
この数年、東京の町焼肉が劇的に進化している。今回、ご紹介するのは食いしん坊倶楽部LINEオープンチャット「焼肉部」Jayさんからの推薦店、渋谷の「神泉ホルモン 三百屋」です。
渋谷の道玄坂を上がり、道玄坂交番前から神泉へとゆるやかにカーブし、上下する小道を抜ける。その昔、花街があった頃には「見番通り」「三業通り」と言われた裏通りだ。その後「神泉仲通り」という通名を経て、この道は「裏渋谷通り」となった。
三業地としての指定が廃止された後、ほとんど飲食店のなかったこの通りに2006年、明かりを灯したのが「神泉ホルモン 三百屋」だった。
以来変わらぬしつらえの引き戸を引くと、心地いい喧騒と焼けた肉の香りが鼻腔と胃袋を刺激する。その昔、花街だった小道に面する焼肉店は、良質な肉や工夫を凝らした肉に気安くありつける隠れ家。
dancyu食いしん坊倶楽部のLINEオープンチャットの分科会「焼肉部」メンバーのJayさん、たかなさんからのおすすめ店だ。
さてまずは、オーナーの三百田さんにご相談した本日の注文をまとめておこう(酒類は別)。
コンディションのいいビールで喉を潤しながら、美しく盛られたお通しの山盛りキャベツをつついたり、温かくてやわらかな酸味の酢モツに箸を伸ばしたり。どちらも口に入れるほど腹が空く。健胃作用のキャベツはもちろん、酢モツは温かいコプチャンが口のなかでとろけ、軽やかな酸味で脂の余韻が洗われる。つまんでいるのに思わず「お腹空いたなあ」が口をつく。
そんなタイミングで差し出されたのがサガリ刺。薬味は王道の青ネギの小口切り、にんにく&生姜おろし。どこか熊本の馬刺しっぽい。食感や味わい含めて、このサガリ刺は熊本で提供される重種馬の霜降りにどこか似ている。
「三百屋」オーナーの三百田和義さんはちょっと変わった経歴の持ち主だ。大学卒業後、大手化粧品会社に就職。数年働くと大学時代から憧れていた飲食店開業に向けて退職してしまう。そこで募集もしていなかった目黒の名ホルモン店「闇市倶楽部」に押しかけ就職すると、みるみる頭角を現し、後に「三百屋」をともに立ち上げる料理人の大串和也さん(現・「青葉台ホルモン三百屋」オーナー)と知り合い、2人で系列店の新店を軌道に乗せた後に独立した――。
という話を思い出しながらサガリをつついていたら、目の前に金属製のカンテキが置かれた。珪藻土の七輪より網の位置が低く、サイズに比して炭が多めに入る。炭の姿がよく見えるカンテキは、ちょっと気分が上がる。
さていよいよ卓上は、肉前菜からホルモン焼肉へと入っていく。
最初の昆布醤油ミノは、昆布醤油に浸かったミノを網に乗せる。軽く炙るもよし、焼き込むもよし。中には「最初と最後に2回注文する」客もいるという人気の品だ。
今日は内部が温まる程度に軽く炙る。「貝をイメージした」という一皿は瑞々しさとコリザクッとした食感がどこかホッキ貝を彷彿とさせる。旨味、食感、温かみという“三味一体”は噛むほどにニュアンスを変えていく。
「現在のメニューは僕と大串、それに渋谷店の店長の野村(博文)とで作り上げてきました。僕は食べる専門でしたが(笑)」
内臓肉の仕入れは「闇市倶楽部」時代から付き合いのある「芝浦嵯峨正造商店」から。創業から数年は毎日の仕入れに渋谷から品川までバイクを走らせた。徐々に仕入れの量は増え、毎日仕入れに足を運ぶうちに肉質も上がっていった。
名店で身につけた仕入れと仕込み。その肉に工夫を凝らし、19年間客に提供しながらメニューを磨き続けてきた。
この日のホルモンおまかせ4点(塩)は手前右から時計回りに、シビレ(膵臓)、レバー(牛)、ホルモン(シマチョウ=牛の大腸)、カシラ(豚のコメカミ)。
シビレとレバーは表面をカリッと、内部は温かく焼き上げる。シビレは弾力あるクリーミー食感、レバーは濃厚な鉄を感じる風味。噛みこむほどに膨らむホルモンの香りとカシラの奥行き。塩味だからこそ、4種の個性が浮き彫りになる楽しい組み合わせだ。
肉のカットや焼き方の工夫も練り込まれている。例えば和牛のハラミは焼き込むと、食感がぐいっと引き立ち、内部の肉汁が暴れるように溢れ出す。
この店の厚切りハラミは提供時に砂時計も添えられ、誰もがハラミの風味と弾力を引き出せる仕立てになっている。ホールのお嬢さんの「4面焼き込んだら、端に寄せて砂時計で3分休ませて」という流暢なサジェストも端的でわかりやすい。聞けばもう7年目なのだとか。
薄切りの上ハツは布団のように折りたたんで脂を焼く。片面が焼けたら畳んだ赤身部分をつまんで脂の部分のみを返して、その上で丸めた赤身をやわらかく温める。噛めば幸せの脂をまとったハツのミネラルが心筋の繊維の間から染み出してくる。味はもちろん、焼き方のオペレーションまで含めて練り込まれた心地よさがある。
そしてここ本日唯一の正肉、和牛アカミが差し出された。
ああ、見た目からして美味しそう。軽やかな赤身とほんの少しのサシのバランスが実にいい。網に乗せれば、キメの細かい赤身肉の繊維とほのかなサシの際から和牛香が香り立つ。ホルモン中心の店で赤身にまでヤラれてしまう。なんて幸せなんだろう。
肉の締めはホルモンおまかせ4点盛り(味噌)。手前右から時計回りに、ギアラ(牛の第4胃)、ツナギ(オス豚の生殖器付け根の筋肉。「キンツル」という別称も)、ヤン(牛の第2胃ハチノスと第3胃センマイの間)、コプチャン(牛の小腸)。
ほどよく焼き上げるとプリッとした歯ごたえのギアラと、クニュンとやわらかな食感を愛でたくなるヤン。どちらも奥行きのある味わいが味噌によく合う。筋肉質な弾力が楽しいツナギを経て、懐かしさすら感じる味噌味のコプチャンへと帰還する。
最後に注文したユッケジャンクッパのスープに感じられた、牛骨の優しい奥行き。このスープの出汁も創業時より少し濃くなっているという。その温かな味わいにほうっと息をつき、確かな辛味に背筋と汗腺がしゃんとする。
花街としての賑わいから100年以上。通りの名前が変わっても、このゆるやかな小路に佇む店は、人の本能と欲望を包みこむ懐の深さに満ちている。
文・写真:松浦達也