「十四代」が拓いた日本酒の新世界 ~十五代目・高木辰五郎さんの仕事と波紋~
【「十四代」物語】大学時代に「十四代」の凄さに打たれ、人生が変わった――新潟「加茂錦/荷札酒」蔵元杜氏・田中悠一さん その2(第22回)

【「十四代」物語】大学時代に「十四代」の凄さに打たれ、人生が変わった――新潟「加茂錦/荷札酒」蔵元杜氏・田中悠一さん その2(第22回)

地酒王国・新潟に現れた超新星として、話題を集める「加茂錦/荷札酒(かもにしき/にふだざけ)」。ソフトな飲み口、フレッシュで、バランスの取れたモダンなテイストで、年季の入った日本酒党から、日本酒初心者の若い男女まで、幅広い層に支持されている。造り手は、平成生まれの田中悠一さん。酒蔵の跡取りとして生まれたわけでも、杜氏として雇用されたわけでもない。異色の経歴の蔵元・田中悠一さんと、彼を酒造りの道へ導いた酒「十四代」の物語の後編をお送りする。

「好みの壁を越えられるような酒を造りたい」

2007年に親族から酒蔵の再建を託された悠一さんの父・康久さんが目標に設定したのは、高品質な酒造りへの転換だった。評価の高い酒を全国から取り寄せ、酒に弱い体質に関わらず、必死の思いで毎晩10~20種類の利き酒を繰り返していた。そんな父に、20歳の頃から不承不承付き合ってきた悠一さんだったが、1年を経た頃、1本の酒に衝撃を受けた。
「旨い、を超えて、畏怖の念を覚えた」というその酒のラベルには「十四代」と記されていた。「日本酒で、こんなスゴイ世界を描きだす人がいる……」。
十四代に出会って、造り手に尊敬の念を抱くようになった悠一さんは、真剣に試飲を繰り返すようになる。いつしか醸造方法や酵母の違いまでも利き分けられるようになり、アルバイトとして夏休みや冬休みに取り組んでいた酒造りの手伝いにも、熱が入るようになっていく。
当時、新潟大学工学部の学生だった悠一さんは、専攻していた情報工学に興味が持てなくなり、勉強に身が入らなくなっていたのだ。

その頃、2歳年下の弟・広之さんは、ふすまを隔てた隣の部屋で、深夜まで受験勉強に取り組んでいた。東京の難関私立大学に合格したものの、「東京の暮らしは僕には合わない。京大に行きたいから1年だけ浪人させてほしい」と両親に頼み込んで、新潟の予備校に通っていたのだ。
「弟は志を貫こうと毎日頑張っている。それなのに僕は、将来への目標もなく、漫然と大学に通っているだけだ……と鬱々とした日々を過ごしていたんです」。
片や、日本酒には、かかわるほどにのめり込んでいく自分を感じていた。十四代のように、飲んで怖さを感じるほど、魂をゆさぶる酒を自分でも造ることができたら……。いつしか、酒造りを一生の仕事にしたいという気持ちが心を占めるようになっていく。

翌春、広之さんは見事、京都大学工学部に合格。広之さんの引っ越しの手伝いのために、家族4人で京都へ出かけた帰りの新幹線で、悠一さんは突然、両親に向かって「大学を辞めたい。酒造りをしたいんだ」と宣言した。
「一瞬、両親はポカンとした顔になり、そのあと、父が『ふざけるな!』と烈火のごとく怒り出し、いつも僕を応援してくれる母も『大学を辞めるなんてとんでもない』と大反対。二人が将来を心配してくれて言っていることはわかりましたが、僕の決心はゆるぎのないものでした。思いを伝えていくうちに、僕の酒造りに対する真剣な気持ちを理解してくれて、父から、大学は休学という方法もあると提案されたんです。母も、大学に戻る道があるとわかって、安心してくれたようです」。
息子が二人とも名門の国立大学に入り、安堵した矢先の長男の爆弾宣言に、田中夫妻はさぞ驚いたことだろう。いったんは檄しながらも、将来に選択できる余地を残して希望を受け入れた康久さんは、「はせがわ酒店」(連載第12回で物語を紹介)で扱ってもらえる酒を1年で造ること、という課題を提示した。「はせがわ酒店」と指定したのは、利き酒のために、同店から多数の酒を取り寄せて来た経験から、扱う酒のレベルの高さを察してのこと。1年と言ったのは、奮起を促すためだったのだろう。こうして、悠一さんは大学に休学届を出し、2014年4月に加茂錦酒造入社し、酒造りに取り組み始めた。

