みんなの町鮨
「菊寿司」東京都練馬区|第一貫之弐

「菊寿司」東京都練馬区|第一貫之弐

思い立ったらすぐ行ける。好きなように食べられる。みんなでゲラゲラ笑い合える。町に佇む「町鮨」はローカルの宝物。新江古田に桜台。どちらの駅からも10分は歩く「菊寿司」の弐回目が始まります。ごゆっくり、どうぞ。

ガス釜で炊くご飯

豊玉北中商栄会が結成した年、村田功さんは47歳で他界した。息子が一人前になるまで、シマ子さんは寿司職人を雇って店を続けた。
村田さんが初めて握りをお客に出したのは、21歳。だから修業筋というものはなく、さまざまな職人から教わったものがベースになっているけれど、それはあくまでもベース。彼は、お客など周りの大人にも教わりながら、自分自身を育ててきた人だ。

たとえば、握りの酢飯もどんどん進化しているように思う。
ご飯は開業以来、ずっと亡きお母さんがガス釜で炊いていたものを引き継いでいるが、そこからお米の産地、性質、精米技術、保管の仕方、研ぎ方に水分量などさまざまなことを勉強し、改良したのは彼だ。
それもきっと完成形ではなく、“現時点での最良”だろうと思う。

町場のお鮨は酢飯の甘い店が多いなか、村田さんのそれはあまり甘味がなく、それでいて酸も立ち過ぎないさっぱりとした味。お米の旨味もじわっと感じる。
正直言うと、私がこの酢飯にハッとしたのはここ数年、ある日不意にだ。
たしかに以前からおいしかったのだが、向こうが理想の酢飯により近づいたのか。それとも、こっちが経験を重ねて気づけるようになったのか。

妻の加代子さん

私は7年ほど前に江古田を離れてしまった。
食とお酒まわりの人を取材する仕事を始めて外食が日常になり、2度引っ越して、どの町でも自分の「町鮨」は見つけられなかった。
だから2年くらいに1度と頻度は落ちたが、仕事を抜きに、家族で食べるお鮨となるとやっぱり「菊寿司」に足は向く。
その間に店は妻の加代子さんとふたりで営むようになり、村田さんは眼鏡をかけるようになったけれど、相変わらず肌はほわっ、つるんっ。迎えてくれるおしぼりも、変わらない。

なかなか握りにいけなくても

先日、久々に訪ねることができた。
まずはお通しの烏賊ゲソのわた煮で瓶ビールをぐびっと飲(や)りつつ、ネタケースを眺める。眺められるから、私はガラス製のネタケースが好きだ。
たいていの第一声は「わー、ピカピカ!」。

毎回お決まりだが、口からこぼれ出るのだからしょうがない。
ピカピカはとくにサヨリや貝。貝に目がない私は「菊寿司」の貝、とくに海の味そのままのような赤貝はデフォルトでいただく。さくさくっとした「平貝」の食感に、東京で初めて驚いたのもここだった。

貝の種類も、質もいいものが揃っているのは、村田さん自身が貝好きだからである。彼は、「中学2年のとき、旅行先で“旨い”と実感して以来」という、好きになった瞬間をはっきり記憶していた。
目利きがいいのに加えて、仕込みも工夫しているのだろう。お客にもこの店の貝のファンは多い。

つまみで貝を食べたら、さらにつまみでガラス越しに目が合ったタネを言う。もちろん任せて盛ってもらうこともできるのだけど、食べたいものを食べることができるなら、そうしたい。

つまみ

少々お酒が好きな私は、日本酒にスイッチしてからつまみが続くときも多い。
背徳感を覚えずにいられない、お鮨屋のつまみ延長。
そんなこちらの後ろめたさをご承知なのか、「ここは居酒屋じゃねえ、鮨屋だぞ」なんて言葉を飛ばさない。村田さんはただニコニコと「はいよ」と言って、ときどき微妙な冗談をかませつつ刺身を切ってくれるだけだ。
お客は、店に嫌われることがないと知っているから安心して、笑ってつまんで呑むことができる。
逆もまた真なり。
深酒するお客などいないから、店はお客をのびのびとさせてくれるのだ。

むしろ日本酒の品揃えは素晴しく、酒呑みは喜んで迎えられているのかもしれないと、ときどき錯覚してしまうほどである。
平成に入るまで、日本酒は「〆張鶴」と「越乃寒梅」の2種類のみだったそうだ。私が最初に訪れたときは「越乃景虎」なども少しあったが、それが今や、いちおう日本酒の記事も書く私でさえ舌を巻く。
地方出身のお客に地元のお酒を教えてもらったり、酒屋に訊いたりしながら、やはり自分で勉強したのだそうだ。

日本酒

町鮨はイッツ・ア・スモール・ワールド

勉強家とはこういう人のことなのだろうか。
信条とかありそうだなぁ、と訊いてみると、若い頃は2つもあった。
「がんばった人には良いことがある」と「日々是開店日」。
最近は、「本当にこれでいいのか?」だと返ってきた。
つまり、何事もあたりまえにしないこと。あたりまえを疑って、「先代ならどうしたか」を考えるのだそうだ。

鮨

消えた商店街に、ぽつんと町鮨の灯りがともる。
この日、スマホの音声検索機能「オッケー、グーグル!」がカウンターの話題で、村田さんは何かにつけて「オッケー、グーグル!」と言い、いやいや大将ガラケーじゃねえか、なんて突っ込まれてみんなで笑っていた。
高齢のご夫婦も、仕事帰りの女性ひとり客も、日本酒好きの青年もみんな一緒に。
別の日には、食の細くなったお母さんを連れてきたという一家もいらした。
席に座る誰かがあまり食べられなくたって、そんなことお店もお客も気にしない。ひと口でも、お母さんの好物のお鮨を食べさせてあげようという人々を、「菊寿司」は磨き上げた店で迎えてくれる。

都心の高級寿司には、食欲旺盛で元気な人が、綺麗な服をぱりっと着てカウンターに座る。
でも町鮨はそうじゃない。
高齢者も、食が細い人も、体の不自由な人も、町にはあらゆる人が暮らしていて、彼らが「ちょっとおいしいもの食べようか」とカーディガンを引っ掛けてやって来る、イッツ・ア・スモール・ワールドだ。
「この人なら間違いない」のだから、マグロの産地や魚の締め方なんて訊く人はいない。ここではただ、楽しめばいい。

書を捨てよ、あなたの町の、町鮨へ行こう。
ただし初めてのお店ならば、そのときは「お邪魔します」の心を持って。

第一貫 了

店舗情報店舗情報

菊寿司
  • 【住所】東京都練馬区豊玉北3-6-6
  • 【電話番号】
  • 【営業時間】17:00頃~22:00頃
  • 【定休日】水曜、木曜
  • 【アクセス】都営大江戸線「新江古田駅」より11分、西武池袋線「桜台駅」より13分

文:井川直子 画:得地直美

井川直子さん.jpg

井川 直子(文筆家)

食と酒まわりの「人」と「時代」をテーマに執筆。連載はdancyu「東京で十年。」をはじめ、料理通信、メトロミニッツなど。新聞にもエッセイなどを寄稿。近著に『変わらない店 僕らが尊敬する昭和 東京編』(河出書房新社)、『昭和の店に惹かれる理由』『シェフを「つづける」ということ』(ともにミシマ社)がある。