樋口監督がまだ若造だった三十年前から通う通称・赤ちょうちんの店で、タマネギ抜きのレバニラを出してもらえる日はくるのか!?「シン・ウルトラマン」、「シン・ゴジラ」など数々の日本映画を監督してきた樋口真嗣さんの、仕事現場で出会った“ゲンバメシ”とは?
タマネギがダメなんですが、カレーをつくる時はセオリー通りに玉ねぎを飴色になるまで炒めます。ダメなのはあくまで中途半端に火の通った状態。小学生の時友達んちで友達の母ちゃんが凄いスピードでつくったカレーのルウからピンピン跳ね上がったタマネギから始まり、喫茶店のナポリタンとか中華料理だと酢豚とか、牛丼屋のアタマに混ざってる感じが苦手なんです。
そういえば昔は、牛丼の「吉野家」でもタマネギ抜きをオーダーすると抜いてくれる夢のような時代がありました。確か輸入牛肉が確保できなくて「吉野家」から牛丼がなくなった騒ぎの後から対応しなくなったのですが、よそったお玉からお店の人が丁寧に取り除いてくれてたそうで、感謝しかありません。
んでもってだったら逆もあるだろうって肉の脂身嫌いのスタッフのために「牛丼肉抜き」という神をも恐れぬオーダーをしたら恐るべき「吉野家」。怖いもの見たさでお持ち帰り容器を開けると、中には黄金色にツヤツヤと輝くタマネギだけがギッシリと乗っていたのです。タマネギ嫌いには恐怖ですが肉の脂身嫌いには福音だったそうですが。たとえ肉だけ、タマネギだけでも、アタマは「吉野家」の鉄の掟に定められたキッチリ90グラムで提供しなければならなかったのです。
で、あの火が通りシンナリとしながらも繊維質が残り、噛めば細胞膜が破れ溢れ出すスープ――その食感がなければ、意外とオッケーなんです。だから飴色になった玉ねぎのペーストを煮込んだカレーにはむしろ必需品。
目黒通り沿いの「ステーキハウス・リベラ」のソースはすりおろしタマネギベースだけど、その味はむしろ大好物。すると意外と多いタマネギ嫌いの同志からは、半端な裏切り者扱いの謗りを受けるが甘んじて受けて立とうではないか。だがしかし、東宝正門前の定食屋通称赤ちょうちんで幾度となくタマネギ抜いてくれと頼んだレバニラには絶対にタマネギが入っていたのです。東宝で仕事をするようになって30年間ずっと!
高校出たてのぺえぺえ時代から監督になった今でも変わらずに配膳担当のお姉ちゃんは必ず「ごめんなさいねー玉ねぎ入っちゃったのー」って30年間ずっと――???
そう。苦手なタマネギをいまだに出すショックよりも目の前に気になることがあるではないか。あのお姉ちゃん、変わってなさすぎじゃないか?大昔も同じ顔で同じこと言われたし、ヨソヨソしいし。
そりゃあの頃の俺はモブの1人だったけど、今はこう見えてもそこそこ映画を撮ってる監督なんだけどこう見えても。覚えてないのか、みる影もなく変わり果てたその姿からかつての俺が結びつかないのか?ヨソヨソしくないか!なんだかとっても!ていうか、なんで歳とってないんだ?もしや不老不死長生不老のブルック・グリンバーグが世田谷区砧に現れたのか?
いつものようにレバーやニラやもやしにしんなりと紛れたタマネギを取り除く作業を忘れてお姉ちゃんの顔をまじまじと見つめてしまうではありませんか。わ、若い。俺が入りたての頃のままの若さを30年は維持していることになる。なぜだ?それからというもの、お姉ちゃんが気になって、どうしてもってほどの用もないのに何度となく赤ちょうちんに通い、当時絶賛進行中だった東宝スタジオのリニューアルの古いステージや付帯施設を壊して新しいスタジオを建てていた工事のおっちゃんたちで賑わう中、普通に日替わりランチとかを選んで食べてるうちに恐るべき事実を我々は知ることになるのです。
同じ顔なんだけど、年相応の年輪を重ねた妙齢の女性が店番をして、俺の顔を見るなりあら久しぶりねー!と声をかけてきたのです。ヨソヨソしさなんて微塵も感じないバイタリティで!今のお姉ちゃんはかつてのお姉ちゃんの娘だったのです。というかまたしても同じ顔!恐るべきDNA!よくぞここまで似せてくるもんだ!
