銀座のバーテンダー、軽井沢でウイスキーをつくる
そして、新しい蒸留所の歴史が動き出した

そして、新しい蒸留所の歴史が動き出した

初蒸留の喜びに沸いた夏の日から7ヶ月が経過した2024年3月。北軽井沢蒸留所は初めての冬を越し、やがて春に向かおうとしていた。オーナーの坂本龍彦さんは、1週間のうち水曜から金曜日の3日間のみバー『LAG』に立ち、残りは蒸留所に詰めてウイスキーづくりに没頭する2拠点生活に。着実に歩み始めた新生ディスティラリーのその後のストーリーを紹介する。

「味を高めること」の1点を課題に掲げて

坂本龍彦さん

「蒸留所にいる日は早朝から仕込みにかかりきり。糖化・発酵の工程を進めながら、並行して蒸留も1日1回ペースで。今はオーナーズカスクの樽詰め作業も佳境に入っていて、フロスットルで1日があっという間に過ぎてしまいます。でも、めちゃくちゃ楽しいですよ」
東京と軽井沢をせわしなく行き来するルーティンを軽やかにこなしながら、坂本さんはそう声を弾ませる。

「北軽井沢」シングルモルトウイスキーは、既に市場進出も着々と果たしている。2023年10月初旬には、オーナーズカスクとは別ラインの一般商品として、初回ロット1000本分をボトリングしたニューポットを発売。ホームページで販売を開始した10月5日は、『LAG』のアニバーサリーでもあった。

その後も11月から2月にかけて新作を続々とリリース。ウイスキーの蒸留で中間に得られる“ハート”部分のみのボトリングだったり、その前後の“ヘッド”と“テイル”のブレンド版であったり、初留のみや3回蒸留のスピリッツであったりと、ニューポットには珍しいバージョン違いのラインナップで攻めている。

「ニューポットは『今後にご期待ください』という位置づけの商品。よくあるピートとノンピートの違いではなく、樽に入る前ならではの素の面白さを楽しんでいただける展開を考えました」

坂本龍彦さん
「北軽井沢」シングルモルトウイスキー

そう言いながら、「LAG」のカウンターで小さな100mlのボトルを愛おしそうに撫でる坂本さん。初回リリースのデビュー作を口に含むと、パイナップルを思わせるフレッシュな果実香が広がった。蒸留したてのスピリッツに特有のエステル香だ。しかし、飲み口はまるく、しなやかで、飲み物として既に完成されたエレガンスすら感じる。これは会心の出来というやつではないのだろうか。

「このきれいな感じは、確かに狙っていた着地点。フルーティーなまとまりとバランス感は、我ながら悪くないと思う。現時点でベストの味になっているかな、という自負はあります」

しかし、ファーストペンギンにも不安と迷いはつきものだ。処女作のニューポットを、坂本さんは長年にわたり私淑するウイスキーの師匠2名に飲んでもらい、判定を請うた。1人はバーテンダーの師でもある「煙時」の輿水治比古氏、もうひとりは洋酒の聖地としてつとに知られる名酒屋「目白田中屋」の名物店長、栗林幸吉氏である。

輿水氏は「悪い味、嫌な感じがまったくない。丁寧に造っているのがよくわかる」と愛弟子の健闘を称え、「最初が間違っていないことが大事だからね。方向性としていいと思う!」と力強く背中を押した。
栗林氏からも、「素直においしい。よくここまで来たね!」とポジティブな講評が。しかし、続きの一言があった。
「『でも、まだまだいけるよ』と(笑)。次の課題について覚醒させるような、鋭いエールの言葉でもあったと思います」

課題とは言うまでもなく、とにかく味を高めること。その1点のみ。特に、樽熟成にふさわしい原酒の重厚感、奥行をいかに備えるかを、新しい指標として強く意識するようになったと話す。
「再留時に蒸留液のカットのタイミングを測るときにも、“もっといける”の声が脳裏に去来して(笑)。蒸留だけではなく、発酵がウイスキーの輪郭に深くかかわっている可能性もある。全体の工程をコントロールすることの難しさ、奥深さを、改めて感じているところです」

樽

2024年2月からは、待望の第1期プライベートカスク(50Lアメリカンオーク新樽)の販売を開始。同年4月には、蒸留所初の熟成ウイスキーとなる「NEW BORN」、7月には第2弾のバーボン樽熟成バージョンを次々とリリース。さらには、デビュー作のニューメイクスピリッツが、フランスで開催される国際ワインアワード「フェミナリーズ世界ワインコンクール」の日本産蒸留酒部門において、初出品にしていきなりの金賞を射止める快挙までついてきた。そのタイトルどおり、世界各国からの女性ソムリエや醸造家、ジャーナリスト、シェフなど、女性ワイン専門家が審査員を務めるアワードでの受賞は、女性のカスクオーナーも多く擁する北軽井沢蒸留所にとって、うれしい手ごたえを伴う成果であったことだろう。
坂本さんが蒸留所創設を思い立って以来、さまざまなフェーズでつながれてきた人の輪が、これからは樽を介してさらに広がり、熟成の時を重ねていくことになる。そこから生まれる新しい物語から、まだまだ目が離せそうにない。

文:堀越典子 撮影:キッチンミノル

堀越 典子

堀越 典子 (ライター)

千葉県出身。武蔵野音楽大学卒業後、ピアノ講師→音楽系出版社→編集制作会社勤務を経て独立。気がつけば、もっぱら酒食部門担当のライターに。dancyuをはじめ雑誌、PR誌、WEB媒体に食・酒・旅まわりの取材記事を寄稿。大好物はスペイン。サンティアゴ巡礼路歩きが15年来のライフワーク。