東宝スタジオ周辺には、激辛チャーハンを出す台湾料理屋がほかにもあった?「シン・ウルトラマン」、「シン・ゴジラ」など数々の日本映画を監督してきた樋口真嗣さんの、仕事現場で出会った“ゲンバメシ”とは?
お陰様で、って別に自分の店って訳でもないけど4月いっぱいで世田谷は砧の住宅地の台湾料理店「玉蘭(ぎょくらん)」は営業を終了しました。最後の一週間は別れを惜しむお客さんが行列を作る過熱ぶりでした。私も並びましたが店主のタケイさんがフラフラになりながら杖――といっても落ちてた木の棒を支えにして厨房に立ち、文字通り命を削って作っていた料理の数々、本当にありがとうございました。
そもそも店名の「玉蘭」はオーナーだった台湾のオペラ歌手、邱玉蘭さんの名前からつけられたそうです。玉蘭さんは武蔵野音大で音楽を学んでソプラノ歌手になって、副業?で台湾料理店を開いたけど今ではもう台湾に帰国したという、今日び流行りの街中華とは一線を画したい、なかなか由緒正しいお店なんだけども、なぜかこの界隈には本格的な中華料理屋さんが多かったのです。
最寄駅である成城学園前駅の周囲にも綺羅星の如き中華料理屋さんがありました。私なんぞは滅多にご相伴に預かれませんでしたが、黒澤明監督のチームが愛用し、受賞記念パーティの最中に作曲家・佐藤勝さんが倒れ、最後の晩餐となってしまった宴会場を擁する本格中華料理店「マダムチャンホームキッチン」も今やなく、北口の名店「成城飯店」も麺類と餃子のみの営業に縮小という有様。
そして当時の仕事場(バイトだが)東宝スタジオの近くの、世田谷通りを挟んだ向かいに、「玉蘭」とは別の台湾料理屋さんがありました。「華華餐庁(ホワホワサンテン)」というものものしい構えで、「玉蘭」に行こうとするお客さんを世田谷通りの向かい側でインターセプトせんとする立地で、スタジオ発行の残業の友である食券が使える店でもありました。
名物は南国チャーハン。 トロピカルなネーミングとは裏腹に激辛なチャーハンなんだけど、なんとも後味は爽やかという矛盾したメニューと、本格的な中華メニューはどちらかといえば夜の部の宴を彩る品々で、昼はもっぱら日替わりの定食がメインだけど南国チャーハンの禁断症状が発症してつい同じものを頼んでしまいます。
「玉蘭」の人気メニュー・火山チャーハンも唐辛子ペーストベースの激辛でした。 撮影所でアルバイトをし始めてオトナの階段を登り始めた頃、時を同じくして巷を賑わせていたのが辛子明太子や激辛ポテトスナックのカラムーチョ、タバスコにハラペーニョといった激辛食品たちでした。刺激を求める無謀な若者をターゲットにしていたのでしょうか?エスニックな料理の常軌を逸した味付けは度胸試しか罰ゲームの必需品、今だったら絶対にハラスメント案件ですが、時は昭和なのでイケイケお構いなしの勢いでした。そんな場で鍛えられたからなのかわかりませんが、早い段階で辛い食べ物に対する耐性が備わっていて、南国チャーハンも火山チャーハンもヘッチャラというよりむしろ好物になっていたのです。
そんな「華華餐庁」、バブルの頃に繁盛してたのに突然店をたたんでしまいます。噂によると相模原の方にビルを建てたのでそっちで営業するというのです。跡地には我々の胃袋とは関係のないバイクの部品屋さんが入りました。それから30年が経ち、バイトだった私も監督としてそれなりにチヤホヤされるようになり、お陰様でこんな仕事と関係のない食べることだけの文章を書かせていただけるようになった代わりに、撮影所の周りはスッカリ様変わりしてめぼしいお店はみんななくなってしまいました。そのネタ探しと裏取りをして――と言ってもネットで検索してるだけなんですけど、ネットは広大であります。
あの「華華餐庁」がまだ現存していたことを突き止めました。ただし、相模原ではなくて厚木の隣町であり相模川の上流、柳ヶ瀬ダムのたもと、愛川の工業団地の入り口に移転して30年間もの間営業していたのです!
ところが最寄駅の原当麻から2000メートル!車でないと行けない陸の孤島ですがここで諦めるわけにはいきません。 30年ぶりの南国チャーハンが待っているのです!
でもね……たぶん……きっと……。
なんせ30年ぶりです。もしかしたら代替してメニューも跡形もなく変わっているかもしれません。そんな不安をかかえながらも車両とドライバーを手配して行ってきましたよ神奈川県は愛川工業団地まで!
