大阪呑める食堂
昭和のご馳走がテーブルを埋め尽くす「井筒食堂」

昭和のご馳走がテーブルを埋め尽くす「井筒食堂」

大阪市西部。町工場が連なり、コンテナトラックが行き交う港区・弁天に「井筒食堂」はある。テーブルにびっしりと並ぶ、目を見張る数のおかずを目当てに、開店前というのに続々とお客がやってくる。この街とともに歴史を刻む、昔ながらの食堂には、郷愁の味あり、時代の流れに合わせた新風が吹いていました。

「健康の源やし、憩いの場。ここは残さんとあかん食堂や」

おかず

開店直前の11時15分。テーブル上に、おかずがズラリと並ぶ光景は、圧巻の一言! 筑前煮や小芋の炊いたん、すき焼きなど和惣菜はもちろん、回鍋肉や肉団子甘酢、スコッチエッグにポークピカタまで和洋中、何にしようか嬉しい悩みが尽きない品揃え。
「どれも昭和時代のご馳走ですよ。種類?何品あるのか、数えたことないです」と、小鉢を並べながら話すのは、大女将の中谷紀代子さん。長女・久仁子さんと、次女・恵子さんと共に、さらには常時8人近いベテランのパートさんとのチーム力をもって、全85席の「井筒食堂」を支えている。
(ちなみに、おかずは50種類以上、皿数は数百……数えきれない)

外観

創業は昭和8年。当時、四国や九州など各航路の客船で賑わっていた大阪港の玄関口・天保山で、「祖父が麺類のお店を始めたと聞いています」と長女の久仁子さん。「船着場やったから、地元の方や観光客など、多くのお客さんで賑わっていたそうです。その後は、寿司や惣菜も出すようになり、仕出しもやっていましたね」と、大女将の紀代子さんは続ける。

昭和30年後半、大阪の主要港が天保山から弁天埠頭へ移ったのを機に、弁天埠頭ターミナルに支店を開く。昭和45年に開かれた大阪万博の少し前、今の場所に支店を移した(天保山にあった店は、平成元年に立ち退きのため閉店)。「万博の需要も見据え、2階には団体客向けの席を作り、朝食も出していましたね」と、紀代子さんは当時を懐かしむ。

待ち客

開店の15分前だというのに、店内には常客がちらほら。そのなかで「僕らはいつも、ほぼ一番乗りです」と微笑むのは、週4回のペースで通う、ご近所の笹田さんだ。曰く、「女性スタッフの“ど~ぞ~!”の一言が、開店の合図。それまでは、待ちの状態です(笑)」と、席についてセルフサービスのお茶を飲んでいる。

「お待たせしました~、ど~ぞ~!」。快活な声が85席の大バコのフロアに響き渡ると同時に、おかずに駆け寄るお客たち。好みの皿をお盆にのせたなら、注文カウンターへ出向いて「飯・汁」あるいは「丼・麺類」をオーダーする。湯気立つ汁物やご飯を受け取ったならテーブル席へ戻り、昼餉となる。食事中、サービススタッフは、伝票を書きに席を回り、食後に会計という、テンポの良さと効率を併せ持った片道セルフ方式。

カウンター
伝票

窓際の定位置に帰ってきた笹田さんは「キンピラに、ほうれん草の炒め、若竹煮に鯖の煮付け。見るからに、バランスの良い和定食ですよ」。秋のシチューや冬の粕汁など、季節の汁物も楽しみなのだとか。「毎日のことですから、なるべく野菜を摂るようにしています。僕にとってこの食堂は、健康の源。栄養バランスの良い食生活が叶うし、身体が整うっていうか。憩いの場ですよ」。

鯖煮付け
笹田さん

「井筒食堂」の界隈には、金属加工や電気工などの町工場が多く、働く男たちが客の多くを占めている。
「毎日来ています」と言う、作業着姿の常連がなんと多いこと! 町内で金属加工の製作所を営む小林さんは、「今日は母と一緒に。息子もしょっちゅう来るから、3世代でお世話になっていますよ」と。
いっぽう「10年以上、毎日通うてます」と言う相原さんは、すき焼き・うどん・白ごはんの3点セットにしたらしい。「この店がなくなったら困る人がめちゃ多い。だから僕らは、浮気なんかせず(笑)通い続けるんです」と、相原さんは締めくくってくれた。