種きり(田中)
種麹をふる田中さん。床の中央は高い位置から、端は低い位置から種麹を降るスタイルは、ドキュメンタリー番組で放送された「十四代」高木さんを真似たもの。「いろいろ試しましたが、高木さんのスタイルだと、余分な種麹が周りの床に落ちることなく、まんべんなく撒くことができる。合理的な方法です」。(写真は加茂錦酒造提供)。

悠一さんに酒造りの師はいない。めざすのは、“完成度の高い、よくできた酒”ではなく、“自分の心を動かす酒”だ。まず、飲んで感動した銘酒の研究からスタートした。“香りと味に驚き、売れている理由を納得した酒”「獺祭」(山口)が、テレビ番組で紹介されているのを録画して、コマ送りでチェック。一瞬、画面に写った発酵温度の経過表を書き写して壁に張りだし、数値をエクセルに打ち込んで参考にした。
“旨い、を超えて、畏怖を感じた酒”「十四代」(山形)は、掲載されている雑誌を隅々までチェックし、WOWWOWのドキュメンタリー番組「銘酒誕生物語」で、蔵元杜氏の高木顕統さん(2023年に辰五郎を襲名)が、種麹を振る姿を録画。繰り返し観て、種麹を入れる容器を真似し、まったく同じスタイルで種麹を振ってみたところ、理にかなっていることがわかり、会ったこともない高木さんに対する尊敬の念がさらに深まった。

そのほか、「磯自慢」(静岡)、「醸し人九平次」(愛知)、「新政」(秋田)、「飛露喜」(福島)、「黒龍」(福井)、「而今」(三重)など、悠一さんが魅力を感じた数々の銘酒の日本酒度や酸度、アルコール度数などを徹底的に分析。分析値を基に、使う種麹や酵母、発酵温度など、条件を変えながら、小ロットずつ試験醸造し、できた酒を利き酒しては、条件を変えて仕込むことを繰り返していった。試したロットは100を超えるという。
データや客観的な利き酒に基づいて、論理的に分析し、再現する“理系脳”ならではのアプローチで、思い描く味わいに近づけていったのだ。

加茂錦
米を蒸し上げる甑(こしき)の前に立つ24歳の田中悠一さん。撮影した時点で、造り始めて4年目。この年の6月、3造り目の酒が、市販される日本酒の最大規模の競技会「SAKE COMPETITION」において、純米吟醸部門で9位を受賞した(2017年10月)。

こうして15年6月、納得できた搾りたての酒を保冷剤と共にキャリーバッグに詰め込んで一人で新幹線に乗り、「30分だけ時間をください」と自らアポイントを入れて東京の「はせがわ酒店」へ持ち込んだのだ。門前払いも覚悟していたというが、店の担当者は悠一さんの話を熱心に聞いてくれた。そのとき、社長の長谷川浩一さんはミラノ万博で日本酒を広める仕事のため出張中で、即断はしてもらえなかったが、帰国後に「取り引きする」という連絡が入った。酒造りを初めて1年2か月、デビュー作で、父から与えられた課題をクリアしてしまったのだ。
数日後、東京の地酒販売の有力店として知られる「小山商店」(連載第7回で物語を紹介)、「酒舗まさるや」、「味のマチダヤ」へ酒を持ち込んだところ、3軒ともその場で取引開始が決まった。

