3月2日から10日まで高知市で“土佐の「おきゃく」2024”が開催されました。“おきゃく大使”を務める植野も参加しましたが、ところで“おきゃく”とはどんなものか、みなさんご存知ですか?
僕が初めて高知に行ったのは、40年近く前のことです。あるメーカーの工場が完成し、その落成式に参加したのです。大きな体育館に数百人の人が集まっていまいり、ずらりと並んだ長テーブルには料理が盛り付けられた大皿や酒がぎっしり置かれていました。企業や官公庁の偉い方々の挨拶が終わるや否や(というか、一部の人は挨拶の前から呑み始めていましたが……)、一斉にビールや日本酒を注ぎあい、大皿の料理をつまみながらぐいぐい呑み始めました。平日の昼間にスーツを着た大勢の人たちが思いっきり酒を呑んでいる光景を見て、知らないおじさんに注がれるままに酒を飲み続けながら、植野青年(当時)は衝撃を受けました。
「高知は……なんて、いいところなんだ!」
高知では宴席のことを「おきゃく」と呼び(落成式は「大おきゃく」です)、大皿に持った料理を「皿鉢(さわち)料理」と言うことを、その時知りました。以来、高知で数えきれないほど「おきゃく」を体験しました。
「おきゃく」に欠かせないものは酒と皿鉢料理です。皿鉢料理は鰹のたたきや刺身などを盛り込んだ皿、鯖の姿寿司や田舎寿司(りゅうきゅう(はすいもの茎)、みょうが、こんにゃく、四方竹などを用いた寿司)を盛り込んだ皿、鯛そうめんを盛った皿、さらに寿司、煮物、和え物、揚げ物、果物、羊羹などを盛りつけた“組み物”と呼ばれる皿があります。
かつては冠婚葬祭などでは近所の人が寄り合い、みんなでこうした皿鉢料理をつくってずらりと並べたそうですが、その後は仕出しを取ることが多くなり、近年ではそうした機会も減って、料亭や居酒屋での「おきゃく」に出されることが多くなりました。
「皿鉢料理」の素晴らしいところは、全員参加型の料理であることです。酒のつまみのイメージが強いのですが、例えば“組み物”には唐揚げや果物、羊羹などが入っていて、酒を呑めない人や子供でも参加できる内容になっています。それに、寿司や素麺などもあり、皿鉢料理を出しておけば、誰かが台所に入ってずっと料理をつくるようなこともしなくていいのです。「皿鉢料理と座布団があれば、誰が来てもおきゃくができる」とかつて聞いたことがあります。家の座敷にテーブルと座布団を用意し、皿鉢料理と酒を並べておけば全員参加で誰が来ても何人来ても問題なし、というわけです(かつては「献杯」「返盃」という同じ盃で酒を酌み交わすことで参加した人と親交を深めていましたが、コロナ禍を経てこうした習慣は減りました)。
また、料亭などでの「おきゃく」では“お座敷遊び”も欠かせない要素です。「菊の花」(人数分の盃をお盆に伏せ、ひとつだけ菊の花を入れておき、一人ずつ開けていって菊の花を当てた人が開いた盃の酒を全部呑む)、「可杯(べくはい)」(コマを回し、コマが指したところにいる人がコマに示された大小の盃で呑む)、「箸拳」(向かい合って座った二人が箸を持ち、手で隠しながら相手が持っている本数を当てるゲーム。負けた方が酒を呑む)など、宴がたけなわになると始まる様々な遊びがあります。
こうして説明すると大酒呑みの集まりと恐れられるかもしれませんが、しかしこうした罰ゲーム的な遊びでも、実際には酒が弱い人に当たると、少しだけ酒を注いだり、酒の強い人が代わりに飲んだりします。こうした気遣いがあるから、酒が強い人も弱い人も、みんなで楽しめます。
こうした宴会文化は高知独特のものですが、実はかつては日本各地にこうした宴会文化がありました。それが徐々に見かけなくなってきました。高知でも説明したような本式の「おきゃく」は減っています。今では、居酒屋でも焼肉屋でも、みんなが集まって呑み食いすることも「おきゃく」と呼ぶことが多くなっているし、「おきゃく」を知らない若い世代も減っています。
しかし、「おきゃく」は、招く人と招かれる人がお互いに上手に参加することで酒を楽しむ“もてなし”と“もてなされ”が融合した素晴らしい文化。たとえ本式でなくても、この精神は脈々と受け継がれていると思います。高知の人たちは大酒を飲むイメージが強いのですが(実際そういう人が多いのですが)、本当は酒を楽しむことが上手なのです。
今回の“土佐の「おきゃく」2024”でも上手に酒を楽しんでいる人をたくさん見かけましたし、高知以外から来たであろう人も笑顔であふれていました。改めて、素晴らしい“おきゃく文化”が日常に根付いている高知は「なんて、いいところなんだ!」と思いました。
※おきゃく大使として、この素晴らしい文化の発信と継承を目的とした「映画おきゃく(OKYKU)」をつくることを呼びかけ、実際に制作を始めています。
