
その町の住人が長く通う店こそ、愛される名店に違いない。dancyu2025年秋号では、合羽橋で四代続く料理道具店を営む「釜浅商店」店主・熊澤大介さんに、浅草のとっておきを案内してもらいました。
浅草駅から六区までアーケードが長く伸びる新仲見世商店街。新しい店も増えて様変わりしてきたこの商店街で、60年以上に渡り営業を続ける喫茶店が「銀座ブラジル」だ。狭い階段を登ってドアを開けると、時が止まったような空間が広がる。

使い込まれたテーブルやカウンター、暖かな光で店内を灯すランプ、当時のモダンな意匠が随所に残るインテリア、壁に貼られた年季もののポスター、カップ&ソーサーにプリントされた店名ロゴのかすれ具合……。目に入るすべてのものに、この店が積み重ねてきた時間や、くつろぎのひと時を過ごした人々の想いが堆積している。


カウンターを覗けば、湯を張った鍋にコーヒーカップが常に温められている。注文ごとにハンドドリップで抽出するブレンド珈琲は、深煎りでしっかりとした苦味と香り、そして深いコクを感じるクラシカルな味わい。丁寧に淹れたこの一杯を味わいながらゆったりと過ごすのが、多忙な日々を送る熊澤さんにとって至福の時間なのだそう。


それにしても浅草にあるのに店名が「銀座ブラジル」なのは、どうしてなんだろう。「もともとコーヒー豆の輸入業をやっていた祖父が銀座に店を出してね。浅草はその支店だったんです。銀座の店は閉店して、今はここだけなんですよ」と教えてくれたのは、創業者の孫にあたる3代目店主の梶純一さん。店は梶さんの母と妻、そして料理長で回している。

メニューを見れば、トーストやサンドイッチなどの軽食メニューが並ぶ。「僕は、昔からここのタマゴサンドが大好きなんですよ」と熊澤さんが目を細めるそのタマゴサンドの具材は、ゆで卵をマヨネーズで和えたものでも、オムレツでもないのだ。

注文を受けてからスライスするエアリーな食パンに、まろやかな酸味のマヨネーズを塗って、そこに絶妙に火入れをした両面焼きの目玉焼きを挟む。このスタイル、この美味しさ、ちょっと他じゃ味わえない。もう一言加えれば、一人前とは思えないボリュームだ。

「昼にこれを食べたら、夜まで全然お腹が空かないですからね」(熊澤さん)
「正直言って、軽食ではないですね(笑)。一人前を普通に食べて、お腹を満たして帰ってほしいから。うちの食パンはサンドイッチ用とトースト用で、それぞれ粉の配合から変えて特注しているんですよ。もちろんマヨネーズは料理長の手づくりです」(梶さん)
タマゴサンドと並ぶ熊澤さんの大好物なのが、元祖フライチキンバスケット。軽やかな揚げ具合としっとりジューシーな鶏胸肉の旨さが抜群だ。「昔は、鳥一羽を捌いて骨付きで出してたんだけど、常連さんも高齢化してきて、食べやすくしてほしいとリクエストもあって。今はすべて骨なしの胸肉だけにしてます。でも、骨がないから肉の量が増えて、結果的にボリュームはアップしてるんだけどね(笑)」(梶さん)

ちなみに食事メニューは注文してから1、2時間程待つこともざらにある。「調理スタッフが料理長一人なので、仕込みに時間はかかるし、調理もオーダーが入ってからしか手をつけない。昔ながらのつくり方で、手を抜かずにやってます。だからお客様をお待たせしてしまうけれど、食べたらしっかり満足いただけるものを出しているつもりです」(梶さん)
「料理が出るまで時間かかることもあるけど、それを待ちながら読書をしたり、ぼーっと考えごとする時間もまたいいんだよね」(熊澤さん)

アンティークショップや家具店勤務を経て、2004年より実家である料理道具店「釜浅商店」四代目店主に就任。リブランディングを成功させ、パリとニューヨークに支店を持つ。

文:宮内 健 写真:衛藤キヨコ