
進化を続ける東京の町焼肉。今回ご紹介するのは、小竹向原の住宅街で静かに評判を集める「焼肉やなか」だ。2010年の創業以来、芝浦の名門「吉澤畜産」から仕入れる黒毛和牛の牝牛を軸に、多くの肉好きを魅了してきた一軒である。七輪で焼き上げる上質な肉はもちろん、締めの充実ぶりも見逃せない。思わず「人に教えたくない……」と感じてしまう、小竹向原の名焼肉店の魅力に迫ります。
いい焼肉に出会うとうれしい。でも、好みのド真ん中ストレートの大好きな焼肉に出会うと、後悔と逡巡が入り混じる。
この店もそうだ。1枚目を食べた瞬間、「この店、大当たり!」と歓喜にむせびつつも「なんでもっと早く来なかったのか」という後悔が立ち上がり、「人にも教えたいけど、混みすぎたら困る」という逡巡にさいなまれた。
今年のGW明け、夕食を食べそこねたある日の20時30分頃、「牝の黒毛和牛」を提供するというこの店に電話をかけた。
「ざっくり21時から21時30分の間くらいに伺いたいのですが」と伝えると、電話口から「何時になりそうですか?」と問い直された。「住宅街の店なのに、ずいぶん几帳面だなあ」と思いつつ、「では21時15分で」と伝え、時間通りに店に到着。席に案内された。
そこで初めて、到着時刻を問い直された意味がわかった。七輪にパンパンに詰まったオガ炭が、白く灰をかぶって煌々と熾っている。客の来店時間に合わせて、ベストコンディションの炭を提供するために到着時刻を聞かれたのだ。ここまで気合の入った店はそうはない。
となればこちらも気合を入れ直して、店内とメニューの隅々まで目を走らせる。まず黒板メニューからだ。4種が1枚ずつ盛られた日替わりの「上焼き4種盛り」は絶対だろう。その他に、1枚売りで上赤身の「ネクタイ」「ランプ」「ランボソ」もある。無印の「カルビ」(1,089円)の脇にも赤字で「美味いです」と書かれている。これはどう見ても正肉に自信あり。
黒板メニューの4種盛りの内容を聞く。本日はネクタイ、イチボ、カイノミ、上ハラミと、まるで上焼肉オールスターのよう。最初は塩ダレから行くとしよう。はじめの1枚は焼きやすくて、わかりやすいおいしさのイチボから焼き始める。
炭火×径の細い網なので、まずは強すぎない火の上で、片面をべっ甲色になるまできっちり焼き込む。ガリッとした強い焼き目がついたら、返して軽く炙って口へ運ぶ。
その瞬間、濃厚な肉のうま味と甘やかなサシの風味が口の中に広がった。なんというサクジュワッとした心地いい歯切れ。さらに噛み込む。表面のウェルダンから内部のミディアムレアまで柔らかな肉の繊維の間から味が押し寄せる。いわゆる「黒毛和牛の牝牛」というだけでは説明のつかない深みのあるおいしさだ。一体、どんな仕入れをしているのか。
「芝浦の吉澤畜産さんのお世話になっています。2010年の創業時、焼肉店の先輩に紹介してもらってから、これだけはずっと変わっていません」

うまいはずだ。
吉澤畜産と言えば、肉好きの誰もが唸る仕入れの名卸。月齢は味が乗ってくる29ヶ月以上限定で、良質な但馬血統の牛を買い付ける。近年は25~27ヶ月で出荷される黒毛和牛も多いし、たいていの黒毛和牛はどこかに但馬血統の血が混ざっている。だが、吉澤は頑として肥育期間と良血統を譲らない。ここが味に直結するからだ。実際、吉澤の肉を仕入れている店は、あの店もこの店も肉に定評のある店ばかり。
赤身のネクタイ(ランプの一部)はきめ細かな繊維から上品なうま味がしみ出す。赤身とサシのうま味バランスがせめぎ合うカイノミは何度でもおかわりをしたくなり、焼きと休ませを繰り返した上ハラミはザクッとした歯切れの奥から肉のジュースがあふれてくる。

吉澤の和牛なら無印の「カルビ」だってうまくないわけがない。部位で言うと、ナカバラ、カブリ、ゲタ、タテバラ、ウチハラミなど。並カルビはタレでのオーダーとする。「基本のタレは、醤油に三温糖や日本酒など。あとは昆布を加える程度ですね。肉のおいしさが濃いので、脇で支える程度のシンプルな構成にしています」。ああ、やっぱりいい肉の並カルビはうまい。すじの味まで伸びやかで、噛むほどに肉とすじの際から味が伸びてくる。

実はこの間にキムチや「やなかサラダ」も注文していたが、つい肉ばかり食べてしまったので箸休め。キムチの味つけやサラダのドレッシングもナチュラルで優しい。砂糖も使うが、甘味の主役は玉ねぎ。「うま味調味料を使っているのも、塩ダレとスープくらい。うちの味にはその方がなじむと考えています」。
野菜でひと息ついたら、鶏のセセリを使った、バジル香る「ジェノベーゼチキン」(649円)とスパイシーな「タンドリーチキン」(659円)という新作にも手を伸ばす。やわらかな筋繊維の食感とやさしいうま味。穏やかな鶏肉の味わいは肉なのに箸休めにもなる。
まず肉の締めはいわゆる「焼きすき」の「絶叫ロース」(1,309円)を選択。ライスも注文しておいて、卵につけて巻くように頬張りたい。
ところが実はこの店、締めが異様に充実している。「数種のスパイスをテンパリングした後に、複数のカレーをブレンドして合わせて」いるという「カレールー 300g」(990円)、「カレーライス」(1,290円)もさることながら、メニューに書かれた「黒毛和牛牝牛のイチボを贅沢に使用」が、仰天レベルの肉量なのだ。きっちり煮込んでほろりと崩れる、吉澤のイチボがこんなにゴロゴロ入ったカレーなんて見たことない!
さらには冷麺も盛岡の太麺と細麺から選択できる。そのスープも昆布と鰹節と玉ねぎをコトコト煮出して取った後口スッキリスープ。飲めば飲むほど五臓六腑に染み渡る。


歓喜と後悔と逡巡。小竹向原の「焼肉やなか」で肉を焼いていると、おいしい店に巡り合ったときに刺激されるすべての感情が湧出し、食欲が解放されてしまう。もっとも今日、この肉にありつけたのは僥倖だ。「お電話いただいてよかったです。たまに肉が残り少なくなって早じまいすることもありますから」。
ああ、おいしい肉は、いつだって罪作りだ。

文・写真:松浦達也