樋口監督が東宝ビルトで「ガメラ」の撮影中、昼になると猛ダッシュして向かうお目当ての店がありました――。「シン・ウルトラマン」、「シン・ゴジラ」など数々の日本映画を監督してきた樋口真嗣さんの、仕事現場で出会った“現場メシ”とは?
数年前のことです。誰も知らない美味しいお店を知っている食いしん坊仲間の友達が、大手グルメサイトで連載を始めました。かなり影響力のあるところなので、お節介な老婆心が芽生えます。
今だったら普通に入れるこのお店があのサイトに載ってみんなが押しかけて自分も入れなくなったらどうするの?と、訊いてみると、そんなこと心配するからあんたのような小者はだめなんだよとかぶりを振り、もしそうなってもお店の繁盛をもたらしたのは俺だろ?だから俺は無理の効く上客になっているはず。だから心配ない。それよりも心配なのはこのままそこそこの客足しか見込めなくて店主も歳をとってもう体力気力も続かないからやめちゃおうかってなるのが一番良くないじゃん???なるほど確かに。
でもその友達は結局、自分の記事で生まれたであろう行列に並んで食べています。律儀なのか、それとも企んでいた上客になり損ねたのか、怖くて聞けません。
そうです。季節は移ろい、人の心もまた同様なのです。 今書いている記事がネットに上がる頃は六月……いや、七月かもしれません(実際は9月でした)。 ということは皆さんのお目にかかる頃には、今回紹介するお店はすでに閉店しているのです。
連載第一回で紹介した撮影スタジオ・東宝ビルトは、東宝スタジオにセットを設営するための美術装置をつくるために建てられた作業場(旧東京美術センター)を、映画産業斜陽化を見越して、テレビ映画ぐらいの規模であれば撮影用スタジオに転用できると踏んで生まれた小さなスタジオです。
東宝スタジオと東宝ビルトは、近くとはいえちょっと離れている上にこの距離を巨大な建具をどうやって運んだのか不思議なぐらい狭い道しか通っていないのですが、その道すがらに小さな台湾料理屋がありました。
店名は「玉蘭(ぎょくらん)」。本格的な名前ですし、店構えもぺえぺえの若造がでかいツラ下げて入る雰囲気ではなかったのですが、先輩たちに連れてってもらったらまあ美味しかったのです。 東京に小皿料理の台南担仔麺がいっぱいできる前だったので、よくよく考えると生まれて初めて食べた台湾料理がここでした。
シジミの醤油漬け、ピータン、腸詰。酒が進むツマミの数々。 そして締めの坦々麺や火山チャーハンという辛めの味付けのチャーハンも初めてでした。先輩たちが罰ゲーム的に食べさせようとしたものの、すでに流行っていた激辛ブーム(といってもカラムーチョとか10倍カレーだから可愛いもんですが)の洗礼をかいくぐってきたので、先輩たちをがっかりさせるようなリアクションしか取れませんでした。
というか、担々麺もさることながら火山チャーハン、その名の如くマグマのように赤い唐辛子と共に炒められたチャーハン、お口が大噴火……のハズが辛さの奥から押し寄せる美味しさのトリコになりました。
火山チャーハンに更に高菜漬を加えた高菜火山チャーハン、レタス火山チャーハン、腸詰火山チャーハンと、火山チャーハンに無限のバリエーションが生まれていきます。 お世辞にも綺麗とは言えない店内。文化祭の出店みたいに不揃いな椅子。 トイレに行こうものなら、東京23区内で最後に残った下水未整備地域なのでなつかしき昭和の汲み取り便所に遭遇します。それゆえいく人を選びますが、一度行けばみんな大好きです。
円谷プロのテレビ作品のセット撮影が行われていましたが、私は初めて監督した消防庁のPR映画(と言っても中身は東京大地震)や、当時最先端だったイマジカのモーションコントロールカメラの常設ステージで撮ったイベントムービー、そして「ガメラ」の撮影で東宝ビルトを拠点にすると、おのずと食生活はビルトのサロン中心になるのですが、第一回のとおり、おばちゃん三人でのオペレーションが滞り気味でやたら待たされるので昼休みになったら「玉蘭」めがけて猛ダッシュです。
その頃になるとメニューが増えた、というか多すぎるメニューの中から発掘したというか、これ頼んでみよう、って頼んだら大当たり!という嬉しい発見が続きます。
まずはガンメン。デビルマンの敵、デーモン族ではありません。乾いた麺と書いてガンメン。 行ったこともないのに最高に台湾気分が味わえる一品でした。 ああ、今からでも食べに行きたい。これを書いてる4月現在ならまだ営業しているから行こうと思えば行けるんだけど、読んでるみんなの世界線ではもう閉店しているんだよなあ。悲しいけど。