詳しくは公式サイトをご覧ください。
https://okyakumovie.com
文・写真:植野広生
僕が初めて高知に行ったのは、40年近く前のことです。あるメーカーの工場が完成し、その落成式に参加したのです。大きな体育館に数百人の人が集まっていまいり、ずらりと並んだ長テーブルには料理が盛り付けられた大皿や酒がぎっしり置かれていました。企業や官公庁の偉い方々の挨拶が終わるや否や(というか、一部の人は挨拶の前から呑み始めていましたが……)、一斉にビールや日本酒を注ぎあい、大皿の料理をつまみながらぐいぐい呑み始めました。平日の昼間にスーツを着た大勢の人たちが思いっきり酒を呑んでいる光景を見て、知らないおじさんに注がれるままに酒を飲み続けながら、植野青年(当時)は衝撃を受けました。
「高知は……なんて、いいところなんだ!」
高知では宴席のことを「おきゃく」と呼び(落成式は「大おきゃく」です)、大皿に持った料理を「皿鉢(さわち)料理」と言うことを、その時知りました。以来、高知で数えきれないほど「おきゃく」を体験しました。
「おきゃく」に欠かせないものは酒と皿鉢料理です。皿鉢料理は鰹のたたきや刺身などを盛り込んだ皿、鯖の姿寿司や田舎寿司(りゅうきゅう(はすいもの茎)、みょうが、こんにゃく、四方竹などを用いた寿司)を盛り込んだ皿、鯛そうめんを盛った皿、さらに寿司、煮物、和え物、揚げ物、果物、羊羹などを盛りつけた“組み物”と呼ばれる皿があります。
かつては冠婚葬祭などでは近所の人が寄り合い、みんなでこうした皿鉢料理をつくってずらりと並べたそうですが、その後は仕出しを取ることが多くなり、近年ではそうした機会も減って、料亭や居酒屋での「おきゃく」に出されることが多くなりました。
「皿鉢料理」の素晴らしいところは、全員参加型の料理であることです。酒のつまみのイメージが強いのですが、例えば“組み物”には唐揚げや果物、羊羹などが入っていて、酒を呑めない人や子供でも参加できる内容になっています。それに、寿司や素麺などもあり、皿鉢料理を出しておけば、誰かが台所に入ってずっと料理をつくるようなこともしなくていいのです。「皿鉢料理と座布団があれば、誰が来てもおきゃくができる」とかつて聞いたことがあります。家の座敷にテーブルと座布団を用意し、皿鉢料理と酒を並べておけば全員参加で誰が来ても何人来ても問題なし、というわけです(かつては「献杯」「返盃」という同じ盃で酒を酌み交わすことで参加した人と親交を深めていましたが、コロナ禍を経てこうした習慣は減りました)。
また、料亭などでの「おきゃく」では“お座敷遊び”も欠かせない要素です。「菊の花」(人数分の盃をお盆に伏せ、ひとつだけ菊の花を入れておき、一人ずつ開けていって菊の花を当てた人が開いた盃の酒を全部呑む)、「可杯(べくはい)」(コマを回し、コマが指したところにいる人がコマに示された大小の盃で呑む)、「箸拳」(向かい合って座った二人が箸を持ち、手で隠しながら相手が持っている本数を当てるゲーム。負けた方が酒を呑む)など、宴がたけなわになると始まる様々な遊びがあります。
こうして説明すると大酒呑みの集まりと恐れられるかもしれませんが、しかしこうした罰ゲーム的な遊びでも、実際には酒が弱い人に当たると、少しだけ酒を注いだり、酒の強い人が代わりに飲んだりします。こうした気遣いがあるから、酒が強い人も弱い人も、みんなで楽しめます。
こうした宴会文化は高知独特のものですが、実はかつては日本各地にこうした宴会文化がありました。それが徐々に見かけなくなってきました。高知でも説明したような本式の「おきゃく」は減っています。今では、居酒屋でも焼肉屋でも、みんなが集まって呑み食いすることも「おきゃく」と呼ぶことが多くなっているし、「おきゃく」を知らない若い世代も減っています。
しかし、「おきゃく」は、招く人と招かれる人がお互いに上手に参加することで酒を楽しむ“もてなし”と“もてなされ”が融合した素晴らしい文化。たとえ本式でなくても、この精神は脈々と受け継がれていると思います。高知の人たちは大酒を飲むイメージが強いのですが(実際そういう人が多いのですが)、本当は酒を楽しむことが上手なのです。
今回の“土佐の「おきゃく」2024”でも上手に酒を楽しんでいる人をたくさん見かけましたし、高知以外から来たであろう人も笑顔であふれていました。改めて、素晴らしい“おきゃく文化”が日常に根付いている高知は「なんて、いいところなんだ!」と思いました。
※おきゃく大使として、この素晴らしい文化の発信と継承を目的とした「映画おきゃく(OKYKU)」をつくることを呼びかけ、実際に制作を始めています。
詳しくは公式サイトをご覧ください。
https://okyakumovie.com
文・写真:植野広生