作業着姿

「何しろこの品数でしょう。毎日来ても、全然飽きないんですよね」と、隣のテーブルで話すのは、古家さんと長嶋さん。近所に職場があり、展示会やイベントの設営に携わっているという。「今日のメインはスコッチエッグ。いつもあるワケやないから、見つけたら即決です(笑)」。

スコッチエッグ
古家さん

そのスコッチエッグは、ケチャップとウスターソースを合わせたソースの上に鎮座。握り拳ほどのサイズのひき肉のど真ん中に、艶やかな半熟卵が映える。「体力的にハードな仕事ですから、しっかり食べて午後の仕事に備えます。この店の料理は、馴染みのある味あり、ときには変化球もあり。どれもホッと落ち着く味なんです」と、二人とも嬉しそうにスコッチエッグを頬張っていた。

12時半を過ぎると、ランチ族の波も落ち着き、フロアには落ち着いた空気が漂いはじめる。
「すぐそこに住んでいます」と言う中野さんは、奥様と娘さんと3人で店を訪れ「飲みたい客は、ちょっと時間をズラすんです。ほな、休憩中の一杯を……」と、嬉しそうにビールをゴクリ。「今日は、筑前煮に小芋の炊いたん、卵とじの中華そばに、肉うどん……。ここは何を頼んでも、すぐに出てくる。せっかちな大阪人には最高やねん」、「何食べても美味しいしね」と、家族団欒の和やかな時間が流れていた。

中野さん
厨房

早朝から仕込みの手を止めていなかった大女将は、ピークの時間が過ぎ、少しだけ穏やかな表情に。
その隣で長女の久仁子さんが語り始めてくれた。「父が8年前に倒れてからというのも、私らは母を支えることに必死でした。もう何もかも見よう見まねで、身につけましたよ」と。

次女の恵子さんは「父は元気になりました。今は、漬物を盛るなど仕込みのサポートをしてもらってます」。そして大女将は、毎朝7時には厨房に立ち、だしをひくところから。利尻昆布やイリコ、サバと鰹の混合節を用いるコク深い味わいのだしが、うどんや煮炊きもののベースになっている。
恵子さん曰く「母は、旬魚を焼いたり炊いたり、魚料理全般を担当しています。そして姉は、和食の煮炊きものを。私は、揚げ物や洋食、ときにはマスタードチキンといった変化球なんかを作っています」。3人の見事なタッグをもち、数えきれないほどの惣菜が生み出されるわけだ。

お父様の代から継承するだしの味があれば、時代の流れに合わせた進化も。
「父が現役だった頃は、料理の種類はここまで多くはなく、どの皿もボリューム満点でした」と久仁子さん。「ある時、お客様からこんな一言が。“だし巻きが食べたいんやけど、この半分くらいでえぇねん”と。だから、世代交代するタイミングで、皿はレギュラーと小の、2つのサイズに。そして選ぶ楽しみを、と料理の種類をぐんと増やしました」。

また、SNS担当の恵子さんは、できたばかりの料理や「金曜はちらし寿司の日!」といった日替わりメニューの情報をほぼ毎日、Instagramで発信する。常連客を飽きさせない工夫はもちろん、「少しでも、うちの店に興味を持っていただけるお客さんに来てもらえると嬉しいです」、「有名店にならなくていいから、今の状態を1日でも長く続けることができたら」。そう言って、母と娘はにこやかな表情を見せてくれた。

3人

店舗情報店舗情報

井筒食堂
  • 【住所】大阪市港区弁天5‐14‐22
  • 【電話番号】06‐6573‐0753
  • 【営業時間】11:30~14:00
  • 【定休日】土・日曜、祝日
  • 【アクセス】各線弁天町駅から徒歩11分

文:船井香緒里 撮影:竹田俊吾

船井 香緒里

船井 香緒里 (フードライター)

福井県小浜市出身、大阪在住。塗箸製造メーカー2代目の父と、老舗鯖専門店が実家の母を両親に持つ、酒と酒場をこよなく愛するヘベレケ・ライター。料理専門誌やカルチャー誌、ウェブなどの編集・執筆を行う。食の取り寄せサイトや飲食店舗などのキュレーションを手がけるなど、食を軸としながら縦横無尽に展開。暴飲暴食を日課とし、ジョギングとロードバイクにて健康維持。「Kaorin@フードライターのヘベレケ日記」で日々の食ネタ発信中。