さらに、堅実で知られる福島県の「泉屋」店主の佐藤広隆さん(連載5回6回で物語を紹介)も、初対面で、しかも試飲もせずに取引を決めたという噂が、地酒専門店の間で駆け巡った。佐藤さんは以前、筆者に「新規に取引を始めると、今まで店の棚にあった酒を降ろすことになる。一度取引を決めたら、預かった酒を売りきる覚悟でつきあいたいから、安易に扱う蔵を増やすことはしない」と話していただけに、即決は異例だった。佐藤さんにいきさつを聞いてみると、「酒舗まさるや」からすでに情報は入っていたが、決め手は悠一さんの受け答えだったという。
「酒についてハキハキと語る好青年だと思いました。若いのに、これまで飲んだ酒の数にびっくりしたし、それを再現して酒を造っているという能力にも驚きました。僕は酒の味より、どんな酒を造りたいのかと聞いたときの返答のほうを大切にする。悠一君は、その質問に、『まだ決まっていません。いろいろなタイプを造ることができるようになった先に、ブランドを構築したい』と答えた。これまでにないタイプの若者に、大きな可能性を感じたんです」。

後日、富山の田んぼ視察で初めて悠一さんと対面した「はせがわ酒店」長谷川浩一社長さんも、佐藤さんと共通する“悠一評”を語る。
「会ってみて、あまりにも若いので、大丈夫かなと思ったけれど、話をしてみると、しっかりとした考えを持った一途ないい子だとわかった。びっくりするほどいい酒を飲んだ上で、自分で造っているという。新潟では(経営者側が自ら造るのは)珍しいよね。スター性を感じたし、人に可愛がられる素質があると思う。僕が、初対面でアキ(十四代蔵元・高木顕統さん)に惚れちゃったのと同じ、“人たらし”なんだよね、あの子も(笑)。ただ、今の酒で留まっていたらだめだ、来年はもっといい酒を造るんだよと念を押しました」。
初作品から評価された悠一さんに、ビギナーズラックで終わらせないようにという愛の鞭(むち)だったのだろう。

その後も間もなく「かき沼」、「鈴傳」(以上、東京)、「望月酒店」(神奈川)、「矢島酒店」(千葉)、「カネタケ青木商店」(宮城)、「とどろき酒店」(福岡)などと次々と契約。デビューして1年で、全国各地の名だたる酒販店と特約店契約を結ぶことができたのは、父から与えられた課題をはるかに超える成果だった。26年2月現在の特約店は46軒に上る。

荷札酒3本
麹米に山田錦を使うという点は「十四代」と共通で、掛米には多彩な品種を使っている。「荷札酒」シリーズの3本。右から、掛米に兵庫県トップ産地特A地区吉川の山田錦を使う「吉川山田錦」、高木酒造から託された酒米「酒未来」、定評ある雄町産地「赤磐雄町」。全て精米歩合50%。アルコール度は13%と、一般的な日本酒より低い(写真は加茂錦酒造提供)。
判子押し
荷物の札のようなデザインのラベルに印を押して、1枚ずつ手貼りしている。このラベルから、いつしか「荷札酒」と呼ばれるようになった。(写真は加茂錦酒造提供)。

15年6月に「はせがわ酒店」を訪ねたときにはラベルを貼らずに持参したと言うが、10月の「若手の夜明け」では、荷札のようなデザインのラベルだった。これは、小ロットで多種多様なタイプの酒を次々と造るため、文字を印刷する代わりに、荷札に使用米や精米歩合などをハンコで押して、ラベルにしたものだという。流通が広がるに従って「荷札酒」と愛称で呼ばれるようになり、瞬く間に人気銘柄に躍り出た。短期間で「荷札酒」の評判が拡散したのは、酒質の高さや、悠一さんの好感度に加えて、新潟の酒という点も注目されたのではないだろうか。
有数の米処として知られる新潟県。県内には全国最多の78の酒蔵があり(令和7年6月国税庁調べ)、越後杜氏の数も、南部杜氏(岩手県)に次ぐ全国2位。地酒といえば、多くの人が新潟を思い浮かべる地酒王国だ。しかし、多数の優秀な越後杜氏が健在なだけに、蔵元や跡継ぎが自ら酒を醸す例は他県よりは少ない。地域性や味だけではなく、 “造り手”や“蔵の物語”など、プラスαも添えて酒を紹介したい酒販店にとって、「荷札酒」は、地酒王国に誕生した待望の新星だったのだろう。

