西梅田駅から地下鉄でひと駅。高層ビルが林立するオフィス街・肥後橋にたどり着く。大通りから少し中に入ると、マンションや新旧の飲食店が点在。ワーカーも住民も多い街の一角に「金時屋」はある。ここだけ時が止まったかのような小さな食堂には、毎日でも食べたくなる味と、深い絆がありました。
水色のテントの下に、達筆な文字が映える暖簾。店先から中の様子を窺えないが、11時の開店と同時に白シャツ姿のビジネスマンたちがひっきりなしにやってきては吸い込まれてゆく。「いらっしゃーい!まいどですー」「すぐ片付けるんで、ちょっとお待ちくださいねー!」フロアを仕切る、森口マキさんの威勢のいい声が、今日も心地よく響き渡る。
年季が入った木の棚には、トンカツ、エビフライ、ミンチカツ、煮魚に焼魚……と、おかずがびっしり並ぶ。お客は好みの皿を選び、白ごはん(小)であれば味噌汁、小鉢付きで680円。白ごはんのサイズ違いで値段が変わり(大)でも750円。「今どき、1,000円でお釣りがくるのはたまらんね」と若いサラリーマンは呟いている。
創業は1953年(昭和28年)。2代目の山下 章さんによると「父は氷屋を始めました。当時はかき氷がよう売れましてん」。しかしアイスキャンデーが出始めて業績は悪化。「こら何かせんとあかん。ほな、うどんでも出そうか」と始めた麺と飯の店が当たった。1960年(昭和35年)に山下さんが代を継ぎ、今は奥様と娘のマキさんの親子3人で店を切り盛りしている。
「暑いでしょ。冷たいお茶でもどうそ」と、マキさんは店先で待つ客に気遣いながらも、手際よくフロアを仕切る。「看板娘を目当てに、昼飯食べに来てんねん。溌剌としていて、元気もらえるからな」と、ビジネスマンたちは麦茶を啜りながら、微笑んでいた。
11時半を過ぎると相席の店内は満員御礼。皆それぞれ、好みのおかずを選び、空いている席へ。「金時屋」には“毎日来ています”とか“週に半分くらい”と言うご常連がなんと多いことか。
毎日やってくるのは、窓際の席に腰を据えた堀田さん。「この店はな、魚料理が何しろ旨い。煮付けと焼物があってな、魚は日替わりやから、毎日来ても飽きへん。今日はブリカマ煮付けにしたわ」。
隣のテーブルで、別の男性客は「そやねん、ワシも煮付けが好物や。アカウオが一番やな」と「金時屋」の煮付け談義が始まりそうな勢い。
ご主人・山下さんによると「煮付けは、濃口醤油、砂糖、日本酒がベースです。ブリカマとか脂のノリがえぇ魚には、みりんでコクをつけたり。アカウオは、あのあっさり感を生かしたいから、みりんは入れてへんね」。
厚みのあるブリカマの脇には、どんこ椎茸の炊いたん、小芋煮、菜っ葉の浅漬けなど、野菜のおかずがちょこんと並ぶ。アカウオ好きのお客さんが頼んだ、漫画盛りと言いたくなる白ごはん(大)が、あれよあれよという間に空になっていた。
「皆さん、ごはんをようけ食べてくださるから、5kgの釜を使って2回、このガスオーブンで炊飯するんです。年季入っとるでしょ」と、取っ手がついた四角いオーブンの前で、淡々と調理をこなす山下さん。
ちょっと前に風邪をこじらせたそうだが、元気になられて、常連達も喜んでいるはず。
「オムライス2つ、入りました〜!」
「あいよ」
そうして、山下さんは、米2合近くはあるんじゃないかというチキンライスを拵え、ずっしりと重たそうなフライパンを自在に操りながら、軽やかな手つきで仕上げていく。「普通のオムライスなんやけど、よう出ますね」。
オムライスが運ばれたテーブルには「金時屋には、親父の代からお世話になっています」という、近所の田邊さんと田中さん。
