「北軽井沢蒸留所」のオーナー・坂本龍彦さんは東京・銀座の現役バーテンダー。「バーテンダーが天職」と言い切る彼が、サービスの仕事では飽き足らず、造り人を志すに至ったきっかけは?情熱を燃やす熾火になったのは、やはりウイスキー愛だ。
「世界で最もバーが多い街」といわれ、老舗から新店まで300軒以上ものバーがひしめく東京・銀座。繁華街の喧騒から少し離れた8丁目界隈の裏路地の一角に、隠れ家と呼ぶにふさわしい小体のオーセンティックバー『LAG』がある。
わずか6坪ほど、カウンター8席のコンパクトな空間で、オーナー兼バーテンダーとして店を仕切るのが本連載の主役でもある坂本龍彦さんだ。10代の頃から六本木、赤坂、銀座の料飲店でバーテンダー修業を重ね、30代半ばを過ぎた2009年に念願の自店をオープン。新旧入れ替わりの激しいバーの聖地で着実に地歩を固める一方で、“ウイスキー蒸留所の創設”というとてつもないを夢を密かに温め、実現に向けて準備を進めてきたという。
「バーテンダーという仕事が心底好きなんです。学生時代にバーテンダーの出てくる映画を観て、なんてカッコいいんだろうと憧れたのが最初のきっかけでした。大好きなお酒を軸にサービスができて、調理もできて、たくさんの人との出会いを通して人生の喜びや楽しみを分かち合える。生涯一バーテンダーでありたいし、そうでなくなる自分は想像できません」
修業先だった東京・赤坂の「燻」、銀座の「煙時」は、ウイスキーやリキュールと料理の独創的なペアリングに定評のあるレストランバーであり、坂本さんが師と仰ぐオーナーの輿水治比古氏は日本屈指のウイスキーコレクターでもあった。
「貴重なヴィンテージや当時は珍しかったアイラモルトも、赤坂で飲ませてもらって覚えました。ちなみに店名の『LAG』は、ラガヴーリンをオマージュして頭文字から採った名前です。ピート香、ヨード香、スモーキーフレーヴァーといったアイラの重厚な個性に、飲みやすいバランス感もあって大好きなウイスキー。16年の長期熟成がスタンダードというブレないスタイルにもしびれます」
シングルモルトスコッチの沼にどっぷりはまってからは、産地へも頻繁に足を運んできた。ラガヴーリン、アードベック、ラフロイグの三兄弟が揃い踏むアイラ島南部、“マイ・フェイバリット”と話すスプリングスバンク蒸留所があるキャンベルタウン、ハイランドパークやスキャパの生地オークニー諸島など、個人的に思い入れの深い辺境の銘醸地もレンタカーを駆ってつぶさに回っている。
「あちこち見学してわかったのは、ウイスキーにはその場所の味が濃密に出るんだなということ。蒸留所の設備を知るのはもちろん興味深いけれど、それ以上にウイスキーづくりの歴史が染み込んでいる土地の空気を感じることで、そのウイスキーがその場所で生まれ、造られるようになった理由が腑に落ちる。訪れる前よりも深く五感で味わえる実感が生まれて、ますますのめり込むようになりました。自分がウイスキーを造る側になろうと思った根っこの部分も、そんな旅の記憶と経験につながっているのだと思います」
銀座の『LAG』開業から2年が過ぎた頃、坂本さんは考えるようになった。
「さて、次は何をしよう?」
営業は軌道に乗り、2店目、3店目の出店を薦める声もあったが、どうもしっくりこないし、乗り気になれない。しかし、知らないうちに醸成されていた思いは、本人が気づく以上に深く根を張っていたらしい。
「ふっと頭に降りてきたんです。“蒸留所をつくろう”という考えが。現実に可能かどうかなんてまったく考えずに、直感で。そうだ、それしかない。逆に、なぜ今まで本気で考えなかったのだろうか、と思いました。自分にとって他に代わる“すごいこと”なんてないし、一番幸せな選択肢はこれだ!と確信できたのです」
そうと決まれば、後は走るのみ。酒造も流通の経験もない坂本さんが先行準備としてまず始めたのは、製造技術を実地的に習得することだった。それからの数年間は、工程を学ぶ機会を求め、バー営業のない週末ごとに国内のウイスキー蒸留所へ足を運んだ。訪問先は、創業から10年以内のニューウエイブ系の蒸留所が中心。北海道の「厚岸蒸溜所」や長野の「マルス信州蒸溜所」など、「ほぼ押しかけ弟子入り状態(笑)」で現場に張り付き、工程やデータや数値への理解を深めていった。
「特に、日本最少規模といわれる滋賀の長濱蒸溜所は、自分が目指す蒸留所の規模感と近く、貴重な学びがたくさんありました。糖化・発酵から蒸留、樽詰めまでの全工程にかかわる技術だけなく、コンパクトな設備や生産体制、熟成を待つ間の消費者向けのアプローチなど、マイクロな強みを生かす点で参考になることばかり。後に申請の手続きで壁にぶつかるようになってからも、折々の場面で相談に乗って助けていただき、本当に感謝しています」
“蒸留所を創る”が事業目的ではあるが、「所有や経営が最大のモチベーションではなく、自分の手を動かしてウイスキーを造ることを優先したい気持が強くあったと思う」と振り返る坂本さん。「不安を感じにくい性分」と自己分析するとおり、根っからのオプティミストの見通しに一点の曇りもなかった。しかし、先々の経営計画なくして成り立たないのがウイスキービジネスである。“壁”が現実として立ちはだかってくるまで、そう時間はかからなかった。
文:堀越典子 撮影:キッチンミノル