おそろいの「十四代」ロゴ入りジャンパーを着用する高木辰五郎さん(左)と悠一さん
高木酒造の仕込み蔵で、おそろいの「十四代」ロゴ入りジャンパーを着用する高木辰五郎さん(左)と悠一さん。2020年1月、WOWWOW放送のドキュメンタリー番組「銘酒誕生物語」に、高木さんの推薦で「加茂錦」も取り上げられることになり、高木さんのコメントを撮影する際に、撮影スタッフと共に高木酒造を訪れた。「緊張のあまりコートを忘れてきてしまったので、高木さんがスタッフジャンパーを貸してくださったんです。そのあとプレゼントしてもらいました。僕の宝物です」(写真は加茂錦酒造提供)

「初めて高木さんにお目にかかったのは、取引する酒販店店主の息子さんの結婚式でした。あ♡、高木さんだ! オーラを放っている……と、遠くから眺めていたら、すっと近づいてきて、新潟なんだね、と声をかけてくださって。僕は舞い上がって、なんと返事したのか記憶がないのですが……」。
そのあともイベントなどで顔を合わせるたびに、高木さんに声をかけられ、20年には高木酒造を訪問する機会に恵まれた。21年には高木酒造が育種した酒米「酒未来」を分けてもらうようになったという。この米は、高木さんが将来性のある若手に託している特別の米であり、悠一さんへの期待の大きさがわかる。
筆者が高木さんと酒の席で近くに座った際に、「荷札酒」の感想を尋ねたことがある。すると、「一口飲んで、美味しいと思わせるお酒。彼、センスいいよね、これからも伸びると思います。そう思うでしょ?」と、遠くの席にいた悠一さんを、愛おしそうな眼差しで見ながら笑顔を浮かべていた。

岡山県の酒米“赤磐雄町”の圃場見学
2025年9月、岡山県の酒米“赤磐雄町”の圃場見学で、左から「而今」蔵元の大西唯克さん、備前地区の生産者の時光(ときみつ)一樹さん、赤磐地区の岩藤龍穂(いわどうたつほ)さん、「十四代」蔵元の高木辰五郎さん、妻の若菜さん、田中悠一さん。「史上初めて“特上”認定された雄町を生産した農家さんにお目にかかりたくて、醸造精米機器メーカーに案内をお願いし、高木さんや大西さんにお声がけしました。尊敬する先輩たちとご一緒できて感無量です」と田中さん(写真は「而今」大西さん提供)。

17年に加茂錦の蔵を訪問したときに、悠一さんは「発泡、淡麗、などとテーマを変えて造っていますが、フレッシュ感を大切にしながら、僕が信じるおいしさを究めたい」と語っていた。26年2月に改めて聞いてみると、さまざまなタイプに挑戦したいという気持ちに変わりはないが、造りたい方向性が前よりはっきりしてきたという。

「めざしているのは、丸く柔らかい味わいで、すっと切れて、余韻が美しく、濃いけど軽く、洗練された酒」と答えた。「十四代みたいですね」と言うと、「寄せようと念じていますから(笑)。球形をイメージする味わいという点では、共通しているかもしれません」。
利き酒能力に定評のある悠一さんに、あえて違いを挙げてもらうと、「十四代は、香りが華麗で、芳醇。僕の酒はガス感(発泡感)があって、十四代より軽い印象だと思います。でも、比べるのは、畏れ多いこと。少し近づいたかなと思って十四代を飲むと、はるか彼方の存在だとわかって、打ちのめされてしまいます。十四代の凄さは、さまざまな味の要素が複層的に存在し、それらが奇跡のようなバランスで調和しているところ。しかも、毎年、変化させている。僕は毎年、取り寄せて飲んでいますが、アルコール度数は少しずつ下げているし、味わいも変えてきています。高木さんは、酒は毎年の作品だと言います。自分の信じる旨さに真剣に向き合い、果敢にチャレンジしていることが伝わって、胸が熱くなるんです」。
悠一さんも、アルコール度数を年々下げているというので、「十四代に寄せているのですか?」と聞くと、即座に否定。「自分の中から湧き出てくる感覚です」と答えた。
悠一さんが「十四代」を模範にするのは、酒の味や造り方だけではなく、造り手としての姿勢なのだろう。

