
その町の住人が長く通う店こそ、愛される名店に違いない。dancyu2025年夏号では、京都と東京の二拠点生活をする、料理家ウー・ウェンさんに京都を案内してもらいました。
応仁の乱の2年前の寛正6(1465)年に創業。「本家尾張屋」は、蕎麦と菓子の二本柱で京都人の胃袋を支えてきた。暖簾を守るのは十六代目当主の稲岡亜里子さん。「伝統を大切にしながら、時代の流れに合わせたアップデートの連続です」と言って微笑む。
「京都駅で新幹線を降りたら直行するお店の一軒ですよ」と、ウーさんが話す理由は数多ある。北海道・音威子府で契約栽培する蕎麦の実と、比叡山水系の伏流水である地下水を使って打つ蕎麦は、香りが高くしなやかな印象。ウーさんはいつも決まって、にしんそばを注文するという。「蕎麦の風味を引き立たせる、だしの深い旨味に心がほぐれます。にしん棒煮のほわっとした柔らかさも、この店でしか経験したことがないです」。
明治時代初期に建てられた木造建築は、厳かな雰囲気が漂う。ウーさんは決まって、入口すぐの左側にある、テーブル席で昼食を味わうのだとか。稲岡さん曰く「この古びたスペースは、お菓子を買いに来られたお客様に蕎麦をふるまっていた場所です。戦後、蕎麦の提供に力を入れる以前の話です」。
時代の変化やお客様のニーズを捉え続ける、老舗の矜持はお品書きにも見て取れる。
十五代目が考案した「ごまだれそば」は夏だけの限定メニュー。氷水で締めた蕎麦の上には、浅漬けにしたナス、キュウリ、ミョウガなどがたっぷり盛り、大葉が添えられている。ごまの風味を効かせたつゆをかけて味わえばさっぱり、清々しい余韻が広がる。うだる暑さに食欲がわきづらい真夏にとっておきの一品だ。また、デザートの蕎麦わらび餅も十五代目が生み出した名作。焙煎した蕎麦粉をまぶした独特の香ばしさに独創性を感じるのだ。
「歴史に育まれたこの場所でお蕎麦を味わえば、脳内が一瞬にして京都時間に切り替わりますよ」。
北京生まれ。1990年に来日。料理研究家としてクッキングサロンを主宰しながら、シンプルで体にやさしい中国家庭料理のレシピを雑誌や書籍、テレビなどで幅広く発信している。家庭では二人の子供をもつ母。最新刊は『最小限の材料でおいしく作る9つのこつ』(大和書房)。
文:船井香緒里 写真:エレファント・タカ