文・イラスト:樋口真嗣
数年前のことです。誰も知らない美味しいお店を知っている食いしん坊仲間の友達が、大手グルメサイトで連載を始めました。かなり影響力のあるところなので、お節介な老婆心が芽生えます。
今だったら普通に入れるこのお店があのサイトに載ってみんなが押しかけて自分も入れなくなったらどうするの?と、訊いてみると、そんなこと心配するからあんたのような小者はだめなんだよとかぶりを振り、もしそうなってもお店の繁盛をもたらしたのは俺だろ?だから俺は無理の効く上客になっているはず。だから心配ない。それよりも心配なのはこのままそこそこの客足しか見込めなくて店主も歳をとってもう体力気力も続かないからやめちゃおうかってなるのが一番良くないじゃん???なるほど確かに。
でもその友達は結局、自分の記事で生まれたであろう行列に並んで食べています。律儀なのか、それとも企んでいた上客になり損ねたのか、怖くて聞けません。
そうです。季節は移ろい、人の心もまた同様なのです。 今書いている記事がネットに上がる頃は六月……いや、七月かもしれません(実際は9月でした)。 ということは皆さんのお目にかかる頃には、今回紹介するお店はすでに閉店しているのです。
連載第一回で紹介した撮影スタジオ・東宝ビルトは、東宝スタジオにセットを設営するための美術装置をつくるために建てられた作業場(旧東京美術センター)を、映画産業斜陽化を見越して、テレビ映画ぐらいの規模であれば撮影用スタジオに転用できると踏んで生まれた小さなスタジオです。
東宝スタジオと東宝ビルトは、近くとはいえちょっと離れている上にこの距離を巨大な建具をどうやって運んだのか不思議なぐらい狭い道しか通っていないのですが、その道すがらに小さな台湾料理屋がありました。
店名は「玉蘭(ぎょくらん)」。本格的な名前ですし、店構えもぺえぺえの若造がでかいツラ下げて入る雰囲気ではなかったのですが、先輩たちに連れてってもらったらまあ美味しかったのです。 東京に小皿料理の台南担仔麺がいっぱいできる前だったので、よくよく考えると生まれて初めて食べた台湾料理がここでした。
シジミの醤油漬け、ピータン、腸詰。酒が進むツマミの数々。 そして締めの坦々麺や火山チャーハンという辛めの味付けのチャーハンも初めてでした。先輩たちが罰ゲーム的に食べさせようとしたものの、すでに流行っていた激辛ブーム(といってもカラムーチョとか10倍カレーだから可愛いもんですが)の洗礼をかいくぐってきたので、先輩たちをがっかりさせるようなリアクションしか取れませんでした。
というか、担々麺もさることながら火山チャーハン、その名の如くマグマのように赤い唐辛子と共に炒められたチャーハン、お口が大噴火……のハズが辛さの奥から押し寄せる美味しさのトリコになりました。
火山チャーハンに更に高菜漬を加えた高菜火山チャーハン、レタス火山チャーハン、腸詰火山チャーハンと、火山チャーハンに無限のバリエーションが生まれていきます。 お世辞にも綺麗とは言えない店内。文化祭の出店みたいに不揃いな椅子。 トイレに行こうものなら、東京23区内で最後に残った下水未整備地域なのでなつかしき昭和の汲み取り便所に遭遇します。それゆえいく人を選びますが、一度行けばみんな大好きです。
円谷プロのテレビ作品のセット撮影が行われていましたが、私は初めて監督した消防庁のPR映画(と言っても中身は東京大地震)や、当時最先端だったイマジカのモーションコントロールカメラの常設ステージで撮ったイベントムービー、そして「ガメラ」の撮影で東宝ビルトを拠点にすると、おのずと食生活はビルトのサロン中心になるのですが、第一回のとおり、おばちゃん三人でのオペレーションが滞り気味でやたら待たされるので昼休みになったら「玉蘭」めがけて猛ダッシュです。
その頃になるとメニューが増えた、というか多すぎるメニューの中から発掘したというか、これ頼んでみよう、って頼んだら大当たり!という嬉しい発見が続きます。
まずはガンメン。デビルマンの敵、デーモン族ではありません。乾いた麺と書いてガンメン。 行ったこともないのに最高に台湾気分が味わえる一品でした。 ああ、今からでも食べに行きたい。これを書いてる4月現在ならまだ営業しているから行こうと思えば行けるんだけど、読んでるみんなの世界線ではもう閉店しているんだよなあ。悲しいけど。
文・イラスト:樋口真嗣