渡してくれる。
「このへんではうちが初めてねぎとろ巻きを出した。評判になってな、遠くからも客が来てくれたよ」
最後は、僕が好きな涙巻きをつくってもらった。鰹節におろしたてのわさびをたっぷり入れた手巻きだ。ツンと爽やかな刺激で涙が出てくることもある。女性の友だちを連れて行ってこの鮨を注文すると、大将は色気たっぷりにこう言いながら出してくれるかもしれない。
「オウ、美人はたまには泣いてみるか」
今回の撮影をした夜は、テーブル席に宴会が入っていた。ちょっと怖そうな顔の男性ばかり。「艶歌鮨」の常連客で、建設関連の会社を経営している人たちの集まりらしい。
「見栄えは悪い奴らだけどな、みんな中身は立派だ。オレんとこは客層では蒲郡で一番だと自負しているよ。どんな奴らかって? おい、久留嶋くん、ちょっと来てくれ」
相変わらず口が悪い大将がカウンター席に呼んでくれたのは、蒲郡市内で鳶職の親方をしている久留嶋勝良さん。髪型からして昔はヤンチャをしていたことがわかるが、人の良さそうな笑みを浮かべている。
「大将は男気がある人柄だから、合わない奴は合わないよ。僕は可愛がってもらっていると思う。僕も大将が大好き。大将が急に入院したときも駆けつけたからね」
「おう、手ぶらで来たのはお前だけだったな」
大将の一言で店内は笑いに包まれる。久留嶋さんはわざと憤慨したような表情で抗議する。
「大将、それを言っちゃイカンよ。オレは仕事中に慌てて病院に行ったんだから」
「バカヤロー。そんなことはわかっている。お前のいい人間性はオレがよくわかっとる」
大衆演劇のワンシーンのようだ。かつて役者を目指した大将がいなければこの店は一瞬も成り立たないだろう。
すでにほかの職業に就いている長男に跡を継がせるつもりはないという。
「オレが幕を上げたから、オレが自分で幕を下ろすよ。この頃は三河湾の魚も少なくなってる。息子が継ぐと言わなくてよかった。まあ、客としては寂しいだろうな。回転寿司にはコミュニケーションがない。いくらいいネタを揃えても、うちの真似はできん。こうして会話をしながら酒を飲んでうまいものを食べるのが楽しいんだよな。でも、心配せんでいい。あと20年はやるから」
大将の頭の中には、90歳を超えても店に立ち続ける「すきやばし次郎」の小野二郎さんがあるのだろう。
「いつまでも店をやってよ、とみんなに期待される。それが大事だな」
帰りのタクシーを待っている間に、恵子さんがお椀を出してくれた。モガニの味噌汁だ。三河湾で獲れるこの小さな蟹はとにかく出汁が良く出る。三つ葉が添えられていて、飲み過ぎた胃に心地良く染みわたる。そして、少しだけ冷静になって楽しかったひとときを思い返した。
70歳の大将がまだまだ意欲的で色気がある。40歳を少し過ぎたばかりの僕が夢中で頑張らなくてどうするのか。大将を見習いたい。ただし、常連客と一緒に熱燗をちょっと飲み過ぎる大将に、彼自身の言葉を捧げたい。
「毎日健康が一番。体に気をつけましょう」
おわり。
「艶歌鮨」のある愛知県蒲郡市。ぜひ足を運んでほしい、蒲郡ならではの名所を紹介します。第3回目は1939年に「蒲郡ホテル」として創業。以来、蒲郡のみならず日本の歴史にも名を残す老舗ホテル。戦前、戦中、戦後と時代の波にのまれながらも今に残った「蒲郡クラシックホテル」。
「蒲郡クラシックホテル」は創業当初に第1回国際観光ホテルに指定された由緒あるホテル。内装や調度品はアールデコ様式で格調高く、歩いて渡れる無人島の竹島を静かに囲む三河湾が一望できる眺望だけでも訪れる価値がある。ホテルと竹島周辺は、小津安二郎監督の映画「彼岸花」の同窓会シーンの舞台にもなった。海外から小津ファンが訪れることもある。「勝手に蒲郡観光案内」の第2回目で紹介した「竹島水族館」からは歩いてすぐの場所にある。
文:大宮冬洋 写真:キッチンミノル