「ここのオムライスの“家”感が好きなんですわ。なにせどの料理も、早い・温かい・旨い。三拍子揃っているのが嬉しいです」と話す田邊さんに続き、「カツ丼は、こんなにボリュームがあって700円。どれも懐に優しいから毎週、お世話になってます」と田中さんは、カツを頬張りながら嬉しそうな表情を見せている。
13時前になると、ランチ族の波は穏やかに。
白シャツ姿の川西さんは「出張へ行かへん限り、毎日お世話になっています」と。聞けば高校卒業後、「金時屋」の隣のビルに入居する企業に入社。それからというもの連日、ちょっと時間をずらしてやってくる。
「僕はいつも、棚に残っている品数が多いおかずを優先して選びます。今日は、イワシとエビのフライですわ」と、ウスターソースを回しかけマヨネーズをかけ、ゆっくりと味わっている。マキさんから「はい、お母ちゃんから」と、さっと玉吸(ぎょくすい=落とし卵入りのお吸い物)が。「1人前残っていたからおまけ。いつも気を遣ってもろてるし、ほんの気持ちです」と、厨房でお母さんが囁いていた。
界隈には、デザイナーやスタイリスト、ヘアメイクなど、カタカナ業界人が事務所を構えるマンションも多い。
だから「金時屋」の遅がけの昼も、自由な空気が流れている。瓶ビールを飲みながら、カツ丼やカレー、焼めしを頬張る男性一人客もちらほらと。
時計の針が13時半に差し掛かった頃、「あれま、エプロンのおにいちゃん、久しぶりやないの」と、店先でお母さんの嬉しそうな声が響く。
聞けば以前、近所に事務所を構えていた、アパレル関係の小西さん。金時屋オリジナルのエプロンも手掛けていたとか。友人であり「かれこれ10年近く、毎週通っている」という常連の馬場さんと昼ごはんを食べに来たという。
「今は事務所が離れているので、めちゃご無沙汰しています。お母さんもお父さんも、お元気そうで嬉しいです」と小西さんの頬が緩む。
二人は瓶ビールをシェアしながら、「今日は、カレーそばの“黄”にしました」と話す馬場さん。
「黒」が蕎麦で、「黄」が中華めんらしい。馬場さんが頼んだそれは、うどんだしの上に、カレーがかけられていて、中華めんが潜んでいる。「濃厚なカレーと、だしの旨みのバランスがえぇんです。くたっとした麺に絡んで堪らないっす」と目を細めている。
馬場さんによると「定食以外の人気は、オムライスですね。これからの時期は、鍋焼うどんを頼まれるお客さんも多いですよ」と。
馬場さんの語りはアツく、オムライス、ではなくチキンライスと玉吸も好きらしい。「玉吸の、じんわり広がるだしの旨みと、玉子のつるりとした舌触りを楽しみながら、ケチャップ味のチキンライスを頬張る。これがもうね、最高なんです」と、カレーそばを味わいながらも、実況は続く(笑)。
その隣で小西さんは、「この煮付けの、自然な甘みがほんまに懐かしいです。味噌汁の味も、昔と変わらない。こうやって、帰れるところがあるというのは、ほんまに幸せなことです」と、数年ぶりに訪れた「金時屋」に漂う空気と共に、定食をしみじみと味わい尽くしていた。
「金時屋」と書かれた暖簾、じつはマキさんの手書き・手作りらしい。
「両親が一生懸命、料理を作っています。私は営業中、バッタバタでしょう。だけど、お客さんにはちょっとでも楽しんでもらいたいし、満足して帰っていただきたい。だから、いつも声をおかけするなど、少しの交流を大切にしています」。
「毎日とは言わんけど、週に1回でも来ていただきたいから、飽きへんような味づくりを心がけています」、「機嫌よう、昼からの仕事も頑張ってもらいたいさかいな」と山下さんご夫妻の頬が緩んだ。
じんわりと温かい気持ちになる、街角の食堂は、多くのお客に元気を与えている。
文:船井香緒里 撮影:竹田俊吾