
この数年、東京の町焼肉が劇的に進化している。今回、ご紹介するのは第6回「焼肉スタミナ苑」店長・呉奉柱(オ・ボンジュ)さんから推薦いただいた、新中野の「焼肉食道 かぶり」です。
ちょうどこの原稿を書く前日、各方面の肉のプロが集まって、焼肉の貸切会が開催された。そこでご挨拶していたら業界で名の知られた超焼肉好きな方に「えっ、松浦さんって、7~8年前に新中野の焼肉店の記事を書かれた?僕、あの記事を読んであそこに通うようになったんです」という方にお目にかかって感激した。そんな昔の記事を書き手まで覚えてくれている方がおられるとは。
今回紹介するのはまさにその店、丸ノ内線新中野駅至近の「焼肉食道かぶり」。開店から20年、店主の大川俊さんが肉を手切りし続ける隠れた名店で、コロナ禍にとある偉い方に「海外の薪焼きシェフを連れていける焼肉店を紹介して」と頼まれて、お連れしたこともあるし、そういえば先日江東区北砂の「焼肉スタミナ苑」の店主、呉奉柱(オ ボンジュ)さんも「かぶりの青唐ポン酢が好きなんですよ」と言っていた。
大衆的でありながら、肉がよく味つけもいい。正肉、内臓問わず選べる肉の種類も多いから、気分や懐具合に合わせて注文を組み立てられる。味、価格、自由度のトータルでこれほどバランスのいい店はめったにない。
例えば噛んで楽しい肉を食べたい気分のとき、この店にはコウネがある。肩バラやブリスケなど弾力の強い肉を薄切りにして焼く広島名物だ。サッと焼いたら白髪ねぎと紅葉おろしを巻いて口に運べば、肉肉しさと清涼感ががっぷり四つに組み合う。
さらなる噛む喜びを追い求めて、次はハラミカワスジを注文。これはおでんのすじ串などに使われるメンブレンのこと。ちょっぴり肉もつけてくれているのが焼肉好きとしてはうれしい。がっつり焼いた一片を口に運べば、濃厚な肉の旨味とすじの躍るような食感がくんずほぐれつ、どこまでも旨楽しさが伸びていく。
そして弾力といえば、やっぱり上ハラミは外せない。和牛のほどよいサシと筋繊維の食感を、今日は存分に満喫したいので塩味を選ぶ。
炭火の上でじりじりと焼き目を入れていく。表面全体がバリッと焼けて表面から水分が抜けてくると、焼き面にぽつぽつと点描を打つような焦げが現れる。ここが返し時。
裏面を軽く炙って、網の外周部分で軽く休ませたら、両面をもう一度焼き上げて、沸くような熱を入れる。仕上がった上ハラミは、強い弾力と大量の肉汁を満々と湛えている。
その弾力を噛み越え、肉の繊維を破断した瞬間、塩気を伴った肉汁が噴出する。脳が、食道が、胃袋が、次々に歓喜する瞬間だ。
さてここまでは気分で注文したりしなかったりする肉だが、この店で僕が必ず注文するのはこれ。
デフォルトで生卵が添えられたにんにく焼き。これにライス&ロースを組み合わせるという超強力ユニットが好きすぎて、つい頼んでしまう。
まずはにんにくとごま油入りの小鍋を火にかける。にんにくにだいたい火が入ったら、6~7割の量を取り出し、七輪の外周に沿って配置して優しく炙る。そこですかさず鍋に生卵を滑りこませる。
そこに登場するのがロースだ。今日は肉の美しさと微妙な噛み応えの違いを愛でたいので、3種のロースの盛り合わせを注文する。
卵の塩梅を見計らいながらロースをさっと炙る。おしぼりで鍋の柄をつかみ、その間に到着していたライスの山へとにんにくの香りをまとった半熟目玉焼きを落とす。
そして小瓶に入ったタレを目玉焼きの上からとろとろとろ……と回しかける。
そこに炙ったロースを乗せて、網の上で香ばしく仕上げたにんにくを2~3片加えたら、あとはひたすら肉を喰み、卵とタレで汚したライスをがっつけばいい。みるみるうちにライスとロースが減っていく。ああ、なんて幸せな時間なんだろう。
耽溺するような多幸感さえも、この店で味わえる喜びの一端でしかない。新中野の「焼肉食道かぶり」の焼肉は訪れるたびに、幸せと郷愁が重ねられていく。
文・写真:松浦達也