文・イラスト:樋口真嗣
お陰様で、って別に自分の店って訳でもないけど4月いっぱいで世田谷は砧の住宅地の台湾料理店「玉蘭(ぎょくらん)」は営業を終了しました。最後の一週間は別れを惜しむお客さんが行列を作る過熱ぶりでした。私も並びましたが店主のタケイさんがフラフラになりながら杖――といっても落ちてた木の棒を支えにして厨房に立ち、文字通り命を削って作っていた料理の数々、本当にありがとうございました。
そもそも店名の「玉蘭」はオーナーだった台湾のオペラ歌手、邱玉蘭さんの名前からつけられたそうです。玉蘭さんは武蔵野音大で音楽を学んでソプラノ歌手になって、副業?で台湾料理店を開いたけど今ではもう台湾に帰国したという、今日び流行りの街中華とは一線を画したい、なかなか由緒正しいお店なんだけども、なぜかこの界隈には本格的な中華料理屋さんが多かったのです。
最寄駅である成城学園前駅の周囲にも綺羅星の如き中華料理屋さんがありました。私なんぞは滅多にご相伴に預かれませんでしたが、黒澤明監督のチームが愛用し、受賞記念パーティの最中に作曲家・佐藤勝さんが倒れ、最後の晩餐となってしまった宴会場を擁する本格中華料理店「マダムチャンホームキッチン」も今やなく、北口の名店「成城飯店」も麺類と餃子のみの営業に縮小という有様。
そして当時の仕事場(バイトだが)東宝スタジオの近くの、世田谷通りを挟んだ向かいに、「玉蘭」とは別の台湾料理屋さんがありました。「華華餐庁(ホワホワサンテン)」というものものしい構えで、「玉蘭」に行こうとするお客さんを世田谷通りの向かい側でインターセプトせんとする立地で、スタジオ発行の残業の友である食券が使える店でもありました。
名物は南国チャーハン。 トロピカルなネーミングとは裏腹に激辛なチャーハンなんだけど、なんとも後味は爽やかという矛盾したメニューと、本格的な中華メニューはどちらかといえば夜の部の宴を彩る品々で、昼はもっぱら日替わりの定食がメインだけど南国チャーハンの禁断症状が発症してつい同じものを頼んでしまいます。
「玉蘭」の人気メニュー・火山チャーハンも唐辛子ペーストベースの激辛でした。 撮影所でアルバイトをし始めてオトナの階段を登り始めた頃、時を同じくして巷を賑わせていたのが辛子明太子や激辛ポテトスナックのカラムーチョ、タバスコにハラペーニョといった激辛食品たちでした。刺激を求める無謀な若者をターゲットにしていたのでしょうか?エスニックな料理の常軌を逸した味付けは度胸試しか罰ゲームの必需品、今だったら絶対にハラスメント案件ですが、時は昭和なのでイケイケお構いなしの勢いでした。そんな場で鍛えられたからなのかわかりませんが、早い段階で辛い食べ物に対する耐性が備わっていて、南国チャーハンも火山チャーハンもヘッチャラというよりむしろ好物になっていたのです。
そんな「華華餐庁」、バブルの頃に繁盛してたのに突然店をたたんでしまいます。噂によると相模原の方にビルを建てたのでそっちで営業するというのです。跡地には我々の胃袋とは関係のないバイクの部品屋さんが入りました。それから30年が経ち、バイトだった私も監督としてそれなりにチヤホヤされるようになり、お陰様でこんな仕事と関係のない食べることだけの文章を書かせていただけるようになった代わりに、撮影所の周りはスッカリ様変わりしてめぼしいお店はみんななくなってしまいました。そのネタ探しと裏取りをして――と言ってもネットで検索してるだけなんですけど、ネットは広大であります。
あの「華華餐庁」がまだ現存していたことを突き止めました。ただし、相模原ではなくて厚木の隣町であり相模川の上流、柳ヶ瀬ダムのたもと、愛川の工業団地の入り口に移転して30年間もの間営業していたのです!
ところが最寄駅の原当麻から2000メートル!車でないと行けない陸の孤島ですがここで諦めるわけにはいきません。 30年ぶりの南国チャーハンが待っているのです!
でもね……たぶん……きっと……。
なんせ30年ぶりです。もしかしたら代替してメニューも跡形もなく変わっているかもしれません。そんな不安をかかえながらも車両とドライバーを手配して行ってきましたよ神奈川県は愛川工業団地まで!
文・イラスト:樋口真嗣