「日本酒を変えた」男 ~神亀・小川原良征“センム”の軌跡~
飲み、語り合った30年。漫画家・尾瀬あきらさんとセンムの酒談義④

飲み、語り合った30年。漫画家・尾瀬あきらさんとセンムの酒談義④

平成の始まりから終焉まで。酒造りの世界を丹念に描いてきた漫画家・尾瀬あきらさんと神亀酒造・小川原良征さん=センムとのつきあいは、30年に及んだ。『夏子の酒』『奈津の蔵』の2作品は、真摯な酒造りを間近で見続けてきた尾瀬さんならではの深い洞察と思索から生まれており、それは現実世界で酒造りに携わる人たちの共感を生んだ。「日本酒とは純米酒のことである」という信念を貫き通したセンムと過ごした歳月によって、尾瀬さんにも「酒は純米」であるという実感がもたらされたという。

純米酒はカテゴリーではなく、「酒の基本」

取材と共に進行していく『夏子の酒』連載は約3年に及んだが、尾瀬さんには、その過程でセンムとの忘れがたい思い出があるという。
「一番嬉しかったのは、昔の酒樽のことをセンムから聞いた時。昔ながらの木桶や酒樽は、秋田で作っているよって教えてもらって。じゃあ、秋田に取材に行きますって僕が言ったら、『じゃあ、俺も行くよ』ってセンムも一緒に秋田まで来てくれた。埼玉の大きなホーロータンクの工場へ行った時も、そう。教えたからには俺も行くよって感じで、さらっと来てくれてましたね」。

奈津の蔵
『夏子の酒』連載開始から10年を経て発表された『奈津の蔵』(講談社コミックモーニング)。主人公は夏子の祖母・奈津。戦前の酒蔵に嫁いだ女性の生涯が描かれている。
センム
菰樽(こもだる)に笑顔で集まってくる人を見て、みずからも笑顔になるセンム。祝い事の際には、ふるまい酒で人が喜ぶ顔を見るのが好きだった。写真左端は大塚『串駒』の故・大林禎さん、その隣は神田『新八』の故・佐久間達也さん。

あちこちを共に歩き回るがゆえに、飲んだり食べたりという時間も数多く重ねてきたが、尾瀬さんが驚かされたのは、センムの味覚と嗅覚の鋭さだ。
「旅先で、とあるお蔵の純米酒をセンムが飲んだら、ん? という顔になって。それを湯気が立つくらいの熱々にしたあとに、匂いを嗅いでごらんと言われてね。純米酒と書いてあったけど、実はアルコール添加していたことをセンムはすぐに見抜いていましたね。アル添については、よその蔵では質問がしにくかったけれど、センムには普通に聞けました。もうひとつ、神亀が置いてある店に行って、一緒に飲み始めた時にセンムが『あれ、これはほんとにうちの酒か? 変な感じがする、1本丸ごと買い取るから、持ってきてくれ』って。それで、届いたら、センムがいきなり神亀の瓶からラッパ飲みして『間違いない、うちの酒だ』って。その店は、食器洗浄機用の強い洗剤で徳利を洗ったために、落ち切れていない洗剤で酒の味が変わったみたいなんですよね。結局、事情がわかって『なーんだ』ってことになって、そこにいたみんなもラッパ飲みして。その時のセンムは嬉しそうな顔してましたね」。

センム
「これは本当にうちの酒か?」と確認のため、一升瓶から直接酒を飲んで味わいを確認した際のセンムの写真(撮影・尾瀬あきらさん)。

子どものような単純さと信念を貫く強さ。その二つを併せ持っているだけに、どうしても認められない事柄と遭遇したときには、センムの正義感は激しい怒りに転じた。
「センムはよく怒る人でしたね。僕もたくさん怒られました。いつまでたっても世間では、純米酒の比率が増えていかない。そのことに対しての苛立ちもあったでしょうね」。

純米酒をめぐっての議論は、時に喧嘩のような言い合いにも発展した。
「センムは『こんな酒造って』って、よその蔵の酒のこともすごく怒ったでしょう。でも僕は『純米酒を増やすには、たくさんの蔵でたくさん造ってもらう。その中にはいい純米もあれば、そうではない純米もある。それはそれでいいんじゃないか』って言ったんですよ。正しい酒造りも大事なんだけど、一度、世の中が純米酒だらけになれば、そこから良いものが抜け出るというのもありじゃないかと思って。センムは「何言ってんだよ」と怒ってましたけど、でも、ひっかかってはいたみたい。そのあと会った時もその話を蒸し返してくれてましたから」。

喧嘩にはなったものの「センムからは、純米酒というのは酒の基本なんだということを教えてもらった」という気持ちが尾瀬さんにはある。
「嗜好品としての純米酒を語る人もいるし、製法のカテゴリーとして本醸造があったり生酒があったり、その中のひとつとして純米酒を捉える見方もある。でも僕は純米酒というのは、そういう製法のカテゴリーには入らないものなんじゃないかと思う。酒イコール純米というスタンスが、センムとつきあっているうちにだんだん理解できるようになったんですよね。元来、お酒は純米だし、純米が酒という意味なんだということが実感としてわかってきた」。

写真
気を許せる人たちとの食卓で談笑するセンム。センムの右は親友であり、神亀酒造現社長・小川原貴夫さんの父である西澤亨さん(撮影・尾瀬あきらさん)。

会えば、つねに飲む。お互いに身体の痛みが出てくるようになると、一緒に整体にも行った。整体に行ったあとにも、また飲む。時に言い合いをしながらも、尾瀬さんとセンムのつきあいは30年の長きにおよんだ。
「センムの晩年は、忙しそうでしたよね。いつしか純米酒のリーダーみたいになって、いろいろな人に頼られ、求められてね。人の面倒を見だすとキリがなかった。僕はだんだん、蔵に行くのもはばかられる感じでした。行きたいな、なんか用事ないかな、でも別に用事ないしな、なんてね。センムは頑張りすぎるくらい頑張っていたからね。何か、予知しているかのごとく、働いていたんじゃないかな」。

多忙を極めるさなかにセンムは病に倒れ、帰らぬ人に。「センムがいなくなってしまうなんて」と茫然となるような辛い別れから7年が過ぎた。
「センムと会ってからの30年が、僕にとっては日本酒との関わりが深くなった歳月でしたね。センムからは、僕はしてもらうばかりでした。こちらから何かをしてあげたことってなかったんじゃないかと思えてきますね」。

酒器
尾瀬さんが描いたセンムのイラストをもとに製造された酒器。「飲め」というセリフ付き。

文:藤田千恵子 撮影:伊藤菜々子

藤田 千恵子

藤田 千恵子 (ライター)

ふじた・ちえこ 群馬県生まれ。日本酒、発酵食品・調味料、着物の世界を取材執筆するライター。dancyu日本酒特集にも寄稿多数。1980年代中盤に日本酒の業界紙でアルバイトしていたことがきっかけで神亀酒造・小川原良征氏と出会い、以後三十余年の親交を続ける。小川原氏の最晩年には、氏からの依頼で病床に通い、純米酒造りへの思い、提言を聞き取り記録した。