様々な食文化と歴史的背景がからみ合って形づくられてきた、アメリカの郷土菓子。日本ではまだなじみが薄いけれど魅力的なものがたくさんあります。各地の郷土菓子に魅せられた菓子文化研究家の原亜樹子さんが、ぜひ知ってほしいお菓子をご紹介。2つめのお菓子は、飲み残しのビールを使ったクイックブレッドです。
今回教えてもらうのは、ビールをたっぷり使ってこねるユニークなパン。
「アメリカの人たちは本当によくビールを飲みます!日本に比べてビールの種類もかなり豊富で、お気に入りを家に常備するのはもちろん、飲むだけでなく、煮込みなどの料理にもよく活用します」と、アメリカの郷土菓子に詳しい原亜樹子さん。原さんがビールブレッドに初めて出合ったのは、アメリカに留学していた10代の頃。ご近所のバーベキューパーティに招かれた際、手づくりのビールブレッドを勧められ、その唯一無二の味わいに衝撃を受けたという。
「ほろ苦くてクセになる風味と、独特のしっとり感、ずっしりとした食べごたえ。それまで出合ったどんなパンとも異なる、個性的な味に驚きました」。
ルーツはアイルランド移民が伝えたソーダブレッドといわれています。「ソーダブレッド」とはイーストを使わず、ベーキングパウダーやベイキングソーダ(重曹)で膨らませるパンのこと。
「発酵いらずで手間がかからないため、いまもアメリカの家庭では食べたいときにさっと粉から練って焼く、なんてことも珍しくありません」(原さん)。
通常、「ソーダブレッド」はバターミルク(発酵乳)を使ってこねることが多いそうですが、なぜビールなのでしょう……?
「あくまで私の推測ですが、飲み残したビールや、味覚に合わなくて残ってしまったビールを活用してみたんじゃないか、と思います。ビールが日常的にそばにある、アメリカらしいアイディアが面白いですよね。しかも、ビールの発酵に使われるビール酵母が影響しているのか、あたかも発酵したような甘みや風味が得られるのも特徴です」と原さん。
今から7000~8000年前、メソポタミアで小麦の栽培が始められ、小麦粉を煮たお粥(のようなもの)を常食としていました。これが熱い石の上にこぼれて焼けたクレープ状のものが、パンの始まりです。やがてパンの製法はエジプトにも伝わります。ある日、焼かずに放っておいたパン生地に天然酵母が付着してぶくぶくと泡を吹いて膨らんできました。これを焼いたところ、ふっくらと柔らかいパンが出来上がったといいます。これがいわゆる発酵パンの始まりです。
発酵パンを焼く前のどろどろした液体は、そのまま飲まれることもあったといいます。これこそがビールの始まり。つまり、ビールは「飲むパン」であり、パンは「食べるビール」だったのです。
「ビールでパンをこねると聞くと驚かれるかもしれませんが、ルーツが同じものを合わせるのは、ある意味自然なこと。相性の良さにも納得です」(原さん)。
原さんはホームステイ先で教わったアメリカのスタンダードなビールブレッドをもとに、初めての人にも食べやすいようレシピをアレンジしてくれました。
「アメリカではエールタイプから、ラガー、スタウト(黒ビール)まで、いろいろなタイプのビールでつくります。もちろん、使うビールはお好みで構いませんが、私は日本のビールに合うレシピにしています。生地には爽やかな香りがするキャラウェイシードを加えていますが、なければフレッシュなローズマリーの葉小さじ1/2、またはレモン(国産無農薬)の皮のすりおろし1個分を加えてもおいしくできますよ」(原さん)。
仕上げにバターをかけて焼くため周りはカリッと香ばしく、中はふんわり。ビール特有のほろ苦さが食事にも合い、スープやサラダに添えれば簡単な朝食に、ジャムを添えればおやつにも。思い立ったらすぐにつくれるのも、クイックブレッドならではの魅力です。
日米の高校を卒業後、大学で食をテーマに文化人類学を学ぶ。国家公務員から転身し、アメリカの食を中心に取材や執筆、レシピ製作を行う。『アメリカ郷土菓子』(PARCO出版)、『アメリカンクッキー』(誠文堂新光社)など著書多数。https://haraakiko.com/
文:鈴木美和 撮影:鈴木泰介