中田英寿氏のプロデュースで、2016年から開催されている日本酒の最大規模のイベントCRAFT SAKE WEEKで、2024年に「加茂錦」は「チーム十四代」の一員として参加。メンバーの蔵元一同で記念撮影。前列左から、「よこやま」横山太三さん、「みむろ杉」今西将之さん、「加茂錦/荷札酒」田中悠一さん、「而今」大西唯克さん、「楽器正宗」大木雄太さん、後列左から「一白水成」渡邉康衛さん、「東洋美人」澄川宜史さん、「十四代」高木辰五郎さん、「宝剣」土井鉄也さん、「鳳凰美田」小林正樹さん(2024年4月)(ⒸCRAFT SAKE WEEK)。

親族から受け継いだ時点では存続が危ぶまれていた加茂錦酒造は、業績を伸ばし、販売石数2000石(一升瓶換算20万本)に到達。そのすべてが品質の高い吟醸造りだ。父は会長職に退き、24年4月、悠一さんは31歳で代表に就任した。7代目蔵元となって、「これまで自分は補助輪を付けて走行していたことを痛感した」という。父という補助輪を外し、おそるおそる自力走行し始めたが、いまは加速度を上げて変革を進めているという。酒造りに関しては、改めて米の選定や蒸し方、酵母の培養に至るまで、一から見直し始めた。労働環境の改善にも取り組み、幼い子供を持つ女性でも働きやすいような勤務体系や休暇制度を導入したという。「十四代でも女性の従業員が増えていると聞きます。高木さんもおっしゃっていましたが、女性は仕事が丁寧。大事な戦力です」と経営者しての手腕も発揮し始めている。

自分が造った酒を通して、国内外のファンや取引酒販店、米の生産者など、さまざまな人々と対話することができる。そんな酒造りの仕事に幸せを感じていると言う悠一さん。
「好みの壁を超えられるような酒を造りたい。日本酒に興味のなかった大学生の僕が、十四代に出会って人生が変わったように、好みや飲酒経験、世代、性別、国籍にかかわらず、心を動かすような酒を造っていきたいと思います」。
日本酒界に燦然と輝く星「十四代」。その存在に触発されて、誕生した超新星、「加茂錦/荷札酒」。従来の酒にはない新鮮な魅力で、新たな日本酒ファンを創造している。

BRILLIANCE
名産地の厳選した米を使うシリーズ「BRILLIANCE(ブリリアンス)」を23年から発売。「日本酒を通じて、全国各地の選りすぐりの米の生産者たちの努力を伝えたい。国酒を醸す者として、美しい日本の稲作や景観、文化を守っていきたいと考えています」と田中悠一さん。右から、赤磐雄町(岡山県)、播州愛山(兵庫県)、越淡麗(新潟県)。精米歩合はすべて40%(写真は加茂錦酒造提供)。
2019年8月3日、長岡まつり花火大会会場で、「十四代」高木さん(左)、筆者(中)、悠一さん
2019年8月3日、長岡まつり花火大会会場で、「十四代」高木さん(左)、筆者(中)、悠一さん。加茂錦酒造の声掛けで、取引先の酒販店とともに招かれた。

※次回は、三重県の酒「而今」の物語をお送りします。

加茂錦酒造
【本社】新潟県加茂市仲町3-3
【工場】新潟県新潟市秋葉区新保1291-1
【電話】0250-61-1411

※文中の高木さんのお名前の漢字「高」は、正しくは“はしごだか”です。ブラウザ上で正しく表示されない可能性があるために「高」と表示しています。会社名は「高木酒造」です。

文・撮影:山同敦子

山同 敦子

山同 敦子 (酒ノンフィクション作家)

東京生まれ、大阪育ち。出版社勤務時代に見学した酒蔵の光景に魅せられ、フリーランスの著述家に。土地に根付いた酒をテーマに、日本酒や本格焼酎、ワイナリーなどの取材を続ける。dancyuには1995年から執筆し、日本酒特集では寄稿多数。「十四代」には94年に出会って惚れ込み、これまで8回訪問し、ドキュメントを『愛と情熱の日本酒――魂をゆさぶる造り酒屋たち』(ダイヤモンド社)、『日本酒ドラマチック 進化と熱狂の時代(講談社)』などに収録。