職人気質の関さんだが、自らを「商売人」と言う。それは利益を追求するということではなく、客の要望にきちんと応えていくために、「それが店のためになるかどうか」で判断するということ、そして店を続けていき、祖父母や親が大切にしてきたものをきちんと継ぐということ。さらにそれを続けるために、「邦栄堂製麺」を楽しい場所にすることを3代目は目指している。
鎌倉はとても狭い町だが、それでも多少の地域性がある。
「邦栄堂製麺」のある名越は海辺の地域に比べて静かで個人主義の風情があるように思う。
関さんの風貌にもそれはよく表れている。
だからこそ、焼きそばの屋台を、それもキッチンカーのように人が集まって賑やかになるようなことを関さんが考えたのは意外だった。
「コロナの影響もあると思うんだけど、わざわざこんな辺鄙なところまで麺を買いに来てくれる人が増えたからね。なにかちょっとでも楽しめる要素があった方が良いと思ったから。友人の焼いた美味しいパンも置き始めたし、なによりミュージシャンの鎌田には舞台が必要だってずっと思ってたから。」
それを聞いて、楽しくないと続けられない、という鎌田さんの言葉を思い出した。
関さんと話していると時々耳にするのは「僕は商売人だから」という言葉だ。
日々の仕事に淡々と向きあい、ときには木工制作にうちこむ、どちらかと言えば職人気質を感じることが多い関さんが、“商売人”として意識していることはなんなのか。
「邦栄堂のためになるか、ならないかで判断することかな。環境、というか、それはうちの祖父母や両親を見てきたことも大きい。その時々の自分の判断にちゃんと祖父母や父親の記憶や存在を感じるんだよ。父親がいた時は、続けていく、っていう感覚だったんだけど、父親が亡くなってからは、継ぐ、という感覚がやっぱり強くなった」
「変えないこと」を「続けていく」ことの重要性を基本にしつつ、「継ぐ」という意識があることが、関さんの新しい試みに表れているのだろう。
関さんの夢も聞いてみた。夢か、と少し照れたように笑いながら関さんは言う。
「姉の娘たちか、僕の娘か、誰かが邦栄堂を継いでくれたらそれは嬉しいな。楽しい場所にしていたら自然と継ぐ気になってくれると思うし、だからこそ、そういう場所を目指すんだろうな」
邦栄堂のためには邦栄堂を楽しい場所にしていく。それが関さんの商売人としての判断ならば、きっと先代や先々代も笑ってうなずいているだろう。
鎌倉は良くも悪くも新しいお店ができてはなくなっていく。新しい味や若い味はひっきりなしにやってくるが、どこかで“年をとった味”が恋しくなってくる。そんな時に邦栄堂の麺が食べられるお店に行くと、ほっと一息つけることが多い。
邦栄堂は変わらないし、変わっていく。
ただそこにあって、時に楽しめる場所にもなってくれる。そんな距離感が気持ちいいし、どこか関さんの雰囲気にも似ている。
今日もゆるやかな坂を登りながら麺を買いに行こうと思う。
文・写真:横山寛多