みんなの町鮨
「菊寿司」東京都練馬区|第一貫(前篇)

「菊寿司」東京都練馬区|第一貫(前篇)

思い立ったらすぐ行ける。好きなように食べられる。みんなでゲラゲラ笑い合える。町に佇む「町鮨」はローカルの宝物。町鮨を愛する人に、行きつけの一軒へ連れてってもらうこの企画、私自身が愛する町鮨「菊寿司」からスタートします。

朝風呂のこざっぱりとした気持ちよさ

私のささやかな特技のひとつに、「朝風呂に入っている人を見抜ける」というものがある。
高知の居酒屋の女将さん、秋田のバーで隣に座った人。青森はたしか県か市の農産物を担当する男性で、公共の温泉に毎朝通っていると言っていた。
朝風呂の人は、夜になってもまだ湯気が立っているように肌が透明で温かそうで、ほわっ、つるんっという感じがある。
で、確認せずにはいられないのだ。
「朝風呂に入っていませんか?」

こんな癖がついてしまったのは「菊寿司」を知ってからだった。
20年以上も前、江古田という町に住んでいたとき、歩いて20分くらいの「菊寿司」を地元の人に教えてもらった。当時はお母さんと息子の2人で営む小さな店。
息子で大将の村田省一郎(むらた・しょういちろう)さんが、ほわっ、つるんっの肌をしていた。
不躾にも、朝風呂に入ってませんか?と訊ねると、「どうしてわかるんですか」とたじろがれたことを憶えている。
朝の河岸で体についた匂いを、流したいのだそうだ。

大将

店もまた、そういう朝風呂のこざっぱりとした気持ちよさに満ちている。
創業54年。建物は平成元年に新築してから29年、改装してからも7年が経つのに、まるで新店だ。
おそらく拭き掃除を丁寧にしているのだろう。綺麗好きのお母さんが他界された後、お嫁さんが来て、夫婦で店の隅々まで手を入れているのだと思う。

石けんで洗われるおしぼりは、実家のお風呂の匂いを思い出す。
お鮨を食べるなら無臭がよいという人もいるかもしれないが、業者でなく自分たちで洗うそれは固過ぎず緩過ぎずの決まった加減で絞られ、手をあてると湯に浸かるようにほっとする。
拭いた後はさっぱりとして、手のひらに残らないほどのささやかな香りだ。
優しいおしぼりだなぁ、と思うし、ここでいつも「菊寿司」に来たとうれしくなる。なぜだろう、「迎えられている」感じがすごくする。

「あの人なら間違いない」のあの人はどこ?

20代前半くらいまでの私は、お鮨は東京で食べるもんじゃないと思っていた。
故郷の秋田では家族で通うお鮨屋があり、あの人なら間違いないといわれる大将がいて、店の人もお客もみんなでゲラゲラ笑いながらお鮨を食べた。
日本海に近い町だから、魚も貝もピカピカで旨い。
それでいてピアノの発表会の後なんかに「今晩はお鮨にしようか」くらいひょいっと決められる。母が「今から5人で」と電話するのは、いつも夕方だった。

上京して、困ったのがお鮨屋だ。
身近な食べものだったから、無性に食べたい発作が起こる。
しかし商店街にお鮨屋はあれど、「あの人なら間違いない」と教えてくれる知り合いがいないものだから、暖簾の向こうで何が起こっているかわからない。
そこで雑誌を頼ることになるのだが、載っているのは都心の高級鮨ばかりで今日の今日では予約が取れない。
1ヶ月後の誕生日に食べると決めてバイトに励んでみたものの、行けば行ったで流儀があり、好きに食べられないうえびっくりするほど高い。
「分不相応」という言葉が脳内でリフレインした。東京のお鮨は、私の知るお鮨じゃなかった。
このとき、お鮨は秋田に帰ってのびのび食べよう、と小さく決心したのだ。

鮨

社会人になり江古田に引っ越して、自分の住む町に呑み友だちというものができて初めて、町のお鮨屋“町鮨”に連れて行ってもらうことができた。
それが「菊寿司」だ。
生まれた時からその町に住んでいる地元友だちは、幼馴染みの大将を「省ちゃん」と呼び、何かにつけてお鮨を食べに行く。自転車のレースが終わったとか、お祭りが近いとかスイッチはいろいろあって、行けば知り合いでも、そうでなくても誰かと話ができる場所。

私が子どもの頃に見ていた秋田の風景と同じだ。
東京にも町鮨はあったのか、というか江戸にこそ多いはずだと、上京後5年も過ぎてやっと気がついた。

消えた商店街で、ずっと佇む

しいて最寄り駅を挙げれば、大江戸線の新江古田駅、または西武池袋線の桜台駅か練馬駅ということになるのだろうか。
でもこの店は、どの駅からも10分以上歩く。遠い、という以上にあまりにも住宅地過ぎて、グーグルマップを疑い始めたところでひょっこり現れる。

はっきり言って寂し過ぎる場所。しかし大将が小さかった頃、店の前の通りは個人店が30軒ほど並ぶ商店街で、大いに賑わっていたそうだ。
「酒屋、蕎麦屋、化粧品、和菓子、居酒屋、中華料理屋、飲食店は一通り。商店も、靴屋と花屋以外はあったんじゃないかな」
日本が本格的に高度経済成長を始めた昭和30年代から商店が増え始め、豊玉北中商栄会という商店会が結成されたのは昭和52年。

「菊寿司」は昭和393月、村田さんのご両親、昭和5年生まれの功さんと1歳下のシマ子さん夫婦がこの場所で開店した。

あがり

ちなみに「菊寿司」という名前のお鮨屋は、全国的にとても多い。
昭和の時代は、人も店も立派なものにあやかった名付けが多かったが、菊の場合は“菊の御紋”が由来だろうか?と勝手に推測したのだが、先代は村田さんが15歳のときに他界して、由来を訊ねたことはないそうだ。
「ただ、“菊は栄える、葵は枯れる”と言っていたような……」

村田さんは昭和36年生まれ。小学生の頃から箸を箸袋に入れたり、器を拭いたり、海老の殻むきなどをしていた。高校生になると本格的に店を手伝い、お鮨の配達もした。
地元の先輩後輩にとっても、「菊寿司」はアルバイト先だった。みんな学生時代から知っていて、モテたモテないから家族のことまでわかっている商店街育ち。
そんな話を訊くと、商店街という社会は大きなファミリーだったんだな、と思う。

鮨

第一貫(後篇)につづく。

店舗情報店舗情報

菊寿司
  • 【住所】東京都練馬区豊玉北3-6-6
  • 【電話番号】
  • 【営業時間】17:00頃~22:00頃
  • 【定休日】水曜、木曜
  • 【アクセス】都営大江戸線「新江古田駅」より11分、西武池袋線「桜台駅」より13分

文:井川直子 画:得地直美

井川 直子

井川 直子 (文筆家)

文筆業。食と酒まわりの「人」と「時代」をテーマに執筆。dancyu「東京で十年。」をはじめ、料理通信、d LONG LIFE DESIGN、食楽ほかで連載中。著書に『変わらない店 僕らが尊敬する昭和 東京編』(河出書房新社)、『昭和の店に惹かれる理由』『シェフを「つづける」ということ』(ともにミシマ社)。2019年4月にインディーズ出版『不肖の娘でも』(リトルドロップス)を刊行。取扱い書店一覧、ご購入方法はホームページ(https://www.naokoikawa.com)からどうぞ。