「東華飯店」のお母ちゃんの双子疑惑と同じオチなのは、もしかしたら文章の才能がないのではないかと己を疑いたくもなりますが、本当にそうだから仕方ないのですよ。
そんな“赤ちょうちん”、コロナ禍で長期休業をしたまま2度と店先にその看板がわりの提灯が下がることはありませんでした。閉店予告をして、別れを惜しむお客さんが押しかけて往時の大賑わいが再現といったセレモニーもなく、ひっそりと。
たまたま前を通り過ぎたら閉ざされたシャッターが半分空いていたのでもしや復活開店か?と胸踊らせて覗いてみると、元お姉ちゃんが片付けをしていました。
訊けば高齢のご主人は、もう一度厨房に立つのが億劫になったそうです。
せめて一度ぐらいレバニラをタマネギ抜きで食べてみたかった……。いつまでもあるから大丈夫と安心してたら、別れは突然やってくるのです。
そんなお店はここだけではありませんでした。成城学園前北口で今や最古になったカウンターだけの焼き鳥屋さん、ミスドの隣で老夫婦が切り盛りしてる、ご主人が真鶴沖で釣ってきたイカの刺身が最高に美味しい居酒屋さん、味わい深い店はどこも閉まったままなのです。だからコロナ禍なんてものは自分の中で未だに納得して受け入れられません。
文・イラスト:樋口真嗣
タマネギがダメなんですが、カレーをつくる時はセオリー通りに玉ねぎを飴色になるまで炒めます。ダメなのはあくまで中途半端に火の通った状態。小学生の時友達んちで友達の母ちゃんが凄いスピードでつくったカレーのルウからピンピン跳ね上がったタマネギから始まり、喫茶店のナポリタンとか中華料理だと酢豚とか、牛丼屋のアタマに混ざってる感じが苦手なんです。
そういえば昔は、牛丼の「吉野家」でもタマネギ抜きをオーダーすると抜いてくれる夢のような時代がありました。確か輸入牛肉が確保できなくて「吉野家」から牛丼がなくなった騒ぎの後から対応しなくなったのですが、よそったお玉からお店の人が丁寧に取り除いてくれてたそうで、感謝しかありません。
んでもってだったら逆もあるだろうって肉の脂身嫌いのスタッフのために「牛丼肉抜き」という神をも恐れぬオーダーをしたら恐るべき「吉野家」。怖いもの見たさでお持ち帰り容器を開けると、中には黄金色にツヤツヤと輝くタマネギだけがギッシリと乗っていたのです。タマネギ嫌いには恐怖ですが肉の脂身嫌いには福音だったそうですが。たとえ肉だけ、タマネギだけでも、アタマは「吉野家」の鉄の掟に定められたキッチリ90グラムで提供しなければならなかったのです。
で、あの火が通りシンナリとしながらも繊維質が残り、噛めば細胞膜が破れ溢れ出すスープ――その食感がなければ、意外とオッケーなんです。だから飴色になった玉ねぎのペーストを煮込んだカレーにはむしろ必需品。
目黒通り沿いの「ステーキハウス・リベラ」のソースはすりおろしタマネギベースだけど、その味はむしろ大好物。すると意外と多いタマネギ嫌いの同志からは、半端な裏切り者扱いの謗りを受けるが甘んじて受けて立とうではないか。だがしかし、東宝正門前の定食屋通称赤ちょうちんで幾度となくタマネギ抜いてくれと頼んだレバニラには絶対にタマネギが入っていたのです。東宝で仕事をするようになって30年間ずっと!
高校出たてのぺえぺえ時代から監督になった今でも変わらずに配膳担当のお姉ちゃんは必ず「ごめんなさいねー玉ねぎ入っちゃったのー」って30年間ずっと――???
そう。苦手なタマネギをいまだに出すショックよりも目の前に気になることがあるではないか。あのお姉ちゃん、変わってなさすぎじゃないか?大昔も同じ顔で同じこと言われたし、ヨソヨソしいし。
そりゃあの頃の俺はモブの1人だったけど、今はこう見えてもそこそこ映画を撮ってる監督なんだけどこう見えても。覚えてないのか、みる影もなく変わり果てたその姿からかつての俺が結びつかないのか?ヨソヨソしくないか!なんだかとっても!ていうか、なんで歳とってないんだ?もしや不老不死長生不老のブルック・グリンバーグが世田谷区砧に現れたのか?
いつものようにレバーやニラやもやしにしんなりと紛れたタマネギを取り除く作業を忘れてお姉ちゃんの顔をまじまじと見つめてしまうではありませんか。わ、若い。俺が入りたての頃のままの若さを30年は維持していることになる。なぜだ?それからというもの、お姉ちゃんが気になって、どうしてもってほどの用もないのに何度となく赤ちょうちんに通い、当時絶賛進行中だった東宝スタジオのリニューアルの古いステージや付帯施設を壊して新しいスタジオを建てていた工事のおっちゃんたちで賑わう中、普通に日替わりランチとかを選んで食べてるうちに恐るべき事実を我々は知ることになるのです。
同じ顔なんだけど、年相応の年輪を重ねた妙齢の女性が店番をして、俺の顔を見るなりあら久しぶりねー!と声をかけてきたのです。ヨソヨソしさなんて微塵も感じないバイタリティで!今のお姉ちゃんはかつてのお姉ちゃんの娘だったのです。というかまたしても同じ顔!恐るべきDNA!よくぞここまで似せてくるもんだ!
「東華飯店」のお母ちゃんの双子疑惑と同じオチなのは、もしかしたら文章の才能がないのではないかと己を疑いたくもなりますが、本当にそうだから仕方ないのですよ。
そんな“赤ちょうちん”、コロナ禍で長期休業をしたまま2度と店先にその看板がわりの提灯が下がることはありませんでした。閉店予告をして、別れを惜しむお客さんが押しかけて往時の大賑わいが再現といったセレモニーもなく、ひっそりと。
たまたま前を通り過ぎたら閉ざされたシャッターが半分空いていたのでもしや復活開店か?と胸踊らせて覗いてみると、元お姉ちゃんが片付けをしていました。
訊けば高齢のご主人は、もう一度厨房に立つのが億劫になったそうです。
せめて一度ぐらいレバニラをタマネギ抜きで食べてみたかった……。いつまでもあるから大丈夫と安心してたら、別れは突然やってくるのです。
そんなお店はここだけではありませんでした。成城学園前北口で今や最古になったカウンターだけの焼き鳥屋さん、ミスドの隣で老夫婦が切り盛りしてる、ご主人が真鶴沖で釣ってきたイカの刺身が最高に美味しい居酒屋さん、味わい深い店はどこも閉まったままなのです。だからコロナ禍なんてものは自分の中で未だに納得して受け入れられません。
文・イラスト:樋口真嗣