
「冩樂」といえば、繊細な甘味と酒質で多くの支持を集める銘柄の一つ。蔵元・宮森義弘さんは、継承当初新生「冩樂」を旗印に、倒産寸前の蔵を孤軍奮闘で立て直してきた。今は弟で専務の大和さんが右腕となり、二人を慕う蔵人たちもチーム一丸となって研ぎ澄まされた仕事を徹底し酒質を守る。本記事は「日本酒dancyu vol.1」(2025年2月6日発売)から特別公開中。
2026年2月5日に発売を予定している「日本酒dancyu vol.3」。
その発売にさきがけ、2025年に発売した「日本酒dancyu vol.1 ゴールデンエイジの日本酒」から、記事を一部抜粋してお届けします。


酒蔵を訪れたのは12月初旬。冷たい風に煽られて「宮泉」の暖簾が小刻みに揺れているのが見え、自然に背筋が伸びた。酒の鮮烈な甘味に惹かれた約15年前から何度も「冩樂」を訪れたが、この瞬間はいつも緊張が走る。
「お帰り!」と四代目蔵元で杜氏の宮森義弘さんが出迎えてくれた。親しげな言葉に反して表情は硬く、やはり蔵の外では見せない厳しい顔をしている。くっきり刻まれた眉間の皺が目立つ。その隠しきれない皺は、人知れず辛酸を重ねた彼のこれまでを物語る。

宮森さん渾身の新生「冩樂」は2007年にデビュー。その抜きん出た甘味で飲み手の心を掴み、日本酒界で注目を浴びた。その後、14年には日本酒の登竜門であるコンテスト“SAKECOMPETITION”で純米吟醸と純米酒部門でダブル1位を獲得すると、不動の人気を確立。その立役者はほかならぬ宮森さんだが、安定して売れるまでの道のりは楽ではなかった。東京の私立大学を卒業した宮森さんが蔵を継いだ当初、宮泉銘醸には先代の遺した数億円もの借金が重くのしかかっていた。それは承知の上だったが、「親はなかなか蔵を継ぐことを許さなかった」と当時を振り返る。
実はもともと「冩樂」は宮森一族が始めた酒造業の流れを汲む別会社、東山酒造のブランド。蔵の廃業にあたり銘柄の引き取り手を巡って話し合いが難航し、親族の悩みの種を引き受ける形で最終的に受け皿になったのが、宮森さんである。「酒質も販路も一新することを条件に、売れ残りの在庫も引き受けた」と言う。彼自身は銘柄譲渡を絶好の機会と捉えていたが、宮泉銘醸は倒産寸前だった。酒質の改善が急務と考えて奮闘するが、現場は古参の杜氏が仕切っており思うように事が進まなかった。
「だからせめて新ブランドの冩樂は自分の好きなように造る、と現場の反発を突っぱねました。タンク一本から始めたこの酒に自分の希望を託したんです。創業時から造る地元銘柄の『會津宮泉』はすぐ超えられると思った」

そんな宮森さんの覚悟で始まった「冩樂」だが、最初から造りたい味が明確に決まっていたわけではない。「冩樂を造っていく中で、いろいろな麹や酵母を使ったり、発酵の品温を変えたりと急ピッチで試行錯誤しながら、自分がこれだと思うおいしいポイントを見つけました。それが甘味です」
世間では「冩樂は先輩蔵の『飛露喜』を手本にした」という話も聞くが、「影響を受けたのは味ではなくて酒の品質です。飛露喜さんの蔵みたいに日本酒の前線で戦っている人たちが造る酒質って、レベルが全然違うし酒が輝いているなって思った。では、どうすべきなのか。福島県清酒アカデミー(職業能力開発校)での座学に加え自身の失敗や経験をふまえて考えた結果、酒質を保つためには終盤の工程まで全てが重要だと確信しました」――。


文:山内聖子 撮影:合田昌弘